『八重の桜』への愛を語る (3)

孝明天皇とご宸翰
放送前にキャスティングを聞いたとき、「あー無難乙」ぐらい思ってたんですよね。そこは「平清盛」が伊東四朗白河院以降、怒涛の“野球チームが作れる”天皇9代(堀河帝は出てこなかったので除きます)、「そうくるか!」ていう凄いハマりキャストを繰り出してきてたからさ、今さら「天皇=伝芸枠」ってやられると、どうしてもインパクトなくて。

・・・・ごめんなさい。伝芸ナメてました。や、言っとくけどあたし、もとから歌舞伎も染ちゃんも好きだから! 大好きだから! でも正直、普通にハマるだろうとは思ってたけど、ここまでの迫力っていうんですか、存在感?を醸し出してくれるとは思いませんでした。

孝明帝の造形でありがちな「断固攘夷」という頑迷さ、世間知らずを強調しない脚本もよかったが、線が太く、男性的で、人間味あふれ、それでいて圧倒的な高貴さを漂わせることができるのはやはり役者の力が大きい。その高貴さも、「前近代的なものの極み」という感じなんだよね。同じく前近代的価値観を身上に生きる容保と、互いにひと目で恋に落ちる(違)のがよくわかる。

出会いでの「なんてきれいな目ぇや…」も大概wwだったけど、16話「遠ざかる背中」での最後の対面もすごくよかった。「わしにはそなたが支えであった」「苦しさをまことに分かち合えたのはそなた一人」「もったいないお言葉…」はらはらと泣く容保。ちょ、これどんな熱烈なラブシーンwww そして言うべきことは言ったと立ち上がりくるりと背を向けて、長袴を引きずりながらすり足で悠然と去っていく染ちゃんの所作がもう、すばらしくて…!

第8話、長州の偽勅に悩まされる帝が会津へご宸翰をくだされる場面も大好きでした。神保修理が恭しく文箱?を捧げ持って入ってきて、「御一同、お控えくだせぇ! ご宸筆でごぜぇやす!」と声を張ると、モーゼの海割りよろしく、ズサササーッとご宸翰が通る道ができるのね。容保も上座を降りて平伏。御家訓にせよ、藩主すら問答無用でひれ伏させる前近代的価値観のシンボルというべきアイテムの使い方が、序盤ではとてもうまかったと思う。ほんっと、あんな大事なもんを、明治に入ったからって、ホイホイ開陳するわけないんだよ。ばか。

稲森いずみの照姫
前近代的な良さといえばこの人も外せない。これも放送前、キャスティングを知ったときは「ま〜た、稲森さん頼みかー。無難、無難。てか、いくら血のつながりがないとはいえ、容保の姉にしてはトウが立ちすぎでしょ」と思ってました。申し訳ございません(土下座)。お国入りした照姫が道場を視察に来る場面、あそこで放射された桁違いの貴人オーラは忘れられない。品が良いというのは滝川クリステルのようなのではなく、この人のような口跡だと思いますね。会津の娘っこたち同様、私も陶然となったもんです。籠城戦では、やっとやってきた八重の見せ場をフィーチャーするためか、塩の備蓄を確かめさせる以外、女たちをまとめ上げたと伝わるこの人の高い実務手腕が描写されることのなかったのが残念だが、「降参」の二文字を一気呵成に書き上げるシーンはすばらしかった。


●麗しく哀しい神保夫妻
大好きでした、神保修理。本作中、「訛りすぎる二枚目」の筆頭格。言葉少なに主君のそば近くに控え、その苦悩をすべて感じ取っているような姿。静かな強さ、柔らかな知性を、斎藤工くんはとてもうまく表現していたと思います。いつだったか、薄幕を張りめぐらした小さな空間の中にひとり座して思い悩む容保、その幕の中に修理ひとりが入っている、という短い映像が美しすぎました…! ベストセリフはもちろん、目を患い苦しむ覚馬に対して言い放った、「私は五体のすべてを賭けて殿にお仕えしています」。おお、なんという香ばしさ…! すいません、ちょっとふざけました。

もとい。第21話「敗戦の責任」での修理の最期には、史実をしっていてなお、ものすごい衝撃を受けました。ちょうど、温泉に入ったあと焼肉を食らいビールを飲むという超享楽的な見方をしていたんですが、45分が終わったあと、寝つくまでずーっと、ドラマの内容が頭で残響してたのを覚えてます(と言いつつその後も超飲み食いしてましたけどw)。これ、会津の悲劇の序盤だったから、ことさら印象が強い…てのもあるかもしれないけど、武士らしい討死ではなく、会津の中の慎重派だった彼が、あれよあれよというまに奔流に巻き込まれて死を待つしかなくなる、という急展開には本当にいたたまれないものがあったのです。

史実に対する「救い」というべき創作が随所に見られた脚本の中で、修理の最期はもっとも好きだったかも。容保が忍んで修理に会いに来て手を握り、涙ながらにみずから切腹を申しつける。修理はすぐさま平伏し、「有難く承ります」。良いシーンだった〜。

都の月を見ながら語り合うシーンには親子の情趣にみちていたのに、重臣たちに向かって「修理が間違っていたならば腹を切ればいいこと」とこともなげに言い切る父・内蔵助も良かった。妄言・讒言を寄せつけない鋭さを漂わせてた。

そして雪さん。端正な、いかにも高級武士のご新造さんという雰囲気の彼女が、八重らと女同士の会話で、「嫁いですぐ、上京が決まったから、早く良い妻にならなければと思ってたいけれど、本当は、旦那様に叱られたり、喧嘩してみたりしたかった。帰ってきたら、最初から夫婦をやりなおしたい」と、いっそ茶目っ気のある笑顔で言うシーンがすごくすごく好きだった。けれどそんな彼女が夫を不遇の死で失くし、自らも惨い仕打ちをうけたのち自死を遂げる(泣)。囚われたあとの凄惨な表情、脇差を与える土佐藩士とのやりとりも胸に刺さるものでした。

この麗しく哀しい夫妻がほぼ唯一の2ショットを見せた、上京前の旅。運試しに鳥居に石投げをするシーンのフラグっぷりも半端じゃなかったですよね〜。落ちてきちゃうから、張りつめた顔で何度も投げようとする雪を、静かに制する修理。後年、「なあ、八重さん。神様を試すもんじゃねえな」と言うシーンで回収するのも完璧で…。ああ、都に出立する行列を見送りながら、小走りのように追いかけていくシーンもあった。決して出番は多くないのに、なぜかどれも忘れ難い印象がある。


●見よや、山川大蔵
「訛りすぎる二枚目半」ってところか。良いキャラでしたよね〜。「まっとうな人間の中にある人間くささ」では本作随一だったのではなかろーか。大蔵をまっとうな人間と言えるかどうかは論が分かれそうでもあるが(笑)。本役では、普通に優秀な、将来性豊かな藩士として登場したのでどんなキャラになるのかと思いきや、「八重さんは会津そのものだから…」の迷言のあたりから徐々に頭角をあらわし、おロシヤから帰還するとすっかり羽化(と言っていいのか笑)。知恵者で、勇敢で、忠義心に厚く、同時に思い込みも血の気も多く、間が悪いという熱い(暑い)山川大蔵像に、玉山鉄二はぴったりだった。イケメンなのに洗練されきれてない感じ。苦み走っていても渋くはない感じ。

史実を無視して主人公に恋心を抱く、などという設定は、たいていウザいだけで終わるのに、彼に限っては生ぬるい微笑みで見守ってしまった。名将ぶりを見せた日光口の戦い&熊本城入城は華麗にスルーされ、彼岸獅子入城はカタルシスというより次なる悲劇のフラグのように扱われ、捨松の結婚あたりでは軽々しいパフォーマンスもさせられるなど、ドラマではかなり不遇続きなのに、「それが逆にちょっと美味しい」感を漂わすのは見事だった。シチュエーションには創作もあったが弟・健次郎への「腹を切れ」をやったのも本作の収穫のひとつでした(よね?笑)。あのときの顔、最高www  左巻きに巻きまくる明治編の中で、一貫して「俺は過去の痛みを忘れない」という言動を続けたのも、視聴者に支持され続けた理由でしょう。斎藤工とともに、また大河で良い役に恵まれますように!