『真田丸』 第49話 「前夜」

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三谷さんはずっと前に、「この物語の主人公は最後の最後まで勝つつもり」と何かに書いていたけど、「生きるつもり」とは書いてなかった・・・と思う。確か。茂誠に大将首を狙うための野戦の仕方を聞いたり、秀頼と一緒に四国に行く気はなかったり、「これが一番」と一貫して思ってるはずの策を引っ込めて又兵衛らの案に譲ったり、どう見ても未来を考えてない。

信之に書いた手紙はどうなんだろう。死ぬつもりなんて一言も書いてなくても、兄貴なら読み取ってしまうだろうと思わなかったんか? 読み取ってしまわれたら、松夫婦やら三十郎たちにも伝わるだろうと思わんかったんか? 史実の幸村は、けっこういろんな人に随分早くから「もうだめです」的な手紙を書いてたらしい。真田丸の信繁さんも、実は、それとなく、周囲に別れは告げたかったんだろうか。信之が来てくれてうれしかったのかな。とても、弟らしい顔になってた。

「歯向かいたいなら歯向かえばよい。俺が助ける、決して死なせない」と言う兄に、「そしてまた十四年」と返す弟。犬伏で、真田のためだと互いに納得づくで決めて、同じ方向を向いて泣いていた兄弟の間に流れた月日の長さを感じるやりとりだった。

あんなに意気込んで、危険を賭して会いに来たのに、止めるための口舌はあれだけで、すぐに帰っていく信之がね…。十数年の溝を受け容れて、最後の盃を交わし合うのではなく、あくまで自分はそんなの認めないという。兄を慕っているから最後に飲みたかった弟。弟に生きてほしいから背を向ける兄。

景勝も、政宗も、移り変わってしまった世の中で、武士が己の思いのままに戦うことの難しさと、難しいがゆえの価値・尊さを知っている。「源次郎に思いきり戦わせてやりたい」と、何話か前に信之自身も言ってた。それでも、死ぬなんて許さないと背を向ける。

己の思いのままに戦って死ねば、真田幸村の名は残るかもしんない。でも、それは同時に、源次郎という男を思う者たちの願いに背くエゴイスティックな行為でもある。信之も、松も、春や、娘のすえや梅も、源次郎に死んでほしくないのだ。戦国武士の常として「真田のために」という価値観で生きてきた源次郎が戦って死んで悲しいのは、結局真田の家族たちなのだ。誰より源次郎に生きてほしいから源次郎の前から去る兄、という姿が現状の矛盾を表してた。「真田丸」って、真田の物語だ。今さらながら、いったいどうなってしまうんでしょう。源次郎は何のために戦い、死ぬのか。

結局、兵糧を届けられず、徳川方の陣でスルメをかじってる平野氏、登場。この能力の低さ、長いものに巻かれながら大義なく生き永らえていく感じ、だから七本槍で断トツの無名性を誇るんだっていう説得力なんだけど、これが私なんかみたいな一視聴者の姿に一番近いんだろうなー。と思わされる。

「黙れ小童!」は、相手がアンジャッシュ児島ってことも含めて、感動っていうよりは楽しい場面として受け取った。大泉洋、最高。と今日も思う。



稲と、おこうと、春と、きり。願わくば、誰か一人くらいは、もっともっとゴネて、夫を許さなきゃよかったのになと思ったりもする。その受容は彼女たち自身の誇りの表れでもあるんだろうけどさ・・・。「納得しない」役割は信之が担ったってことなんだよね。稲の「わかっておる!」の激しさはよかった。おこうさんに対して、クワッと眼を剥いてね。

春と、嫡男・大助の別れ。正室、春と信繁との別れ。それは美しいけれどどこかあっさりしていて、信繁って、自分が作った家族との縁も薄い人だったなーとつくづく思った。その縁の薄さは、どこか信繁の情の薄さというか、欠如のような気もするのだ。それは、梅ちゃんの死から始まっているのかなあ。・・・と思ったところで、かつて梅ちゃんとの結婚のくだりで信之が男女の仲の起点認定した「口吸い」が出て来る今回だったのだよねえ。





名を挙げることなく真っ先に死んじゃった塙さんも、本多佐渡なんかの策に嵌っちゃった感のある又兵衛も、焚きしめた香も泥だまりで台無しだっただろう木村重成も、本人は花でも育ててれば満足だろうに家を再興するどころか残党も死なせちゃう元親も、とにかく悲しかった。でもみんな印象的だった。

白石隼也さんの月代の似合いっぷりは本当にすばらしかったですね。木村重成って、去年の山笠(博多祇園ね)の渡辺通の飾り山「見送り(裏側)」で主人公になってて、そのとき「来年が真田丸だからかなー、それにしても無名すぎるだろ」と思ったんだけど、彼がイメージを作ったよね!




これね。深夜2時半ごろからの思考なんですけど。

きりちゃんの「最後までおかみさまとご一緒する」は、茶々と共に死ぬんじゃなくて、茶々と共に生きるんじゃないかな? と閃いたの。



実の妹すらあきらめてる茶々の命を、きりちゃんが救うってことよ。きりちゃんならそれくらいやってのけたっていい!

だって、佐助がいる。彼がきりを好いていた設定も、素破の仕事にしくじったのにまだ生きてるのも、最後にきり(と茶々)を落城する城から助けるためでは。

茶々が信繁に送った呪いのアイテム、山吹の花を食べちゃったきり。それは、きりちゃんが代わりに呪いを受けるのではなく、きりが呪いを飲み込んで無効化したということでは。茶々は自らの予言通り、信繁と同じ日に死ぬ。「これまでの茶々として」の茶々はね。そして、きり(を助ける佐助)によって大坂城を脱出し、きり≒霧隠才蔵とともに、どこかの里で名を変えてでも、ひっそりと生きるのでは。

なぜそう思ったのかというと、そもそも、「源次郎さまのいない世に生きててもつまらないから」と言ったきりちゃんの気持ちには胸を突かれるんだけど、でもやっぱりどこかきりちゃんらしくないよな、とも思えたわけです。

あの言葉がきっかけで源次郎に抱かれたら、そのあとには「これでもう悔いはありません」じゃなくて、「これで死ぬなんてもったいない」と思うんじゃないかな。だって死んだら記憶も全部なくなっちゃうんだよ。できる限り寿命を引き延ばして、「いや、日本一のつわものとかみんな言いますけどね、けっこうしょうもない人でしたよ、ま、私もそれに付き合っちゃったんですけどね」なんて言いながら生きてるほうがきりちゃんぽくないかな。そして、きりちゃんなら、茶々を一緒に連れて行っても不思議はない気がする。なんだかんだで人脈も生活力もあるし、茶々を連れたって生き延びていけそう!

源次郎が、自分の死は覚悟した状態で、今さら遅すぎにもほどがある抱擁なんかかましちゃったのはほんとエゴなんだけど、そんなエゴが、きり(と茶々)を生へ導くんじゃないかな。結果として、「日の本一のつわもの」真田幸村に助けられたともいえる茶々は己を「日の本一幸せな女」というんじゃないかな。いや、日の本一のくだりは、秀頼の母になれたことに対してのセリフかもしれん。

・・・いや、茶々まで生きさせるのは流石に無理があるか。茶々がきりを逃がすのかな。「源次郎のいい人なんて道連れにしたくない、彼と死ぬ運命なのはこの私」なんつて。

とにかく、きりちゃん生存エンドを願ってるし、そうに違いないって信じてるわたくしなのです。なんせ、有働さんのナレが、「内記の娘には諸説ある」とお墨付きをくれたんだから、そして大河で架空の人物たちを演じてきた長澤まさみだから、彼女に限っては、史実の枠から飛び出たラストでもいいでしょう~? 

 

あと、内野聖陽も真っ青の、大泉洋の特殊老けメイクくるかなって軽く期待しておきます。