『秀吉の枷(上・中・下)』

秀吉の枷〈上〉 (文春文庫)

秀吉の枷〈上〉 (文春文庫)

本屋でタイトルを見ていた発売時(2006年)、「秀吉に枷を(もちろん比ゆ的な意味で)嵌められた誰かの話なのかな?」と思ってた。違った。まんま、「秀吉に嵌められていた枷とは?」という話だった。なんか、「今さら秀吉の話?」という気がせんでもない。歴史に多少の興味があれば、秀吉の一生なんぞ、だいたい知っている。大河ドラマに一番多くクレジットされてきたのも秀吉ではなかろうか。

しかし、著者の前作『信長の棺』が面白かったので、こちらも読むことに。ちなみに「信長の棺」は著者75歳のデビュー作で、以下「秀吉の枷」「明智左馬助の恋」で三部作なのだが、各シリーズは独立しているのでどこからでも読めるはず。ただし、どれか一作を読んでピンとこなかったら、きっと他のどれも合わない。三作は同じ世界を別々の人物の視点で描いたもので、ええい、つまり、本能寺の変のカラクリが共有されているのだ。

私はそれがけっこう好きだ。ややもすれば、荒唐無稽とか、もっといえばキワモノと評されるぐらい奇抜な設定だが、フリーダムな創作ではなく、たくさんの史料を読み込んで突き合わせ、実現可能な枠の中で、かつ大胆に推理されたものが多い。実際に見つからなかった信長の遺骸について「そうかもしれない」と思えることは何より大事だ。

だから、この「秀吉の枷」も、秀吉の前半生―――本能寺の変の前後まではかなり面白く読んだ。行動面、心理面、幾多の登場人物たち、どの描写にもワクワクして、早く読め読めと急かされる。冒頭なんて、「竹中半兵衛が消えた」である。半兵衛で始まる秀吉譚って何なのよ?! 「今さら秀吉の話」と思っている者にとっては、目の醒めるような導入部だった。

一方で、後半は長く感じた。小説なのか、実録なのか、判然としない部分が増える。つまり物語に勢いが感じられない。秀次殺しについての推理はとても小粒。妻妾・子らを皆殺しにする必然性が薄い。

だいたい、秀吉の後半生が暗いのはほとんど真実なので、どんな作品に触れてもおしなべてしんどい。中でも、破竹の勢いで天下に向かって突き進む若き日の秀吉だけではなく、子に恵まれず、体も心も蝕まれながら、豊臣の血を守るために足掻く老境の姿も、この物語の主題なんだろう。とりわけ、読むに忍びない描写もさまざまある。実はそこも「信長の棺」と重なる部分なのだが、あちらでの秀吉は「敵役」であったので、単純な嫌悪感や憐れみで流し読みできても、こちらでは清廉で溌剌とした若き日の姿も鮮やかなうちに突きつけられるので、本当にしんどい。

しかし、しんどい思いをするだけはある。ところどころで胸つまされる、人間・秀吉(と、正妻おね)の姿が見られる。いきなりネタバレしちゃいますけど、この小説、淀不倫説をとっている。これ読んだら、やっぱりそうだよね、と思いますね。私がこれまで見たり読んだりしてきたものでは、だいたい8割以上は秀頼を実子としているけど(国営放送なんかでは、不倫の子にはしにくいんでしょうなあ)、やっぱり無理があるよね、と。著者は鶴松と秀頼の懐胎時期と秀吉の動きとを突き合わせて、同衾が可能であったかどうかを検証しているのだが、これ、史学界でも共有されている認識なのだろうか、気になる。

最後には、前作の信長の死と、秀吉の死とを対比するのであるが・・・ここは、信長のほうがドラマチックだったかな。また折を見て、最終作に挑みたい。今作でも快男児としての顔を覗かせていた左馬助だけに、期待している。