What a wonderful world!って笑いたい (2)

フィギュアスケートは特に好きなスポーツのひとつ。理由は、ひとりひとりの個性が輝いているからだ。水泳にも、柔道やフェンシングにも、個性なんて本当は何にだって表れるものなんだろうけど、フィギュアスケートは、もう見るからにひとりひとりがまったく違う。異なる体型、異なる衣装、異なる曲、異なる振付で、ひとりひとりが、たった一人きりで氷上に出て、7分ほどの時間を与えられる。やるほうにはすごく大変な面もあるだろうけど、見るのは至福。「自分そのもの」で勝負する(しかないのだ、本当に)選手たちを尊敬するし、その様々な個性が評価され、ファンに愛される競技をすばらしいと思う*1

ただ、この10年近く、フィギュアスケートはもっとも人気のあるスポーツのひとつで、トップ選手はライトからどっぷりまで、多くのファンに…というか、もっと大きな「世間さま」にも注目されている。そこでは、「世の中やっぱりこうなんだな〜」と、ちょっと暗然としてしまうこともある。

浅田真央高橋大輔は、成績や競技のパフォーマンスという点で、国内の第一人者として傑出し続けてきた。と同時に、努力家で、ストイックで、控えめな言動を貫いてきた。彼らは決して言い訳をしない。採点や、環境や、他の誰かに対して批判的なことも一切言わない。

そんな姿勢だけで支持されてきたわけではないけれど、競技者としての成績に、そのような姿勢が伴っているからこそ、特別な存在であり続けているのだと思う。

私も、彼らのそういうところが大好きだ。尊敬している。ただ、「それは彼らの個性」だと思ってる。「彼らのような態度こそがワンアンドオンリー」みたいなのは、ちょっと違うと思うんだよね。

「子供に人気のあるアスリート」のような統計をとれば、浅田真央は、必ず上位に入る。それを受けての「子どもたちは真央ちゃんのような選手を目指すべき。パフォーマンスも、言動も、素晴らしい選手だから」という呟きを見かけたことがある。そういうことを、他意のない「真央ちゃん賛美」として口にする人もいれば、何の疑いもなく「他のスタンスで言動する選手はよろしくない」という意図で口にする人もいる。どちらにしても、「多様性が肯定される世の中に」って観点からみると、よくない傾向だ。

以前、「日本では、アスリートが外でお茶を飲んだり休日を取ったりすると、サボッてる、という目で見られる」「外国では、アスリートでも、競技以外の生活も大事にしている」と安藤美姫が発言すると、ものすごく叩かれていた。叩くのは、いわゆる“世間様”だけではない。フィギュアスケートファンの人々こそが、「じゃあ日本から出て行けばいい」「選手としてやるべきことをやってから発言すべき」などと批判するのをいくつも見た。小塚崇彦が恋人との交際を認めたときにも、批判とまではいかずとも、「オリンピックシーズンを前にこんな姿勢でいいのだろうか」のような疑問を呈する向きが多かったのを覚えている。そして、二言目には、「真央ちゃんは」「他の選手たちは」と比べるのだ。ブログに、真央ちゃんが大好き〜高橋が大好き〜と散々書いてきた私でも、なんだかなーと思う。

そんなにも品行方正でなければいけないのだろうか? 支持されるに足るアスリートとして認められないのだろうか? そもそも、彼らがトップ選手だろうと、競技の中ではベテランの部類に入ろうと、20代の若者なのだ。人間的に成熟していない部分があるのは当たり前だと思うんだけど。「国民の期待を背負っているんだから」「注目を集める存在なんだから」なんてのは理由にならないだろう。私たちが勝手に注目し、期待しているだけなのだ。

一部の選手によってなされる発言は、「問題発言」ではなく、アスリートを巡る環境についての「問題提起をする発言」なんじゃないか、って思うことは多い。きっかけになりうるんじゃないかと。逆に言えば、日本人が好む「謙虚」「黙して語らず」という美徳によって、結果的に問題が覆い隠され続けてしまうこともある。そして多くを語らないことは、外野にうるさいことを言われず競技に専念できるという意味で「合理的」な面もあるのだ。

単に、安藤美姫は「批判されるとわかっていても、正直でいたい性格」で、浅田真央は「潔く、慎み深くありたい性格」というだけかもしれない。比較してどうこう言われることなく、そのどちらもが、もちろん他のどんな選手の個性も、あたりまえに受け容れられたらいいのになと思う。

出産やその発表の経緯で、フィギュアファンからも多くの批判にさらされた安藤美姫が、最後の試合になった全日本選手権で演技を終えた後、いつまでも鳴りやまないような、会場じゅうの大きな大きな拍手に包まれていたのを見たときは、うれしかったなあ。ネットなんかでは肯定より否定の意見の方が目立ちがちだったりするけど、やっぱり彼女にエールを送るフィギュアファンはたくさんいるんだね、と思った。あるいは、出産発表のあとにはネットでグチグチ言いながらも、実際に演技を見ると思いがけない感動でついスタオベしてしまった…なんて人がいてもおかしくない。彼女の背景の物語云々関係なく、本当にすばらしい演技だったからね。

そう。すばらしい演技をできるってことは、すばらしい選手なんだよ。選手なんてその点のみで評価されるべきだと思うんだよ。そのほか、試合の選び方や、練習の仕方などキャリアの積み方、発言の内容やスタンスなんて、それぞれの個性。個性はすべて、あたりまえに肯定されるべき。「世界にひとつだけの花」って歌があんなにもてはやされる世の中はうんざりなの。あんなの、当たり前の話なんだから。(つづく)

*1:もちろん、北米…ロシア…ヨーロッパ…など、地域ごとに好まれる個性や演技の傾向はあるし、たとえば小国の民族音楽で滑るより、メジャーなクラシックや映画音楽で滑った方がウケがいい、というような問題は存在しているだろうけれど