『重版出来!』 第6話・7話
●6話
「潰しの安井」回!きた!
とにかくヤスケンのヒネた演技がうまくて、4話ラストか、東江さんを引き抜かれて怒りモードの心に、「じゃあおまえは東江をいつデビューさせてやれるんだ?延々とネーム直しばっかりさせて就活の時期も逃して・・・」云々と長台詞つきつけるシーンの憎ったらしさと言ってることの正しさが最高で、夫と2人で悶絶してた。「くーっ!」「うますぎる!」「ヤスケンすげーな!」「ぐうの音も出ない!」
過去の安井は、ちゃんと両目がぱっちり開いてて、ひとかけらの曇りもない笑顔で、黒沢だった。会社員だから雑誌がなくなること漫画家には言えなくて、それでも会社員だから路頭に迷うことはなくて、でも仕事が大好きで心から漫画家を敬愛してて、仕事しすぎて家庭を失いそうになった安井。
安井が変わったのは、もう傷つきたくない、家族を失いたくない、あんなめに遭いたくないってのもあるけど、相手を傷つけたくないってのもあるのかな。新人をつぶすのは、才能や適性の無い人間は早めにつぶしたほうが本人のためだし、新人(=若い)だから人生いくらでもやり直せるんだ、って思ってそう。
それに、橋本じゅん演じる漫画家に思い入れが深かったからこそ、懺悔の気持ちも強くて、自分がまた生き生き仕事するなんてとてもできない、って思ってるのかも。でも基本的に有能だし、お給料分の働きや部署での存在価値のために、超ドライな仕事の仕方をしてる。それを、編集長の和田がちゃんとわかってるところが泣かせるよね。「おまえがきっちり稼いでくれるから冒険できる」。くー。
もとい、東江さんのような新人さんが悩んだり苦しんだりしてるのがわからない安井じゃないけど、見ないようにしてるし、かわいそうと思わないようにしてる。深くかかわらないようにしてる。傷つきたくないし傷つけたくないから、心を閉ざしてる。そのことが東江さんを追いつめていって、最後には訣別された。そのこと自体、安井にはこたえないはずだった。コマはいくらでもいるんだから。
でも「マンガを嫌いになりたくないから」って言葉が安井を打ちのめしたんだよね。安井が変わってしまったのも、きっと同じ理由なんだよね。マンガが好きだから、マンガのことで傷ついたり傷つけられたりしたくない。だけどマンガが好きだからマンガの仕事からは離れられない。そうすると、心を閉ざすしかなかったんだ。でも、心を閉ざしてることで、別の人間をマンガ嫌いにさせそうになってた。そして、安井が「いくらでも代わりがいる駒」でしかないと思ってたぺーぺーの東江さんは、マンガを好きでいるために敢然と行動した。これはつらいわー。今のところ、東江さんは正直、商業マンガ家としてやっていけるレベルじゃなさそうだし、安井にも同情の余地はあるし、でも安井ひどいし、でもその分こうしてきっちりつきつけられて、で最後に和田のフォローが入って、フェアなようだけどしんどくて、ぐるぐるぐるかき乱れる胸中で見ました。
そう、安井の覆面アカウントについて、書店員の河さんが、「辛らつだけどマンガへの愛がものすごい」的なことを言うんだよね。同じようにマンガを愛してる河さんには、安井のマンガ愛が届いてる。人とマンガとをほんとに信じてる脚本だなあと思った。
心と小泉のシーンが可愛くて仕方がない。でも常子と星野(@とと姉ちゃん)のシーンもすごく好きで、要するに坂口健太郎がきてる!!!
●7話
ムロツヨシをあてがってて、単なる面倒見のいいアシスタントで終わるはずがないってのはわかってたの。沼田くん。でももう、言葉を失うような出来。見終わって夫と、「ムロツヨシ・・・!」「すばらしい・・・!」「最高傑作・・・!」「すげえ・・・!」ってお互い顔を上気させて呆けたように一言ずつ叫んでたよね。
ついつい言っちゃう、卑屈な言葉。笑いに交えて。わかるなー。胸が痛むよね。全部真正面から受け取る中田。「言霊だから」って、社会性低いおまえに言われたくないよって思うけどこういう奴だからとてつもない作品が書けるんだっても思うよね。そして先生の奥さんに異様な嫌悪感を見せる中田。前回、黒沢のことは「女神」と言ったのに! なんか根深いものを感じさせるなー。
自分のマンガは冴えなくても、中田のネームの凄さは一発でわかって、耐えられなくてインクぶちまけちゃって、隠して、先生にはバレバレで、先生は嘘をついてくれて。「作品を作るのは自分の心をのぞき続けること」。それをしなくなってた。その場をうまく運ぶ、柔らかく、卑屈な言葉で。自分には才能がないこと。でも夢を追っている特別な人間なんだと思いたかったこと。でもわかるよね。自分の心をのぞき続けること、それを継続できるのが、ひと握りの人間なんだ。分かってもらえなければ、評価されなければ、つらいもん。一発で分からせることができるか、分からせるまで追求し続けることができるか。どっちにしても、誰にでもできることじゃない。
そんな繕った心をぶち壊す、天才のマンガの破壊力。自分の心しかない、心のままに書くだけの中田伯。インクぶちまけを奥さんのせいにしたのは、沼田なんか見えてないんじゃなくて、本当は彼自身の問題。そんな中田が、傑出した才能だけが、沼田のネームを理解して、泣く。「自分自身の存在を問う物語」。それは、「自分自分自分」それだけの彼だから、響いたもの。自分を出すことはできるけど、自分を問うことは中田にはまだできない。沼田は、みんなにわかってもらえなくても、「自分の心をのぞいて、表現する」作品を書いていた。足りないけど、そんな才能のかけらが、彼にもあったのだ。それを天才だけが認めた。そして天才にも決定的に欠けてるところがある。「どうしてインクぶちまけたかわかる?」「絵が下手だから?」 うあああああーってなるんだよね。このドラマ。
うしろだ先生の話も含めて、「マンガを描く者」自身の問題をシビアに扱っていたうえでの、ラストの心と五百旗頭の会話は、「編集者って何ができるんだろう?」という、物語のクライマックスに近づいていることをひしひしと感じさせて、まんをじした五百旗頭ターンを黒沢ばりに鼻ピクピクさせながら待つ所存であります!