『真田丸』 第47話 「反撃」

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女性たちの回。

お通の正体には納得。「あなたと話すと落ち着く」に対して、最初から「みなさんそうおっしゃいます」と言ってたもんね。京の治安悪化に伴って、今や堂々の大名たる真田伊豆守の肝いりで江戸に下向したけど、その「プロ彼女」には甘んじず、あくまで「生業」で生活を立てるというのがお通の誇りなんだろう。純情な男を手玉に取る遣り手ではあるけど、信之のほうも勘定書きに対して、「膝枕二百文って高くないか?!」と疑義を呈した時点で、どっちもどっちってことじゃないかな。それにしても、この“一流の女”が現在の八木亜希子ってのがキャストの妙よねえ。小雪とか井川遥とかじゃないとこが信之の相手なのよねえ。

メインストーリーのほうが緊迫してる時にこういうシーンを入れてくるのが、親切な緩急に見えるか、兄弟の巧みなコントラストに見えるか、あるいは三谷幸喜の悪癖・悪ノリに見えるか、いろいろだろう。信之の姿も、呑気やねぇ、ぬるま湯やねぇと見えるか、いやこれが幸せってもんよ、と見えるか、牙を抜かれた哀れな獣に見えるか、いろいろだろう。

かつて稲とおこうという2人の妻を持つことで苦労した信之は、苦労した甲斐あって2人の妻の最強タッグに支えられて真田の家を堅持してるんだけど、私としちゃ、稲とおこうが一心同体みたいな描写があまりに強いのはちょっとエグくて好みじゃないかな。

大蔵卿局が女狐なら阿茶局は古狸」のたとえに笑ったw このセリフありきでのキャスティングかと思うくらいうまいw そっか、信繁は阿茶局の強さを知らないよね。そしてきりちゃんは知っている。人質時代&寧の侍女時代で。きりちゃんの生き字引感すごいな。んで、阿茶局の圧巻の仕事ぶりは視聴者にとって大いに説得力があるもの。こんなすばらしい見せ場を用意されたら役者さんも本望だろうなと思う。

面白いように阿茶局に丸め込まれる大蔵卿局。こういうキャラクターを書けるのはやっぱり脚本家の腕だなあ。 主人公サイドに感情移入しがちな視聴者としては口惜しくてならないシーンなんだけど、どこか面白いシーンになってる。

「ね、そういたしましょう」「そういたしましょう」「埋めてしまいましょう」「埋めてしまいましょう」簡単やなww あまりにうまくいって気持ちいいわw 

そこで投入される、かき回し担当きりちゃん! 信繁が与えた指示は完全にサッカーの後半の切り札みたいなの意識したセリフだよねw 無様に転げまわり大声をあげる長澤まさみ、これもまた役者の見せ場! 

常高院、初。私は『江~姫たちの戦国』におけるあまり多くない美点のひとつが「水川あさみの初の尼姿の美しさ」だと思ってて、こんなに尼姿が似合う女優は夏目雅子以来(夏目さんは尼じゃなくて三蔵法師か。リアルタイムは知らないんですけど。。。)であると当時豪語してたんだけど(ブログで)、それにガチで対抗してきたはいだしょうこお姉さんの尼頭巾姿であった! 

しかし交渉ごとって交渉力がものを言うわけで、曇りなき眼を持っていても常識人の常高院は阿茶の相手ではなく、これならいっそ茶々と阿茶の対決が見たかったわ…。そして交渉事は持ち帰らせず、勢いで押し切ることが大事ですね! 服部半蔵イズムにあふれた徳川家なのでありました。

で、茶々なんだけどさあ…。砲弾による侍女たちの死を見て落ち込んでる姿には正直ほっとした。それが真人間の反応ってもんだよねと。そこからの「源次郎! 茶々を叱ってください」で目を剥いたわ。今まで徹底して姫さま然、女王さま然として、自由奔放にそし傲然と振る舞ってきた女がいきなり弱々しく身を投げ出してくる。ほんっとうに厄介な女だよ!! 源次郎もほぼ完全のほだされとると思うがあそこで理性を保っただけでもえらいと言わねばならんやもしれん。

でも茶々は秀吉の前でもあんなふうに振る舞ったことがあるのかもしれんなーと思った。だからこそ秀吉は武器庫を隠したがったのかも。彼女の場合計算づくじゃないんだよね、奔放も可憐も無意識で、だから振り回される。(自己と同一化しがちな愛息以外)誰も愛せないけれど、一人で立っていられるほど強くもない、美しくて悲しくて厄介な女。でも茶々はきっとかつての秀吉の言葉通り、「日の本一、幸せな女だった」と言って死ぬ。それは信繁の「日の本一のつわもの」と対になったフレーズなんだよね。そこにどういう意味付けをするのか、まだ全然見えない。

作兵衛の真田昌幸論、そこからの源次郎論。

なるほど・・・・作兵衛が源次郎につき従ってるのは実は短い期間。というのがここで生きて来るのか。昌幸が武田麾下時代からの従者であるのも。

「昌幸は表裏比興の者なんかじゃなく、義の人であった、武田の旧領を回復することだけを考えていたのだから」と言われれば、うーん確かにそうなんだけど、そう言い切るのもちょっと違うような。と微妙に違和感を覚えるのは、先週の出浦による昌幸論や、信尹による信繁論とまったく同じ。

昌幸にとって信玄のみを己が仕えるに値する主であると、終生畏敬の念を持っていたのは確かだと思うけど、昌幸は忠義の為ではなく己と真田家の生き残りのために生きていたと思うし信濃や甲斐は武田の旧領である以上に「己の場所、真田家の場所」だったから執着していたんじゃないかなあ。と私は思う。

でも作兵衛にとって昌幸は(しかも、彼が昌幸と別れ、昌幸が故人になって長い月日がたった今だから)紛れもなく義の人に見えていたんだろうな、源次郎もその流れで義の人に見えるんだろう。だから、それもまたひとつの真実なんだろうなと思う。どこから光をあてて見るかで、人間も、物事も、全然違って見えるのだ、というのを先週の出浦・信尹に続いて今週も念押しでやってる。

それはもちろん信繁の「日本一のつわもの」伝説につながっていくんだけど、そこできりちゃんが信繁の死後、あやつをどう評価するかだよ!! きりちゃんの源次郎評は九度山編にあった。「がむしゃらで、むこうみずで、やんちゃで賢くて明るくて、度胸があってキラキラしていた、真田家の次男坊」。その面影を追い続けてきりちゃんはここまできてる。それは変わるのか、変わらないのか・・・。

でさ、和睦交渉でも結局徳川にいいように持っていかれちゃって、真田丸は破却、堀も埋め立てられるという大失敗になったのは信繁の力不足で、きりちゃんがローリングするぐらいが精いっぱいだったのもこれまで信繁が彼女を実力通りに遇してきてないツケが回ってきたわけで(妻たちと不器用ながらも向き合ってきた信之との差)、視聴者としてもうなだれるっていうか、ややもすれば「源次郎、おめーがダメなんだ!」って言いたくなっちゃうんだけれども。

でもそれがこのドラマの真田信繁なんだよね…と思う。家柄もないし長男でもなく、景勝や秀吉にかわいがられるといっても要は人質続きの年月で、身分はせいぜい左衛門佐どまり、「なりゆきで」負けて九度山で歳月を過ごした。人間性は、いいとこもあるけど、欠けてるとこ、足りないとこもある。大坂方が弱いのは源次郎の実力不足のみに起因するのではなく、独裁者秀吉時代からのツケでもある。そんな脆弱な舞台で、装備も実力もほとほと不完全な凡人・信繁が、なんとか足掻いてるのが「真田丸」のクライマックスなんだよね。

大坂城ってなんなんだろな。秀吉が遺した巨大な城。かつて昌幸が打ちのめされた城。ここにいるから茶々が苦しんでる城。父上への思いはあるけど自分は必ずしもこだわりはない、と秀頼が言う城。信繁が戻ってきた城。

堀を埋められ、「策はない。もはや勝ち目はなくなった」と信繁。それは正しい分析なんだよ。ここで、茶々も秀頼も、信繁も他の牢人たちも、みんなで大坂城をあきらめて捨ててたら、たぶん死なずに済んだ。どこか遠くの小さい国でとりあえず平穏に生きられた。百姓をしてでも。

でも、それは「九度山」になるってことなんだろうね・・・。九度山の生活が幸せだったかどうかと言われれば・・・。昌幸の姿を思い出せば、それがいいとは言えない。有楽斎のように「これでよいのだ」という人間がいるのもわかるけど(あの一言、とてもシリアスで、有楽斎の新たな一面、彼の心情を見たよね。)

しかし! 最近『それでも、日本人は戦争を選んだ』(加藤陽子)を読んでた私としてはだねw、「どうせ行き場なんてないんだからもう一戦しようじゃないか、えいえいおー!」「私はあきらめていないぞ、左衛門佐」でキラキラした皆さんと一緒には盛り上がれなかった。真田丸史上、最高に詰んだ気分。

「死んだように生きるより生き生きと死んだほうがいい」って刹那的な結論はこの物語にはふさわしくないと思うし、「敗者の美学を描くわけではない」と三谷さん自身最初から言ってるんだけど、ここからどうやって盛り返すんだろう? ほんとわかんない。ネットでは、家康暗殺して替え玉が生き延びる説とか、茶々ときりが入れ替わる説とかも見たけど、そういうトリッキーなことはないんじゃないかなと思ってるんですけどね。

ともかく、「堀が埋められて万策尽きた今、なのになぜ、信繁は戦うのをやめなかったのか?」という疑問の答えは、以前毛利勝永に「あんたは何のために戦うんだ?」と聞かれたとき答えられなかったアンサーにつながるんだろうし、それはまた、かつておばば様に言われた「己のさだめを知ること」にもつながるんだろうね。すごいドラマだー!