師走の十六

●12月某日: 夫が昨日から二日連続で忘年会。ゆうべパパが帰る前に寝て、今朝はパパが出勤してから起きたサク。今夜も21時過ぎ、「さあ、そろそろおふとんに行こうか」と誘うと、「やだーーーねないよーーーねたらパパがかえってこないよーーー」と言って、みるみるうちに半泣きに。かわええ〜。思わずほだされて、「じゃあもうちょっと起きててもいいよ。パパに、何時ごろ帰るかメールしてみようか?」と提案すると、ニッコリ笑って涙を拭き「メールしてみる!」。「あと1時間ぐらい」との返事だったけど絶望させそうだったので「もうちょっとだって〜」と詳細は伏せて(笑)、少ししてから再度誘うと今度は素直に布団にやってきた。いったん寝たら朝まで起きない健やかな子どもに、「パパが“ただいまー”って帰ってきたら、起きてもいいからね〜」と甘い言葉を囁きながら寝かしつける。帰ってきた夫は話を聞いてきゅんきゅんしてた。夫はさんざん飲み食いしてきたようだがなぜか2次会(いや3次会か?)をしたがり、だらだらとふたりで冷酒を飲む。

安倍首相、靖国神社参拝。なんかさー、靖国自体は、まあもともと戊辰の役で勝った方しか祀られていなかったような「国策」の社であるとか、最初から非常に政治的な匂いがあるものにしても、名もなき多くの英霊が眠っていることを思えば、やはり尊重したい気持ちはあるのよね。ただ、それがいまだに、参拝するにしろしないにしろ、日本でも外国でも、右にも左にも、とにかく政治的に扱われるのが、もう、やだ。いつまでこれを繰り返すんだろうと思う。参拝するのが毅然とした態度だ、というのも、しないのが世界への配慮だ、というのも、どちらも同じくらい食傷で、なんとかして、そこを突き抜けることはできないものかと思う。それは、A級戦犯分祀するとかそういうことじゃなくてだね…靖国を、モロモロのイデオロギーの象徴にしない流れをつくれないものか。それには、内外の政治家はもちろん、マスコミや、市民の成熟も必要だろう。