『ごちそうさん』 第19週 「貧すればうどんす」
配給に何時間も並んだりカブの大小で小競り合いしたり、軍国歌謡作ったり、闇で買ったり。時局の精度に従ったりおもねったり逸脱したりしながら、何とか適応してやっていこうとする庶民の姿は私たちそのもので、「この先まだ悪くなる」史実を思えば、今の私たちの先はどうなるのかなと #ごちそうさん
デザインを捨てて、人命を守るために強度だけに注力する。子どもたちには将来の選択の余地がない。どこで間違えてこうなっちゃったのかなと思うけど、現在進行形で間違い続けてるんだよね。「戦略的転進」も、配給と闇の二重性も、現状を容認してるってことで。#ごちそうさん
集団的自衛権の行使を閣議で容認したこととか、南スーダンへの自衛隊派遣とか、昨今のマスコミの報道体勢とか、100年後の人にはどういう目で見られるんだろう、現代が歴史になったときどんな位置づけになるんだろうね。#ごちそうさん を再見してると政治的なこと考えさせられるんよね…
め以子が主婦の仕事を、悠太郎が建築(と役所仕事)を、希子夫婦がマスコミを、3人の子が若者を、室井が文芸(芸術)を…と、多方面からのアプローチは、社会がどのように成り立ち時代を進行させていくのか、ってことを把握させてくれるから、歴史をそして現代を考えさせられるんよね。#ごちそうさん
8時開始以降の朝ドラ各作を思い返して、#ごちそうさん ほど社会批評的な作品はないように思う。一方で、人間の生命の営みと、それが含む業のようなものを描き出した作品でもある。それもこれも、半径数メートルの世界のエピソードの積み重ねだもんなあ。私たちの世界は大きなものに繋がってるんだね
#ごちそうさん 砂糖が配給になったときあれだけ落ち込んでたのに、実はそこから計画的に食糧備蓄していため以子の嗅覚。悠太郎始め家族は笑ったり驚いたり持ち出したりで、「食べれんかったら死ぬ」という主婦の危機感は家族の中で浮いている。配給を巡り喧嘩にもなる主婦たちは真剣
#ごちそうさん 「根がお嬢さんだからわかんないのよ、食うためには仕方ないのが」「頭を低くしてやり過ごすしかないよ」と言う室井の表情に、つらいとか残念とかじゃなく、桜子へのちょっとした侮りや時局への卑屈さが見えるよね。脚本演出だと思う。時局に迎合できる人間が偉い、ていう感覚への批評
そうか。希子は関東大震災をきっかけに、正しい情報を速く広く伝えたいと放送局に応募したのだよね。なのに今の放送局は情報を隠し、大本営のプロパガンダ業務に徹していて、希子はそこに加担している。安全な街作りのために鉄筋に傾注してきた悠太郎は…とことん皮肉な流れなのだなあ #ごちそうさん
思想とか反骨よりも、満腹と笑いを。人が求めているのは八紘一宇なんて美しいお題目じゃなくて、おなかいっぱい食べて笑い合うこと。そうすれば鈍することもなくギスギスしなくなる。主義者になって奥さんを苦労させ捕まる男性と、仲間への #ごちそうさん のために頭を下げたうま介さんも対比かー
#ごちそうさん の再見は、あの長く長く続き破滅的なところまでいってしまった戦争をどうやったら止められたのか、繰り返さないためにどうすればいいか、って視点で見てしまうんだけど、今週がひとつの答えだな。鈍しないためには貧しない。たくさんの人がお腹いっぱい食べて楽しく笑い合えること
自分の家族から範囲をちょっと広げて食べさそうとするのは施しではなく、周囲が貧しないことが結局、自分たちの鈍しなさにも繋がるから。人を笑わせて自分も一緒に笑えるほうが楽しいから。本来、難しい美しい思想じゃなくてシンプルな話なんだよね。というのが #ごちそうさん らしさだなあ
自分の周りが満腹や笑顔でみたされることが一番。でも「それさえやってればいい」じゃなくて、「そっちの方向にいってるか?」というスタンスで、大人が自分の仕事や、政治や行政と対峙するのが必要なんじゃないかと思う。じゃないと #ごちそうさん の時代のように、気づいたら何も言えなくなってる
でもやっぱり土曜日のラストはさらなる不穏を描いて終わるんだよね。め以子のほとんど無思考な、本能からくる #ごちそうさん を利用して闇まで密告してた松島さん。そして悠太郎の異動…。みんな自分なりにがんばっても止められなかった時代の流れ。