『自分のアタマで考えよう』 ちきりん

自分のアタマで考えよう

自分のアタマで考えよう

ちきりんの著書の感想書くの3冊目。私も立派なちきりんフォロワーだ。ちきりんといえばTwitterでもフォロワー12万人強を誇る国内屈指の「アルファブロガー」だが、私、こないだ、なにげにちきりんのツイートにリプライして、リプライ返してもらったんだよねーそれだけじゃなく、私のリプ、ちきりんにRTされたんだよねー。あれはなかなか稀有な体験だった。

さて。これは、ほんとうに頭の良い人が書いた本。感動的にわかりやすい。

「考える」って言葉は日常で普通に使われる。「考えてみるね」「ちゃんと考えてよ」「落ち着いて考えてみたんだけど・・・」。考えるのが好き、って人もいれば、考えるのはキライ、めんどくさい、っていう人もいる。

でも、「考える」って何? どういうこと?と聞かれたら、簡単には答えられないんじゃないだろうか。それこそ考え込んでしまう。

この本が明快なのは、考えるメソッドを具体的に示してる点。

なんとなく、「考える」って、「頭の中をグジャグジャにする」ってイメージがないですか? いろんな可能性を思い浮かべてみたり、ひとりで反証してみたり、最悪の事態を想定したり・・・引出しから、なんもかんも引っ張り出して、髪の毛をかきむしるぐらいにウワーっとなって、初めて「考えました」って言う資格が得られるというか。そういうグジャグジャを、なんとかかんとか整理し(たつもりになっ)て結論を出している。

そこへいくと、ハイキャリアなちきりんの「考え方」はむしろシステマティックというべきもので、「なぜ? だからなんなの?」という自問や「情報よりもフィルタリング」重視の方針も明確ながら、ビジュアルを用いた「考え方」が次々に紹介されるのが本当に面白い。

確かに、視覚化の重要性は勤め人時代に教えられたことのひとつ。どんな会社にも、あるだろう「稟議書」や「協議書」等のフォーマットも、もちろん情報を共有し決裁していくための視覚化のひとつだろう。みんなが好き勝手に書いたら(っていうか書く以前に提案とか主張とかいろいろ言い始めたら)、それ読んで(聞いて)理解するだけで時間かかってしょうがないからね。

でも、仕事をしてると、やっぱりゼロから説明して進めていかなきゃいけないことって色々あって、直属の上司に口頭で説明しようとすると、よく「紙にまとめてきて」って言われてた。「言った・言わないの話にならないように」とか「同じこと何度も聞くのは非効率」とかいうのもあるけど、いちばん大きいのは未熟な部下たる私の、「考えを煮詰まらせる」ためだったと思う。

(あ、この場合の「煮詰まる」ってのは本来の意味ね。「行き詰まる」ではなく、「討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく」の意味。)

なんせ、書こうとすると、筆が止まるのだ(実際にはパソコンで作ってます)。理解していたつもりの新しい会計基準や税法。それらが、自社の場合、どのように反映されるか。だから「こういうやり方に変えなきゃいけない」っていう主張。会社が始める新しいタイプの取引には、営業サイドが気づいていないところで、会計上・税務上においてどのような問題があるのか。決算における処理での監査法人との交渉事項。

頭ではちゃんとわかってたつもりで、ちゃんと説明できると思ったのに、いざアウトプットする段になると、「あれ?」ってなる。頭の中で「考えた」つもりの、なんと儚いことか。

「チャート風に書いて」とか「スキーム図を」、「説明と仕訳と対応させて」なども、よく指示された。そういった「図」を作るのにも、コツがいる。文章(箇条書きだとしても)で書くより、表を作るより、「図」を作るほうが、「考え」自体が洗練されていくのを感じた。よりシンプルに、よりわかりやすくするために、取捨選択し、そぎ落とし、けれど肝は落とさず、強調していくことが必要になるから。

本書でちきりんが紹介する、考え漏れを起こさないための「樹形図」や判断基準を絞るための「2×2マトリクス」、情報をまとめていく「階段グラフ」などの視覚化が、さまざまな場面で実用できるメソッドであるのはもちろんだが、要は「考えるとは視覚化すること。頭の中をグシャグシャにすることでなく、クリーンにすること」という提言自体が新鮮に感じられるんじゃないだろうか。

私は特に、「2×2マトリクス」が好きでした。これ、「膨大な判断基準から優先順位の高いものに絞り込む」ための方法として紹介されているけれど、意外と、「2×2だけでも4通りの可能性が生まれる」ってことに瞠目する人は多いのでは? 私がそうでした。それぐらい、人は、考えるときに、たったひとつかふたつの選択肢に凝り固まってそこから動けなかったりするもんだと思う。

以前、 “『社会の抜け道』を読んで愚考するのこと (5・完)”という記事に、「考えること」について言及したことがある。

今さらだけど「考える」ってなんだろう、と考えてみる。「感じる」とか「思う」とどう違うのか? 思うに、感じたり思ったりっていうのはその場限りのことで、考えるとは、感じたこと思ったことひとつひとつを忘れないで、重層化していくことじゃないかな、と。感じたり思ったりを積み重ねていくためには、見たり聞いたり触れたりする機会が随時必要。だから、しつこくすること。考えるって、体力のいることじゃないかなと思う。体力…思考体力? 

一方、本書の末尾にまとめてある、ちきりんによる「考えること」について。

私たちは、日々大量の知識や情報を得ています。(中略)重要なことは、それらの知識をそのままの形で頭の中に保存するのではなく、必ず「思考の棚」を作り、その中に格納するということです。単純に「知識を保存する」=「記憶する」のではなく、知識を洞察につなげることのできるしくみとして「思考の棚」をつくる―――これこそが「考える」ということなのです。

これを読むと、「忘れない」「重層化」「積み重ね」私が書いたキーワードは、割と、的を射てないこともないような気がする。ただしもちろん、私のぼんやりした「考えることについての考え」に比べ、ちきりんのそれは、当然ながらすごく明晰。ちきりんの言う「思考の棚」とは何なのか、については、本書を該当部分まで読むころにはよく分かります。「思考の棚」作りも、およそ誰にでも簡単にできることではない気はする。でもやっぱりとても魅力的。

各章で思考の方法を紹介する題材として、「少子化問題」「生活保護」「戦後の世界経済」「婚活」「就活」「自殺問題」そして「9.11テロ・ロンドンテロ・東日本大震災」と、メジャーでかつ正解のない社会問題を次々と取り扱うのも、さすがの心憎さ。

※追記※
最近も、ちきりんブログにアップされたとある記事が、賛否両論を呼んでいた。賛否両論、つまり「否」の反応も多くあるのが、アルファブロガーたるゆえんかなと思うんだけど、彼女の文章を読んで「上から目線 / 庶民をバカにしてる」っていう感想を持つ人もいるんだなーというのは新たな発見だった。
私は、何のキャリアも地位もない一介の専業主婦だけど、ちきりんの文章を読んでると、気持ちが軽くなったり、希望を感じたりするタイプなので。現実的、実践的な処方箋が必要なときもあるけど、遠い目標や可能性、思いもかけない視点を得るのも、好き。