『Woman』 第1話

うわーん泣きまくりで頭が痛い。坂元裕二の本の真骨頂といえばラスト近くの長台詞なんだけど、それよりも、経済的に困窮するシングルマザーの細かい描写がすごかった。寝物語にもういないパパの話。最高の祝福を受けながら生まれてきたのよと。パパは隠れてるだけで笑っていたら出てくるかもよ、と話す笑顔。小さい子ふたりを連れて急かしながら、ベビーカーもたたんで乗る朝の満員電車。泣く赤ちゃん。周囲の大人の舌打ちと母親のいたたまれなさに反応するように、上の子が泣き続ける弟を叩く。母親は下の子をあやしつつ、上の子をなだめるために精いっぱい元気な顔して言葉遊び…。なんだこれ。なんだこれはよぅ…。子どもを愛していて幸せにしてやりたくて自分を不幸だと思いたくなくて、懸命に「こんなことはなんでもない」と言い聞かせるかのような日々から徐々に染み出してなくなっていく余裕。やがて保育園や託児所に通わせることができなくなり、食卓の品数が乏しくなって、子どもたちだけを部屋に残して夜まで身を粉にして働いても、公共料金や部屋の更新料を捻出するのがやっと。日がな寂しく、退屈している(であろう)子どもたちが結託して、ふざけて意識不明のふりをする。真剣に名を呼び揺り起こす母親にカミングアウト。母親は子どもたちを怒るよりも前に脱力して、手で顔を覆って頭を垂れ、泣く。普段は明るくて優しくて、怒る時もあるけど明るいお母さんが、こうやって時々、声を殺して泣く姿を、子どもたちはちゃんと見て、感じている。共鳴したり、お母さんに笑ってほしいと思っていたりする。そんなことを想像するにつけ、泣けて泣けて。2011年の夏、とうとう生活保護の申請に行った窓口で、担当のおじいさんが「今年は多くの方がつらい思いをされているのですから・・・」みたいなことを言う場面もすごかったなあ。そのセリフもだし、「わかってる、そんなことはよくわかってるけど」とでも言うようなすごい顔で頷きながら聞き流す満島ひかりも。

そしてこのドラマのすごいとこは、死んだ夫が小栗旬なんだよ! それもとびきりの好青年バージョンの。小栗旬と愛し合って、ささやかだけれど幸福な家庭を作って、子どもをふたり授かって、それで遺されてるんだよ。部屋には笑顔の遺影と愛用のカメラ。玄関にはゴツい登山靴。相手が小栗旬であることによって、その喪失感のデカさが、あまりにもダイレクトに視聴者に伝わるわけ。これまでも、ドラマ序盤で死ぬ配偶者が著名な役者、っていうのはイロイロ例があって、たとえば西村雅彦とか(ニュースの女)、木村多江とか(チェイス〜国税査察官、だったかな?)、佐々木蔵之介とか(天海祐希が料理の苦手なシングルマザーをやるスペシャルドラマ)とかがパッと思い出されるんだけども、死んだ配偶者として最強すぎる小栗旬。だって小栗旬が夫だったんだよ!! 小栗旬を失ってしまったんだよ! その悲しみ、その痛み、けれど小栗旬に恥ずかしくないように生きなきゃとか、小栗旬の子どもなんだからとか、満島さんの気持ちをイヤってほどに想像しちゃうわけ。あー、あたし、小栗旬と結婚できなくてよかったなあ、あんなつらい思いをするなら…とか、わけわかんないことまで考えてしまったよ。

というわけで、小栗旬と死別して生活が苦しくなるシングルマザー、ってことだけでもう十分すぎるほど見てて胸が痛いんで、10年以上?没交渉になっている母親との確執とか、腹違いの妹とか、何やら重そうな病気とか、そういう枝葉はもうイラネ、て思えてる。や、そーゆーのがなかったらドラマになんないのはわかるんだけどさ。とりあえず、「Mother」の“うっかりさん(田中裕子)”に対応する今回の“ナマケモノさん(小林薫)”、敵でもないけど味方でもないって感じの山本耕史に対応するのが、今作の高橋一生、ってことでOK? あ、谷村美月夫妻もいるな。そんなに登場人物必要か? みんなしてあの母子の力になってくれるなら万々歳だけど。