サクことば36 どちて坊や100本ノックの意外な効用?

7月、「すげーきっちりプログラミングされてんだな!」とびっくりするぐらい、3才になるやいなやのタイミングで、「どちて坊や」化したサク。今現在も続いている。そのころの記録より。

(例)新しい新幹線のおもちゃを手にもって 「これ、なに(誰が) かってくれた?」 ←パパが買ってくれたことは本人も知っているのに、尋ねる。私「パパが買ってくれたね」。サク 「なんでかってくれたの?」 ←わかってるくせに何度も尋ねる 私「サクちゃんのたんじょうびだったからだよ」 サク 「へぇー、これ、なんのしんかんせん?」 ←知ってるくせに、たずねる。私 「“つばめ”だね(九州新幹線の名前)」。サク 「つばめってなに?」 私「新幹線のなまえだよ」 サク 「しんかんせんってなに?」 私「新幹線は新幹線だよ」←この“負けた”感・・・・。

最初はこんな感じで、「どうして」よりは「○○って何?」のほうが多かった。知っているくせに尋ねることもしばしば。その後、「どうして」のほうが優勢になる。とにかく特徴的なのは、Q&Aが決して一往復では終わらないこと。こちらが返すと、すかさず、また打ち返してくる。こっちが息切れしそうなぐらいのラリーになる。てか普通にだいたい親の方が負けてる(笑)。

話してる内容じゃなくて、ラリーすること自体に意味があるのかなって気は、最初からしてた。質問して(されて)答えて(答えられて)終わり、っていうんじゃなくて、何往復もするのが、なんか大人の会話っぽくて楽しいんじゃないのかな、と。だってこちらが答えることを吟味する様子がほとんどない。まあ、もちろん、幼児相手の答えなので難しいことを言うわけじゃないけど、あまりにも間髪入れずに返してくるから。

楽しいっていうのを超えて、無意識の言動って感じすら、してきた。なんか本当に、脳の言語分野にプログラミングされていて、ある時期になるとそれが発動する、って感じの。なんか自分でもよくわかんないけど言っちゃうんだよ〜っていうww 言語発達において必要な段階なんじゃないか、これは。

というのは、最近ふと、おうむ返しの言語能力がすごく上がった、と感じたからだ。

言葉を話し始めたばかりの、1歳半すぎのころ、文章で話しかけても、文章で返されることはなかった。たとえば、初期は、「ヤクルト、飲む?」と二語で尋ねても、「のむ」という一語しか返さない。「ほら、あっち見て。おっきいワンワンがいるよ」と話しかけても、「ワンワン」としか言わない。少し発達すると、「おっきいワンワン」とか「ワンワン、いるね」とか、二語で返すようになる。

大人だって、長い英文をベラベラ〜と話されて「はい、リピートアフターミー」って言われても、あわわあわわ、てなるもんね。理解できるところしか、あるいは、理解できないところは限られた語数しか反復できない。

そのうち、サクは、

ママ「はい、まず手を洗って」 サク「どうして てを あらうの?」 ママ「ごはん食べる前は手を洗うんだよ」 サク「どうして ごはんたべるまえは てをあらうの?」 ママ「汚い手で食べたら汚いでしょ?」 サク「どうして きたないてで たべたら きたないの?」 ママ「汚い手で食べたのがお口に入って、お腹いたいいたいになったらいやでしょ?」 サク「どうして きたないのが・・・おくちにはいって、おなかいたいいたいになるの?」

って感じで、けっこう長い文も、かなりすらすら〜〜っと反復するようになった。けっこうすらすら〜っと反復されるので、こっちも、自然と、割と長い文で、また返してしまう。もちろん、自分のキャパシティを超える文や語彙があった場合は、大胆に省略したり間違えたりするんだけど、かまわず、堂々と反復する。

このラリーが、毎日まいにち毎日繰り返されて、知らず知らずのうちに百本ノックのようになっていて、子どもの言語能力はまた発達するようだ。

そして最近はまた少し様子が変わってきてるのを感じる。

ママ「それ、閉めといて」 サク「どうして しめとくの?」 ママ「こわれちゃうから」 サク(ニッ、と笑って)「だいじょうぶだよ」

サク「これなに?(←知ってるくせに)」 ママ「マイクだよ」 サク「どうしてマイクなの?」 ママ「えー? マイクは、歌うときに使うんだよ」 サク「なに うたおっか?」

こちらが力尽きるまで続いていた「どうして攻撃」が、2,3回でやむのだ。ただがむしゃらに、どうしてどうしてと繰り返していた時期を終えて、「どうして」と聞きつつ、相手が答えた内容を考えて、それに沿った答えを返すことで、会話が続くようになっている。

「内容を吟味する → 会話が続くようになる」 というより、「反復することで(形式的にだが)会話が続くようになる → 中身のある連続した会話が生まれる」 という順番って感じ。意外で面白い。言葉は「ならうより慣れろ」だと、子どもは生得的に知っているのか。

森羅万象の理由を知りたがり、突き詰めたがる、真の「どちて坊や」になるのは5歳ぐらいかな…。