『八重の桜』 第26話「八重、決戦のとき」

なんか、今日の放送ってほんとにたった1日の出来事だったんですってね? 次から次、立て続け、矢継ぎ早に、あっちもこっちも悲劇のオンパレードなんですけど、一個一個噛みしめてたら辛すぎるんでいっぺんにやってくれてよかったわ・・・などと不謹慎な感想も出てくるってもんです。予備知識と予告でだいたいわかっていたので何とか耐えられたけど、これ、事前情報ゼロで見た人いたら相当なトラウマになるんじゃなかろーか。

先週からの続き、お城に上がる山本家女子。家族が出払ってる高木のおばあちゃんを誘って一緒に行くついでに隣の日向さんちのドアも叩く。八重の男装に開口一番「なんだその恰好」とびっくりするユキさんの反応は当然なんだけどテンションがいつもと同じで良かったですね。ナチュラルに別れたふたり(泣)。土壇場で鈴木のばっぱ(from あまちゃん)…もとい日向さんちのおばあちゃんが「わだすは行かね。こんな年寄りがお城に入ってもごくつぶしになるだけだから」と言い出すのは「おいおいおい! それゆうべのうちに言っといてくんねーかな!!!」て話なんですけど、そういうふうに思ってしまう気持ちもわかるよね・・・死にたくないけど足手まといにもなりたくないもんね・・・(泣)

ぞろぞろと列をなしてお城に入る女子供の図は空撮で。八重さんちは(八重以外ww)普段着っぽかったけど、既に白装束着てる人たちがチラホラいるのが絵的に地味な衝撃でした。しかし改めて思うに、藩士の妻子の数ってどれくらいいたんだろう? そしてお城の収容人数は? 何日間籠城するつもりだった? 災害の時の避難所のように三々五々で陣取っていたけれど、時代や情勢を考えると、避難所よりもきびしい環境ですよね。現代の災害の場合、やがて全国から食糧はじめ支援物資が届くことが見込まれるけど、四方八方敵だらけなんだし。

そういう状況下で、城に入れと言われても、やはりお年寄りや、たとえば藩士である夫や息子が既に戦死している家庭などは、足手まとい感や絶望感から躊躇したんじゃないかなあ・・・などと思ってしまいます。この1日で300人の妻子が自決した、とかいうナレーションがあったけど、西郷家などのような特例(?)の人たちのほかに、そういった人たちもいたんじゃないかなあ、と。あるいは、劇中でも描かれたように、逃げ遅れたあげく切羽詰まって、という人もいたんでしょう。実際、新政府軍の進軍はすごく速かった=会津の情報収集能力がすごく遅かったので、入城が間に合わなかった人は多かったといいます。

ともかく、その300人が全体の婦女子の半分を占めるってことはさすがにないでしょうから、少なくとも3百人とか5百人とか単位で入城してるってことですかね。もちろん年寄りと子供の男子たちもいます。兵糧だけでも気が遠くなりそう…

逃げ遅れた日向さんち一行。「こんなところで死にたくない」と早々に並ぶのを放棄して逃げようとするユキさんの判断が、これまでのキャラクターや剛力さんの演技の雰囲気と相まって、こちらもとてもナチュラルに感じられました。そうだよね、もはやこれまでと悟りきる人(神保さんちの雪さんのように)もいれば、こうやって逃げ延びようとする人もいたはずだ。てか、ここでまさかの六平さん無双〜〜〜!!! 具足といい、装備が、まんま戦国時代なのも泣けます。目も血走ってるみたいで迫真だった…。

そして神保雪さんは何がどうなって一人になってるのか、巷間伝わる説(実家に行ってみたけど神保家の人間は入れるわけにはいかんと言われたとか、あるいは逃げてる途中で新政府軍につかまって凌辱されたとか…)をやらないのは意外だったし、説明不足にも感じましたが、ちょ、それを助けた娘子軍!! 「照姫さまは坂下(村)に行かれたので私たちもそちらへ」って、姫さま普通に城におられるがなーーーー! これは世紀の誤報ってことでいいんでしょうか?! 待て次週!!

そう、八重さんの異様ないでたちに城の女子衆はふつうにドン引きしてますが、さすが照姫さま、率先してその意気を認めます。以前、諏方神社で八重さんが披露したガンオタな一首からの「会津の魂を弾にこめよ」だったんでしょうが、これ多分、「弟とともに戦います」の一言がかなり効いたって感じもしてちょっと面白かったです。んもう二人ともブラコンなんだからぁ。

その姫さまの義弟は指揮を執っていた滝沢本陣が「ここも危ない」ってことになり、誰に「逃げろ!」と言ってるのかと思ったら実家の美濃高須家の弟にして桑名公の定敬でしたね。この期に及んでお坊ちゃま然とした定敬に比べ、鬼気迫る表情と言葉で促す綾野くんカッコよすぎワロタwwwでしたが、このシーンをわざわざわざわざ入れてきた意味を考えちゃいましたよね。だって戦争したら死人が出ることぐらいわかりきったことで、殿もまさか会津藩士やお百姓さんたちが誰ひとり死んでないとは思ってないですよね。まして先週、年端もゆかぬ白虎隊まで戦場に送った人ですよ? それでも戦い続けてるわけなのに、弟にだけあれほど強い調子で死ぬな、逃げろと言う、その心は奈辺にありやと。

やっぱり一兵卒ならともかく身内が死ぬのは忍びないのね、そーなのね、と狭量に解釈したくもなります(その解釈を拒む演出はなかったと思う)が、まあ、やはり、のちに八重さんが言うように「これは会津みんなの戦いだ」という認識であるからして、ある意味、会津人の命をいちいち忖度してなかった、って解釈が妥当なんですかね…? もう少し穿った想像すれば、桑名のしかも藩主である(自藩の事後処理をする必要がある)定敬が会津で死ぬことは許されない、という認識イコール、自分も戦争のすべてに何らかのケリがつくまで死ぬつもりはない、という認識だったのか。この時代、家老とか将官クラス、一兵卒は腹を切っても、殿さまはそうしませんよね。これは立場によって責任の取り方が違うということなのか、殿さまはまつりあげられるだけの存在で、事実上のトップは家老クラスだったからということか、あるいはやはりいつの時代もわが身可愛いトップは多いということか…。

ともかく弟を逃がした(しかしこの攻められ方で逃げられたのか? 弟もいちお逆賊扱いされてるんだよね)殿は、ほうほうのていで城に帰還します。これがもう、ほんとギリギリ滑り込みセーフ!! 容保が下馬した10秒後ぐらいにもう新政府軍きました。ちょ、いくらなんでもねーよwww あれに追いかけられて帰ってきたんならマジでちびるレベルwwwww って思ったら、あれけっこう、盛ってない描写だとか…? 引くわードン引きするわー。新政府軍の銃火器の威力を門の影から見てる殿のお姿、マッチゲ権八にぐいぐい細腕を引っ張られながら城に入っていく様子が情けなや…泣

あーそうだ、今回で1話冒頭とついにつながったわけですが、その時にも出てきた、頼母「殿!殿!殿はいずこにおわす」 容保「頼母…」のときの殿の乙女すぎる顔はあらためてすごいですね。乙女っていうか子どもか。開戦以来、ずーっとがんばって目を吊り上げてきた容保が、初めて内心のよるべなさを露わにしたのが頼母の前っていう。スゲー萌え顔だけど、ひどい話だよ。

まあ命が無事な人が情けないぐらいは全然いいとして、悲しいのは死にゆく人々…。西郷家・女子の辞世の句会(泣)。生前の娘たちが出てきたのは1,2回なので個体認識するには至らず、その分、まだ記号的に見られたわけですが、従容として死につく若い身空のお嬢さんたちがそろって美人さんなのと、小さい子がきょとんとして訊く「今日は何すんですかー」の一言の破壊力たるや(号泣)。しかもこれ、いちばん小さい子が言ったんじゃないからね。もっと小さい子もいたからね。当然、まず初めに小さい子たちに手をかけたんだろうけど、千恵がふたりともやったのか、あるいは時間差にしたらふたりめの子の恐怖心を煽って哀れだし騒いだりしたら厄介だから、いちばんちっこい子の隣にいた一番大きいお姉さんが、千恵と同時にやってあげたのか…などと考えるだに、泣ける(泣)

城の目の前の頼母邸を新政府軍が使おうとするのは理にかなった話で、そこで板垣が(板垣だったのは創作で本当は誰だったかわかってないらしいですが)ただならぬ雰囲気を察する。「逆さ屏風」になっていたことがtwitterで指摘されていました。細かい。娘さんのひとりが死にきれず(そらそうだよね、女の細腕で自分の喉をつくなんて…)、けれど赤いモフモフも土佐弁も識別できなくなっている虫の息で手を合わせてとどめをさしてほしいと願う・・・さすがの板垣も相当鬱だったでしょう(泣)。事態を知らず入ってこようとする部下を大音声で押しとどめたのは、死者を辱めないようにというのもあろうけど、このショッキングな現場を見せたくなかったんでしょうか(部下もうつ病になるレベルだから)。嫡男がひとりで入城したと聞いてすべてを悟る頼母の表情はさすが西田敏行でしたが…。

休む間もなく白虎隊二番隊の顛末です。ちょ、つらすぎるんだけど…でももう一気にやっちゃって…て感もありますね…。短い時間ながらも(ええもうこれでじゅうぶんですぅ…)新機軸な描写で、飯盛山からお城が燃えているのを見て絶望したからではなく、燃えているのは城下町で城が無事だとはわかったけれども、城まで戻る街道は敵にふさがれているうえ、突破を試みて首尾よく討死できればいいものの、ヘタに捕虜にでもなったら・・・と、にっちもさっちもいかなくなっての自刃、ということになってました。

彼らは彼らなりの会津武士道を貫いたんだけど、その判断のよすがとして出陣の折に殿から賜った「手ずから裂いた布」がポイントになっていたのが、もうもう・・・でしたね(史実なんですか?)。「殿に申し訳がない」ですって。殿、なんちゅう裏目! 後世目線とはいえ、これは罪が重い…ていうか、大人のいない状態で子どもたちだけを戦場に出すのは当時の感覚でもやっぱり異常。まあ大人がいたって二本松・・・(ry ですけどね。それだけ追いつめられていたわけだけど、だからそこまで追い詰められること自体がダメなんだってば、と。

そして非常時の集団心理の怖さ、というか、あれだけ人数いたら、ひとりやふたりはなんとか生き延びる道を探ってもおかしくなさそうなところ、「無駄死にするな」という八重の言葉がよぎった子も、次々に果てる仲間たちにあてられてついには腹を切ってしまう。介錯もないし、相当つらかったろう…(泣)。

というオンナコドモの悲劇が続いたあとに家老コンビの自刃をもってきたのは、これ意図的なものなんでしょうかね、非常に微妙な心持がしました。え、ここでもう、いっちゃうの? と。てかそもそも、あれはどこだったんですかね。いえ、城(本拠)から離れた持ち場で味方がもう全然いなくて それこそ敵の手にかかるぐらいなら、と死を選ぶのは、武士道的に、まだ理解できるんですけど。別々の持ち場から合流してきたんだし、しかも土佐は殿を警固して帰ってきた感じだったから、城内のどこか…? だったら、「いつやるの? …今でしょ!じゃないでしょ!! 

「今切る腹なら、あのとき家老みんなで切っとけば京都守護職になんかならずにすんだかも・・・」という土佐の述懐に「ホントだよ!!」と全国の視聴者が頷いたと思うんですが、まあ、そこは「言うな」ですよね。やはり人間、誰だってそこまで先取りして命を差し出せないと思うのです。それはそれとして、ここまで生きながらえてきたんだから、もうちょっと粘ることはできんのかい、と。

「官兵衛、大蔵、平馬、たのむ」とか口走ってたけど(萱野の立場www)、若い衆に(だって大蔵とかあれで23だよ?!)もっと悪化する戦況の指揮をさせる気まんまんって、かなりひどい上役だぞ。家老の首がもっとも効力を発揮するのは和戦交渉とか殿や藩士の助命嘆願とかそういうときじゃないのか。白河口で負けておめおめと帰ってきた頼母を罵倒した以上、同じ轍を踏めなかったということか。それとも、ほんとに城を枕に全員で討死するつもりで、早かれ遅かれ…ってことだったんだろうか。

「徳川でも幕府でもなく、最後は会津のために戦った」と神保内蔵助は誇らしげに語りましたが、結局、これが眼目だったんですかね…。今まで徳川のため、幕府のため、天朝のためと我慢に我慢を重ねてきたあげく「自分の好きなようにした」結果がこれなんだろうか。そういう気持ちで会津は団結してたのかもしれない。でも、そのツケがオンナコドモにまわっていく、という図式が描かれている以上、どう考えても美談とは思えませんね。そういう描き方だったと思います。

けれど一方で、土佐と内蔵助の最期の及んでの恬淡とした態度が、いかにも武士らしく見えたのも本当。ふたりとも好きだったなあ、大好演だったなあ。良くも悪くも、会津といえば彼ら、って感じでしたよね。ほんとに、良くも悪くも…。それにしても家老レベルの上役は大多数が逝ってしまったなあ…

と、そんな四方八方の閉塞感を突破するのが我らが八重さんです!!! 男連中を向こうに回した啖呵、すごかったですね。「男も女子もねえ! これは会津すべての戦いだ!」 長いセリフを少しもダレることなく聞かせました。一歩間違えば「型破りの主人公が周囲に一説ぶって改心させる」という悪しき大河フォーマット…になりかねないところ、何このスカッと感。もう、八重の言説をいちいち「んだ、んだ」って大肯定ですよ。んだんだんだんだ言いすぎて、スーパーマリオの1−2が始まりそうですよ!!(from 「あまちゃん」吉田副駅長)

昨今の大河ドラマ最大の弱点は、 視聴者が主人公に感情移入できないこと だったといっても過言ではありません。兼続も龍馬も江も、劇中何でそんなに持ち上げられるのかまったくわかりませんでした(龍馬は福山の魅力といわれれば一言もないがww)。清盛は、私は前半は好きでしたが世間にはまったく受け入れられず、後半は世間が見直した(主に松ケンの老年演技を)けど私は人物造形的に安直だったように思ってます。

そこへくると今年の八重は影が薄いのなんの言われてたけど、こんなに素直に応援できる主人公は稀有ですよ!! なんたって、ここまで長かった。「出たよヒロイン無双」と視聴者をしらけさせないために(?)、25話もの間、彼女はひたすら水面下で腕を磨き続けてきたんです。そしてこの未曽有の難局に彗星のごとく表舞台に登場!! よっ、待ってました!! 

まあ、ぶっちゃけ、ヒロイン無双だと思うんです。スペンサー銃でで籠城戦を戦ったのは事実でも、その周辺描写にはいろいろ創作も入ってると思うんです。しかしそれでいい。まったくかまわない。「いつまでも古いこと言ってんじゃねえよ」とか、よく言ってくれた!! もう、ばすんばすんやっちゃってー!

考えようによっちゃ、あの啖呵であっさり「んじゃ、心ゆくまで戦え」となったのも、会津のダメさかもしれないんですよね。そもそも初手で、「子どもは戦場にやっておきながら女はダメだ」ってのが中身のない建前論でしかないことを示している。一転、「じゃあやれ」ってなったら丸投げで。いくら銃火器の取り扱いに長けていても全体の戦略や指揮系統に関して素人の八重の上に上官がいないのは変でしょう(あとでそういう意味で尚之助を寄こしたのかもしれんけど)。老年兵?らに「八重が少年たちを指揮することになった」旨の通達もしていないから余計な軋轢も生まれてる(八重さんが実力ですぐに黙らせましたがwww)。

要するに、八重も、八重に託した少年たちも、「好きにやれ、死んでもしょうがない」って言ってるのと同じじゃないかと。まさに丸投げ。これ、実際、白虎隊もそうだったわけだからね…。戦略的に裁量された参戦じゃない。無策ゆえに受け容れられたのだ…。

ともかくも八重さん無双です。銃の扱いのみならず、隊の指揮の仕方も、しかも敵の砲弾が雨あられと降り注ぎ砂塵も飛沫と舞う戦場での身のこなしも抜群っていう完全な無双です、しかしそれでいい。まったくかまわない。よくぞ大山に命中させた!! もう、ばすんばすんやっちゃってー!

夜になって、「今から夜襲に行ってくる」という女主人公の名言も出ましたが(自分で行くんかい!! 未曽有です、未曽有)、女の命の髪を切る、という八重に胸をつまらせて「おらたちの城下が焼けちまった…」と時尾さんが泣き崩れても眉ひとつ動かさない八重さん。生半可な決意で始めたことではないってことです。昼間はシャキッとしてても、夜になりひとり(気を許した人たちだけ)になると気がゆるんで泣くような、時尾さんの態度は非常によくわかる。でも八重はあくまで「私は三郎だから」。

軍装の八重さんを「やはり来ましたか」とナチュラルに受け容れる尚さまは流石でしたね。壁に穴をあけてそこから大砲を撃つ、ってのは蛤御門で覚馬がやった(との想像を尚さまが口にした)のを覚えていたことからのアイデアだったんでしょうね。八重と尚之助と覚馬。ついに3人で戦っているんだなあ、とちょっと胸が熱くなりました。

しかし、妻が戦うことを想定していた尚之助が、その先を想像していないとは考えにくく…。この先の戦局、それにつれての八重の心境の変化や危険、そういうことに対して、尚之助はどう処するか、もうとっくに決めてしまっているのかも。最近、とみに「尚之助の妻」よりも「山本家の娘」「三郎の姉」「覚馬の妹」であることばかり認識している八重だけど、尚之助は、あくまで八重のことを第一に、命に代えても守りたいと思っているはず(少女漫画的カップル設定ゆえに!!)。嗚呼…。

ともあれ、今週までに、会津戦争で起こる悲劇もだいぶこなしましたが(爆)、知ってるだけでもまだまだ残ってますよ悲劇は…(泣)。せめて来週は、2週にわたってクレにすら姿のなかった大蔵の一世一代のどや顔が見られることを心の支えにがんばりたいと思います!! もう、どやどややっちゃってー!!