『遠い太鼓』 村上春樹

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

1986-89年、ギリシャ・イタリアに住んだ時代の旅行記。といっても、身辺雑記のような文章が、しかも膨大。すわ、京極夏彦の小説か?!と思うぐらいの分厚さである。でも、さすが春樹。読ませるんだなあ。知名度ほとんどゼロの島から島の話だろうと、読んでも読んでも飽きない…。

小説が十万部売れているときには、僕は多くの人に愛され、好まれ、支持されているように感じていた。でも『ノルウェイの森』を百何十万部も売ったことで、僕は自分がひどく孤独になったように感じた。そして自分が多くの人々に憎まれ嫌われているように感じた。どうしてだろう。表面的には何もかもがうまく行っているように見えたが、実際にはそれは僕にとって精神的にいちばんきつい時期だった。

文章がうまいってすごい。こういうの読むと、「経験主義、敗れたり!」て思いますね。小説を百何十万部も売るぐらいの知名度だなんて、読者の99%以上が経験しえない出来事だと思うんですが、なんか、その孤独が、入ってくるもんね、胸にスッと。

ともかくこういった心境で日本を離れ続けざるを得なかった、という事情もあるんだろうけども、それにしても3年間も旅行者=ストレンジャーであり続けるってすごいなと思う。村上さんはこののち、90年代に入ってから、アメリカ東海岸プリンストン大学に赴任して一年だか一年半だかの時を過ごすのだけれど、そういった「団体」に属するわけでもないのが、このヨーロッパでの三年間だ。奥さんと二人暮らしで、特に友だちも知り合いもいない、日本人すらほかにほぼいない場所での、37〜40歳の三年間。

よく、精神の平衡を失わず、淡々と、こんな面白い文章を書き続けられたもんだなあと感心する(当該旅行記のほかに、この3年間で、『ノルウェイの森』のほか、『ダンス・ダンス・ダンス』も完成させている)けれど、こうやって書き続けるからこそ、平常心でいられるのかもなあと思う。「とりたてて何もない島」「ぱっとしない町」なんて、どこに行っても結構ズケズケ書く村上さん。でも、ふつう、とりたてて何もない、ぱっとしない町のことを、あんなに面白く書けやしない。観察力や表現力がハンパないのだ(って村上さんに向かってあらためていうことでもないけど)。やっぱり村上さんといえば「小確幸」だよな〜、冴えない日常を楽しむ能力って大事よな〜。と思うのでした。