エロ本@コンビニ論争から考えるジェンダーのこと
RT さすが、すごくわかりやすい。こういう説明でも、ジェンダー関係の言説にまっっったく触れたことがない人にはピンとこない(または、もとから偏見がある方はよりいっそう嫌悪感を覚える)のかな?
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
コンビニにエロ本を置くべきでない理由 https://t.co/oJE3OsaKeD この件について「子供を無菌状態で育てるのには問題がある。多少の汚さや世間の風に免疫をつけるべき」て意見を(しかも女性からの)散見したけど、これ読めばそういう問題では全くないのがよくわかるのでは。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
高橋一生が脱いでるananと、仕切られたとこにおいてある男性向けのエロ本では、同じくコンビニに置いてあっても全然ちがうんだよ
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
息子6歳に、いつコンビニのエロ本について質問されてもおかしくないなーと思う。子どもがいろいろ見たり考えたりできる年頃になってきて思うのは、子ども(我が子に限らず、世の中の子ども全般)に対してむやみに、あるいは漫然と「そういうものなんだよ」「仕方ないんだよ」と説明したくないってこと
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「こういうのが好きな人もいるから。売るのも買うのも個人の自由なんだよ」と子どもに説明したくない。私自身はひどい痴漢やセクハラに遭うとか、夫に下に見られるとかないけど、コンビニのエロ本を許容するような世の中の在り方が痴漢やDVに限らず男女の非対称を維持する要因の1つになってると思う
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
【以下、facebookに書いたもの】
ちょっと前にtwitterで「コンビニの本棚にエロ本をおくべきか否か論争」みたいなのがあったんですわ。
自分に子どもができるまでは考えたことなかった。
「まあ売ってるよね。自分は買わない(関係ない)けど」て感じ。
今は、「置かないでほしい」と思ってる。
コンビニ(一般書店も含む)に、わずかな仕切りだけで、子どもに見える形でエロ本を売ってるという現実。
それは、
女性が相当際どい水着や下着だったり、扇情的な顔でポーズをとってる表紙が、子どもにも見えるということ。
一方で、男性が相当際どい水着や下着だったり、扇情的な顔でポーズをとってる表紙は、基本的に、置かれてない(相当少ない)ということ。
「これを需要と供給といいます」とは子どもに教えたくない。
「男性のほうが性欲が強いんだよ」
「世の中はこういうものだから免疫つけといたほうがいい」
そういうのって一般論かもしれないけど、そういう一般論を見直したいのですよね。
女の子に自衛を促すのも、現実問題、必要だけどさ、その前にエロ本の売り方考えなおしてもいいんじゃないかな?
性欲は自然なことです。
女性にも性欲はあります。
逆に、男性だって、コンビニのエロ本いらないって人はいるでしょう。
性欲の強さも、性欲の発散の仕方も、本来、性差というより個人差の問題です。
なのに、男性向けのエロ本だけが、コンビニという公共的な空間で(子どもがトイレ借りるためだけに入ることもあるよ!)、一年じゅう日常的にどさどさ売られてるのは、
「世の中では男性の性欲は許容されやすい。でも、女性の性欲はそうではない」
「男性は大人になればそこらのコンビニで気軽にエロ本を買える(恥ずかしくない行為)。でも、女性は違う」
と、子どもに刷り込んでるのと同じじゃないんかね。
私は、男にも女にも性欲はあって個人差もあって、男だろうが女だろうが相手を尊重しないといけないよ、まして妊娠とかにも関係してくる問題だから・・・・って教えたいけどね。
高橋一生やら向井理やらが脱いでる表紙のananは、半年に一度しか出ないんだぞ!
男性向けのエロ本も、それぐらい「お宝」感をただよわせたらどーなんだ!
西欧諸国とかではどーなんでしょうか、コンビニでエロ本、あからさまに売ってるんですかね? 知ってる人いたら教えてほしいな。
●追記。
日本では、昔から「枕絵」「笑い絵」、いわゆる春画文化があって、歌麿やら北斎も描いてたわけですが、これは現代のエロ本とは流通の仕方がまったく違うよね。あとユーザーに男女両方を想定していたものが多い印象。違うかな?
息子6歳は篠山紀信展のヌードコーナーを見てめちゃくちゃ驚愕&興奮してた。「おっぱいも、けつも、けも、まるみえ!ギャハハハハ」みたいな。しばし経つと、「何で外で裸になって写真撮る?」「何で裸の写真を飾る?」という問いも口にしてた。https://t.co/HLWYWn8WU8
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
篠山紀信展にヌードコーナーがあるのは知らずに行ったけど、それら(宮沢りえや樋口可南子、山本リンダや、男性ダンサーの写真もあった。役者やダンサーでない人のも)は見せたの後悔してない。コンビニでエロ本を売ってる現状、「そういうんじゃない」ヌードを見せる機会になってよかったなというか。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
や、紀信展のヌード写真にも、発表当時は「性の消費だ」「女性蔑視だ」といわれたものはあったかもしれんし、そういうボーダーの感覚は人によるけども。でもやっぱり、コンビニのエロ本の表紙とはかなり違うと思う。で、子どもは基本、コンビニのエロ本のようなものでしかヌードを見る機会がない。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
で、コンビニのエロ本に気づいた子のすべてが「あれ何?」「何で女の裸の写真?」と尋ねるわけではなくて、何だか聞きにくかったり、尋ねたけど親に言葉を濁されて、「あんまり堂々としたものじゃないんだな、でもコンビニで売ってるからアリなんだな」って感覚を持つ子が多いんじゃないだろうか?
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
コンビニのエロ本にも、「男性顧客向けの、女性の主体性を無視したような女の裸」と同じくらいの質量で、「女性顧客向けの、男性の主体性を無視したような男の裸」の表紙があれば、まだいいのかもしんない。でも実際はそうじゃない。「世の中では男性の性欲は許容されやすい」メッセージとして十分。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「世の中では男性の性欲は許容されやすい(女性の性欲はそうではない)」という言外のメッセージは、個々の男性への冒涜にもなるし、まっさらな子どもにジェンダーに関する誤解を植えつけることにもなるし、それが良くない現状維持に繋がりもするし、とにかくいろんな意味で弊害が大きいと思う。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
性欲を否定するわけではなく、性を「あけっぴろげで健全な”だけ”のもの」と子どもに伝えたいわけでもなく、性欲は自然なことだし(薄いからといって悪いわけでもない)、性には淫靡な魅力もあるけれど、男性のそれだけがコンビニで非常にインスタントな形で並ぶのを許容されてる非対称性がね…
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
自分が中高生の頃を思い出しても、今、中学生の子を持つママ友たちと話しても、女の子も性に対する好奇心はすごくある。自然なことだ。でも、そこで「男性は大人になれば気軽にエロ本を買える」「女性は違う」って非対称な現実がある。それがわかるから、男子と女子は性に対して違う振る舞い方になる。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
というと「女子には妊娠等のリスクがあるから、より強く自衛して然るべき」なんて意見も出そうだけど、「性には妊娠という重大事が伴う可能性がある」なんてことこそ、男女同等に向き合うべきだと子供には伝えていきたい。綺麗ごとかな? いや、女性の選挙権もそんなふうに獲得されてきたんだと思う。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
妊娠とか痴漢とかDVとかいう大きな案件じゃなくても、「性のあり方に対する男女の非対称性を社会が許容してる」パターンの積み重ねが、いろんな影響を及ぼしてる。「コンビニにエロ本」はその一例に過ぎないけど、その一つ一つに対して大人が自覚的でなければ子どもたちにも継承してしまう
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
紀信展でヌード写真を見たときも思ったんだけど、生きてる人間は肉体を持ってるから、誰でも自分の体に興味があるのは自然だと思う。自分の心に興味があるように。そして、他者の心に興味を持つように、他者の体に興味を持つのも自然だと思う。だから写真家がヌードを撮るのも自然に思えた。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
問題は、そのアプローチの仕方で。性には淫靡で背徳的な魅力もあるし(なんたって文明発祥以来、人は往来でセックスなんてしないから)、男女の体が違ったり、関係性が個々である以上、暴力性も持ちうる。それらは数々の映画や小説など創作作品でも描かれているけど、それは個々の形であるべきで、→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
→「成人男性は、コンビニという日常性の高い、社会的にオープンな場所で、(今を時めく高橋一生でなく)ほとんど名も知られてない若い女性が裸になって写ってる本を気軽に買えます(女性向けはないけどね)」みたいな類型化を許容したくない、子どもに「そういうものなのよ」と伝えたくないなーと思う
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
『お姫様とジェンダー』 若桑みどり / 「ママじゃな」2年半と朝ドラやなんかで、ジェンダーを考える最近 - moonshine https://t.co/ayzdk0QYlP 社会がそういうふうになってるし、そういう社会に生きているから、男性も女性も疑問を持ちにくくなっている。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
2016年8月8日 天皇陛下が「お言葉」を - moonshine https://t.co/OjRLSVziU7 今上のすばらしい人間性によって、どんどん非人間性への希求が高まってるような皮肉さ。ジェンダー同様、私たちの社会が人権をどう考えるかって問題だよなと思う。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
デンマーク研修レポート(下)私たちも変われるかもしれない https://t.co/92VQexhWxP 半年ほど前に書いたこれも関連記事かな。「男性と女性が全く同じ履歴書を持ち、全く同じ発言をする。男性と同じように振る舞う女性は傲慢で売り込みすぎと評価され、男性が採用される」
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
けど、こういう「男女を対称に近づけよう」って思いは、自分の場合、やっぱり子どもを持ったことが大きいなーと思う。それまでは、いわゆる日本的会社に勤めてたし、知らず知らずのうちに男女の非対称性に慣れていて、それをやり過ごせるのが賢い大人だし、それに乗っかったほうが楽だとも思ってた。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日
「性差が非対称な世界で自分は耐えられたし潰されてもないし、女性を下に見たり消費したりしない夫と結婚できた。だから現状のままで別に大丈夫なんじゃないか」と無意識に思ってたかも。でも子どもを産んで育てて、「この小さい子たちに、何の差があるだろうか?」て感覚を抱くようになったというか。
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月14日