『長くつ下のピッピ』 アストリッド・リンドグレーン

 

長くつ下のピッピ (岩波少年文庫 (014))

長くつ下のピッピ (岩波少年文庫 (014))

  • 作者: アストリッド・リンドグレーン,桜井誠,大塚勇三
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/06/16
  • メディア: 単行本
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『床下の小人たち』に続いて、児童文学を読むの巻。これは子どもの頃に読んで、面白いと思った記憶がある。詳細は全然覚えてなかったけど。大人になって読むと・・・ピッピサイコー!

ピッピの魅力はいくつもあって、まずはピッピ・ナガクツシタという名前と、その通りの格好で登場する冒頭シーン! 奇抜な服で、肩に子猿を乗せていて(子猿ちゃんが“ニルソン氏”という立派な名前をもっているのもいい)、とんでもなく大きな靴で、前に進んだかと思えば後ろ向きに戻る。天衣無縫で、あっというまに心を掴まれちゃう。
ピッピは怖いもの知らずで、それは確かな実力に裏打ちされてる。

とんでもなく力持ちで、すばしこく身軽だから、高いところへ上るのも、のぼった先を走ったり飛び移ったりするのも簡単。サーカスはピッピのひとり舞台になっちゃうし、火事から子どもを救うこともできる。いじめっ子のボスや、大きな暴れ牛や、悪だくみをして迫ってくる泥棒や、幽霊だってピッピには“ヘ”でもない。

そんな実力があれば、学校なんて行かなくていいし、お行儀なんてどうでもいい。ちゃんとした大人に何と思われようとへっちゃら。庇護される必要なく、自分でやっていけるから。むしろ、ああしなさい・こうしなさいと、やかましい大人のほうが滑稽に見えてくる。

そう。大人の目で読んで思ったのは、ピッピの魅力のキモは、「ひとりでやっていける強さ」なんだろうなということ。大人を必要としないということ。子どものころを思い返して一番怖かったのは、「親がいなくなる」ことだったように思う。子どもの自分を無条件に愛し、生活を守ってくれる親。親がいなくなったら、自分なんて大海を漂流する小舟のように頼りなく、無力であることを、子どもは本能的にわかってる。

でもピッピの場合、嵐の海に巻かれていなくなってしまうのは、お父さんのほうなのだ(お母さんはピッピが赤ちゃんのころに亡くなっている)。そして、ピッピはそれでも悲しまず、へこたれず、心の中では大好きなお父さんお母さんと一緒に、現実には一人で、りっぱに暮らしているのだ。好きな時に好きなものを自分で作って好きなだけ食べて、大胆すぎるやり方で掃除して、夜中じゅうポルカを踊ったりしながら、楽しく暮らしてる。

そんなの自分には絶対無理だからこそ、物語の中では自分がピッピになったつもりで遊べる。冒険できる。「世界一強い女の子」に、この物語の中では、なることができるのだ。

さて、『床下の小人たち』と同様に、この物語に出てくる大人たちもあまりろくなもんじゃありません。特に、良家の子女であるはずのトミーとアンニカ兄妹が、綺麗な服を着せられお行儀よく躾けられてはいるものの、基本的に放置されている(朝から晩までピッピと遊べる)し、お母さんは「お茶会の間、子どもたちが邪魔せず大人しくしてくれてるように…」と考えてピッピを招いたりするし(もちろんその目論見は大きくはずれて、ピッピが派手にやらかすんだけど笑)、なかなかのもんです。作者リンドグレーンによる風刺なのかもしれないけど、当時(70数年前)のスウェーデンってこんな感じだったのかなーと思う。