●10月某日: 連休最終日、休息。夫とサクはユニクロとか行ってた。夕方、走る。気温と湿度が下がったのもあるし、夕方ランはやっぱり朝ラン(朝メシ前ラン)に比べてとってもパワフルなもので、らくらくなうちに11km、時間があったらもっと走れたな。夜、「おかあさん、だいすき。もう、ずーっとくっついとこ。12じまで」とサク。5分で勘弁してもらって、一緒に早く寝た。
「生まれながらの差別」に鈍感な日本社会 URL 派生して、こちらは短くピリッとした記事。「現代日本では生まれながらに持っていることが称賛される」っていうのがうまく書かれた記事、最近よそでも見たんだけどクリップし忘れたな…
RT記事、「私費負担がこれだけ膨大になのに、教育に投入する税金を増額すべきだという議論は盛り上がらない。税金を活用してすべての子どもに教育機会を、と考えるのではなく、なるべく税金を減らして、自分の子どものためだけにお金を使いたいと考える親が多いからだ」のとこ、大きな指摘。
一方で、「勉強したいのに(経済的状況で)できない、勉強したい」という訴えよりも、「勉強しなくても、それで収入も低くてもいいやん、半径数キロで楽しくやってこうぜ」的なマイルドヤンキー的な文化のほうが波及力を持っているような気がするんだけど、これは現代の先進各国共通の現象なんだろか?
税金で授業料タダにして大学で勉強したい、って価値観そのものが社会にないというか…。その背景には、もともとは受験戦争時代の学力偏重主義への批判があったと思うんだけど、今はそれに「仮に勉強たって将来が保証されるわけじゃなし」「”今”承認されたい欲求・コミュ力重視」も混じってるのかな
「勉強することは面白い(学校で良い成績とること、ではなくて)」を教えられるのも家庭の文化資本が大きいんだよね
RT 「平均所得額が減ったのにジニ係数がほぼ安定しているのは、中間的な所得層から低所得層にシフトする人が増え、低所得の層が厚くなったためとみられる。これは貧困に陥る恐れのある人が増えていることを意味しており、国はその危険を重視すべきだ」
●10月某日: 運動会の代休その1。サクと博多駅へ。朝のサク、「いっしょにおかしつくるか、はかたえきいくか、どっちか。なにかひとつは たのしいことしないとね」だそうだ。後半部分が、私や夫の口ぶりをよく聞いてるんだなって感じで笑いつつ、「じゃ、クッキーでも作ろうか」と言うと、ちょっともじもじしたあと「はかたえきのほうがいい」 最初から一択やんw
午前中から行って、鉄道関連ショップにいってNゲージで電車を走らせたり、東急ハンズやアミュプラザでうろうろウインドーショッピングして買い物したり、よく歩いたあと帰宅する前に直接スーパーまで歩いて買い物して、帰ると16時近かったんだけどサク最後まで機嫌よく歩いた。体力あるね。
夜ごはん、豚と大根のこっくり炒め、蒸しナスとオクラ、刻み玉ねぎ乗せ。サッカーW杯の最終予選を見るために夫がいっそいで帰ってきた。試合はアウェーで引き分けだからまあまあな結果に落ち着いたのかな。とにかくピッチに大量のカモメがいてくつろいだりパタパタ飛んだり、やたら自由なのが気になってw