生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために (1)

はだしのゲン閉架図書扱いの件がきっかけで、この夏は私のTLにも平和教育についてのツイートがよく流れてきた。いろんな意見があったけど、小学生ぐらいの子どもに何をどこまでどのように教えるか?てのは、けっこう難しい問題だと思う。

今、福岡市では8月に登校日をもうけて平和授業をやっている小学校はゼロだし、平和授業自体、減っているらしい。その背景には、「子どもが怖がる」とか、「教え方がわからないと悩む若い先生」とか、「8月に登校日をもうけても出席率が低い」などがあるらしい。

怖くてなんぼ、って話だとは思うんですが。小学生に向けた平和授業は、怖がらせるのが目的だよね。注射針でワクチンを打って体内に抗体をつくる、みたいな。

まあ、子どもだってそれぞれだからねー。私は異様なくらい怖がるタイプで、平和授業のある日は「学校行きたくない…」と言うのを始めとして(当然一蹴される)、帰っては「ひとりで寝たくない…」「怖いから離れないで…」と親につきまとっていた(相当ウザがられていた)。授業後しばらくは、飛行機が上空を通っただけでガクブル,(((( ;゚Д゚)))してた。福岡って飛行機がけっこう低空を飛ぶんだわ、これがまたww 

6,7歳だと、感情をコントロールするのって難しいから、微に入り細を穿って教えてもらうのは、抽象的な思考が芽生え始めると言われる10歳ぐらいからにしてほしかったかな、とも思う(今はそうなってるのかな?)。トラウマになりすぎて、長いこと、授業以外、たとえば新聞やニュース等でのその手の話、一切シャットアウトしてたもん。でも、同じ学校で平和教育を受けたみんなが、これほど(行きすぎなぐらいの)抗体を身につけたってわけじゃない気はする。のんびりしてる子は、「ふーん?」て感じだったんじゃないかしら。のんびりしてる子にも意識をもたせようと思ったら、いきおい、“怖い話寄り”になってしまうのだろーか。

ともかく、怖がる気持ち、ショックな気持ちをもつことで、「こんなことが過去にあったんだよ。怖いよね、悲しいよね。もう絶対に繰り返してはいけないよね」ってことを深く刻みつける。小学生ならそれで十分だし、心の柔らかいうちに、義務教育で全員に教えようというのが小学校の平和教育の主旨なんだろうと思う。逆に言うと、小学生にはそれが限界だ。

平和教育減の背景では、「教え方がわからないと悩む若い先生」とか、「8月に登校日をもうけても出席率が低い」のほうが問題の根が深い気がしてる。それらは、大人の問題だよね。自信をもって教えられない先生。まあ平和授業は欠席してもいいかな、と判断する親。

はだしのゲン」問題然り、平和教育の問題が取り上げられるのは、ほとんどの場合、小学校に関してだけだ、というのも同じ問題だと思う。私は、「その先ももっと俎上にあげませんか」と思ってる。「平和教育、イコール、小学生」ってわけじゃないだろうと。「怖いよ、悲しいよ。自分が痛いのも家族が死ぬのも人を傷つけるのもイヤだ」ってのは根幹だ。でも、平和教育ってそこで終わっていいんだろうか? (つづく)