『八重の桜』 第20話「開戦!鳥羽伏見」

せっかく前日のオフ会でキャッキャウフフして士気を高めたっつーのに、翌日にこの仕打ち。鬼。今年の大河は鬼です! なんて言いたくなるけど、もちろんここからの展開は史実的にわかってるものです。心の準備もしてました(まったく、年初以来、毎週“遠からず鬱展開”と何度つぶやく大河であることか…)。それでもなお、だいぶつらかったです…。権助…!

だいたい、サブタイが詐欺ギリギリじゃあありませんか。なんだよ「開戦!鳥羽伏見」って。そら確かに鳥羽伏見ですよ。会津にとっては長く激しい戊辰戦争の開戦ですよ。けど、何、その、びっくりマーク。まして倒置法。「派手にドンパチやるから楽しんでね〜!」とでも言わんばかりの雰囲気。「決闘!川中島」的なエンタメバトルを想像した視聴者大ショックだよ!

と、悪態のひとつもつきたくなるんですが、いえ、作品の方向性には大賛成です。これまで血が通ったドラマを構築してきたからこそ、ドンパチに痛みを感じるわけで。登場人物たちに思いきし感情移入できているがゆえに、ひとりまたひとりと去っていくことが悲しくてしょうがないわけでぇ…。・゚・(ノД`)・゚・。

戦後処理も含めると余裕で第30話くらいまで引っ張るらしく、緒戦からこれでは目まいがしてきそうですが、その意気に敬意を表してもいます。痛いものを痛いと、悲劇を悲劇と、長い戦いを長い戦いとして描くことは、このドラマの主旨に合っていると思います。ササッと適当にはしょってお茶を濁されたら、見るのはラクでも、憤りを覚えてたんじゃないかと。もちろん基本的に娯楽としてドラマ視聴を楽しんでいるんですけど、人間そんなに単純じゃないから、会津戦争の背後に、やはり震災や原発事故を思い浮かべることもありますし、それを想定して作られてる面もあるはずです。それらが人々が築き上げてきたものを奪っていったこと、ひとりひとりの努力ではどうしようもない運命、そこから立ち上がっていくことの困難、そこに自然に思いを致せるドラマであるべきだと思っているし、今のところ、まさにその方向で進んでいってると思います。

だから、見ててつらいんだけど必定のつらさというか、つらさを感じながらきちんと最後まで見届けたいような、一種不思議な気持ちがあります。と同時に、傷を抉られるようで、このつらさを正視できない人々がいるのも非常によくわかります。だから視聴率はもちろん上がった方がいいですし、例年にも増して「いろんな人に見てほしい!」と思うんだけど、同時に「視聴率が上がらなくてもしょうがないよな…」とも思う大河です。

アバンタイトルから激しいです。(元)将軍と主君が大坂に退くと聞き、今にも出陣しそうな勢いだった会津の武闘派たちは御座所に乗り込んで、陪臣の分際で(元)とはいえ将軍に「一戦も交えずに退却とは何ごとだゴルァ!」と詰め寄ります。ひょえー、びっくらこいた。これまで、二心殿のどんな暴言にも、そばに控えていても黙って耐えていた会津武士たちです(せいぜい、本人が通る前で皮肉げな歌詞で踊る程度)。ここでついに破られる武士マナー! さすがに容保は「控えよ!」と血相を変えてたけど、慶喜が特に咎めず普通に応えるあたりにも、“非常時”感が溢れます。

その応答が「薩摩を討つための策じゃ」 「どんな策じゃゴルァ!」 「秘策ゆえ今は明かせぬ」 ってそれ、客観的に見たら、「なんにも策がないパターンですよねわかります」ですからぁぁぁ!  武闘派を一喝する修理さま、「四年前のこと、お忘れか? 早まっては長州の二の舞!」というセリフも、的を射てる上に視聴者にもわかりやすくて良かったね。なにげに武闘派との対立というフラグも立ててて一石三鳥…(泣) 

かつて第9話ぐらいの「御一同、御控えくだせぇ! ご宸筆にごぜえやす!」ぐらいから思ってたんだが、修理さまって、ものっすご訛ってるのに、容赦なくかっこいいのな! 近年の大河に類を見ないほどの「訛りすぎてる二枚目」な! ああ、修理さまぁ…。

結局、慶喜と容保は二条城の「裏門」から大坂へと落ちていきます。身を守る必要はあっても武装はしない、というかできないんですね。その代わり?の白だすきが落魄感をあおるぜ… 銃の受け渡しやなんかのために居残りのあんつぁまたち、「いつもの舌先三寸かもしれねえが」と普通に宗家をdisってます。

その後の本編も終始スリリング! まず、都落ちはしたものの、大坂城に籠るってのは戦略的にはそう弱気じゃないんですよね。なんたって旧幕兵をウン万と引き連れてるわけだし、大坂城は戦国以来の大要塞です。対して御所なんて丸裸だし、京は防衛を考慮して作られた町ではありません。この時点での薩長は、彼らだけの兵力では大坂まですら攻めるだけの兵站を持たないし、反対に大坂から攻め込まれたら、帝を奉じていち早く京から脱出しなきゃぐらいの認識もありました。

諸外国の公使と会見し、自分がいまだ日本国の代表者であることをアピールするケーキさん(洋装プラス総髪化。つーか、髪伸びるの早ぇな!)。この策も有効です。公使もまだ、「His highness Tycoon」と呼びかけてましたね。そしてなんといっても、諸侯、土佐や越前や芸州といった大国を始めとした大名たちも、薩長のやり口に反発している状態です。つまり京を退いたとはいえ、琵琶湖も兵庫港もその他の各要所も、宗家が抑えているも同然だったのです。

そこで薩長は困っています。べべん、べべんの薩摩琵琶の奏者が控える廊下を通って登場するモニカはラスボスにしか見えませんが、実際は薄氷を踏む思いでいたはず。しかし、ここでのセリフがすごい! 

「人は変わることを恐れるもんじゃてなぁ。どげん悪か世でん、知らん世界よりは良かち思いたがる。二百六十年の眠りから国を揺り起こすには、余程のことをばせんなならん」

いやあ、なんと含蓄のある、身震いのするようなセリフでありましょう。歴史の大転換期にあって、人間の普遍性をも示唆してる。おもしろい! ツーカーの大久保 「やはり戦でごわんな。じゃどん、慶喜に大坂に引きこもっておられては、戦をば始める口実がありもはんな」と、すでに答えを知っているような口ぶり。そして西郷、「江戸をば引っかきまわすか…。徳川歴代の地で導火線に火をばつくっど」って、悪い!悪い!悪い! だが、そこがいい!

つーわけで、薩摩は不逞浪士たちを使って、幕府側についてる商家とか米蔵とかを襲いはじめ、慶喜はもちろんそれらの挑発に乗らざるよう指示するのだが、次第に抑えられなくなるわけです。あ、ドラマではここで、勝海舟江戸家老の梶原さんを訪ねてきてましたね。「西郷という化け物に火をつけちまったのはおれだ…」って大仰な顔して、かつてここまで小物っぽい勝さんがいたでしょーか、逆にちょっと面白いです。江戸開城の際、この勝が西郷に勝てる気がまったくしないんだが、どーなるのかと。

ついに庄内藩薩摩藩邸を焼き討ちし、死人が出てしまいます。ここで大坂。「しまった! 火種は江戸にあったか…!」とストレートに悔恨するケーキさん(洋装)。そうです、ケーキさん、基本的に江戸では(江戸でも、というべきか)まったく人望ありません。将軍職を襲いでこのかた、いまだ江戸城に入ってないし(まあそれは時勢のためだけど)、お父さんの烈公・斉昭も江戸城大奥なんかでまったく人気なかったそうですし、幕臣は(幕臣も、というべきか)慶喜を全然信用してませんでした。

慶喜、青ざめて「こうなったら戦をするしかない。薩摩を討たねば、この怒りはわしに向かってくる。主君のわしが殺される!」 いや〜、見ごたえのあるシーンでした。おりしも、怒りの慶喜と呆然の容保@うす暗い大坂城の洋風の一室に、ワーワーと怒号が届く。そんな、舞台っぽいというかリアリズム方向でない演出が、古今東西、数々の革命時に暴徒化する群衆や、それに晒された旧い支配者の恐怖を想起させ、功を奏してたと思います。「主君のわしが殺される」という超生々しいセリフが、近年の大河で類を見ないほどのリアリティーをもって響きわたりました。

ふつう幕末モノでの慶喜のキメゼリフって、「朝敵にだけはなってはならぬ」ですよね。慶喜は出身の水戸徳川家で“水戸史観”という尊王思想教育を施されてきたわけです。。慶喜の母親もナントカの宮っていう皇族でした。慶喜は、歴史が自分を「朝敵=賊」として扱うことを何より恐れていたといわれます。せんだってから、密勅とか錦旗とか、薩長がこそこそと姑息なマネをしていますが、その意義をもっとも理解していたのは慶喜かもしれません。朝敵にされたときこそ、徳川宗家は完全に滅びなければならないのです。

今回のドラマ、慶喜尊王思想がここまでまったく語られてこないのがうすうす気になってはいて。容保が宗家と存亡を共にすると同時に超尊皇の人でもあるので、そっちを際立たせるために慶喜の尊皇をひっこめてるんだろうと思ってました。しかしここに至っての「主君のわしが殺される」。ぎょえー。容保さんのモットー「もののふのまことは義の重きにつくことにあり」となんと対極にあるセリフであろう。権力者って最後はこれだもん。

ただ、「主君のわしが殺される」ことは、日本全国が大混乱→外国につけこまれて植民地化 という最悪の事態を招くことでもある。どんな姑息な手を使おうと、簡単に死んだりできない責任がある、という解釈もできるわけで、そういう意味で慶喜はやはり幕末維新に大きな役割を果たしたともいえるのでしょう。もちろん、そのために犠牲になり、歴史の暗部として封じられてきたのが会津ということになります。来週以降もケーキさん(洋装)が人でなしの所業を見せてくれることは確定してるんですが、この、かつてない慶喜像をどこに着地させるのかは、「八重の桜」における大きな興味の一つであります。それにしてもここまで、ゾクゾクする政治劇でした。

ついに明けて慶応四年。武装済の殿。もちろんあの赤い陣羽織で、凛々しいことこのうえないのですが、あんなに鬼気迫る顔で昆布(?)かじってる人初めて見たよ…www 「いえええええぃ。いえええええぃ。いええええええぃ。」で、「おおおおおおおおおおおっ!」と鬨の声。すげー。綾野剛すげー。デフォルトではガラス細工のように儚げな殿ですが、けっこう多彩な演技を求められていて、しかもそのどれもがかなりいいですよねっ。

やる気の見られない行軍戦略をいぶかしむ会津の武闘派のみなさん。しかし行くしかありませんし行きたがってますしやる気(だけ)はじゅうぶん。関をかまえる薩摩軍と対峙し、通せ通さぬの押し問答。先に手を出したら賊扱いされる恐れがあるので、いちおそこは気を遣って見ます。と、そこに三郎が鉄砲もってノコノコやってキター! やめてー! 逃げてー! 歓迎する林さんと佐川、なんかいいシーンだけどやめてー! 追い返してあげてー! 若い身空ー!

やがてついにあっちから砲弾が飛んできます。こうなるともう止めようがありません。幕軍と薩長軍。数でいえば圧倒的にこっちが有利。だけど狭い伏見では大軍を押し出せないし、そもそも、幕軍は大将の慶喜が大坂にいるままで(大坂夏の陣を見てもわかるように大将がいるといないのとでは士気が違う)士気が低く、援軍も来ません。結局は火力の差になりました。この戦いの描写はそれほど長い時間ではありませんでしたが冒頭に書いたとおりかなり痛かったです…泣 演出、「坂の上」の人だったんですって…? どおりで…泣 ついに銃弾を受けた権助が立てなくなるも一歩も引かず、座り込んだまま指揮をしたというのは小説にあったとおり…泣 その死を悟って三郎がハッと息をのんだあと顔をくしゃくしゃにするのも、非常に痛い演出でした。てか、三郎は早くどこまでも逃げて!

高みにあって戦況を見届ける西郷と大久保。「勝ったなあ」「これで日和見しとった奴らもこっちにつきもんそ」と悠然。死中に活を求めるようなギリギリの戦いでもあったんですが、まさに勝てば官軍。次回ついに翻るのか錦の御旗。一方、ひとりきりで「負けるはずはない」とガクブルしてる慶喜と、「わしが陣頭指揮をとる・・・!」と皆を振り切って行こうとする(がもちろん皆に止められている)容保。「権助・・・!」と一言言って泣く姿に胸がつまりました。

帝にハハァーってなってる殿も、慶喜と腐れ縁になってる殿もいいけど、やっぱり会津の家臣たちと一緒にいる姿が一番好きなんです。なんか個人的感情(笑)で帝に入れ込んだり、慶喜に逆らえないチキンだったりするようにも見える容保だけど、その根底にはやはり「会津の藩主なればこそ」ってのがある人物像ですよね、これというときにはしっかり威厳を示しつつも、本当に家臣のことを大事にしてて、労わったり、気遣ったりするシーンがこれまでにもいろいろありましたよね。家臣のために泣ける殿なんですよね。うううー。ここから始まる長い戦争…。

さて、本編以外のシーンもさらっと。って、えーっと今回は上記が本編ってことでいいですよね?w

まずクレジット、なんと照姫さま=稲森いずみが大トメでした! ドンドンドンパフパフパフー(死語)!! たとえば松嶋菜々子さんとかと違って、若いころから主演ばかりをやってきた女優さんではありません。しかし今や大河の大トメにまったく恥じない感があります。誰がここまでくると想像したでしょうか…! 

その”大トメ”照姫様が諏方(諏訪、じゃないのね。読みは”すわ”でいいのかな?)神社にお成〜〜〜り〜〜〜! 相変わらず、ははーーーーってひれ伏したくなる高貴さ。久々の再会の八重ちゃんと時尾ちゃんは微笑んで目配せ。あ、前回の照姫さまお成りのときに遺恨のあった山川妻と頼母妻がここで雪解けでした。薙刀練習で遅刻の竹子。女衆に咎められるのを見て、「言い訳でないなら歌を詠んでみよ、お題は春じゃ」と照姫。「もののふの猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」ハイこれテストに出ます。次いで八重ちゃん、「父兄の教えたまいし筒弓に会津心の弾やこめなん」これは…ドラマ創作…? あとで竹ちゃんには「へたくそ」呼ばわりされてましたけど、だいじょうぶよ八重ちゃん、去年の平氏の棟梁に比べれば全然いけてるわよ!

そうそう、八重ちゃんたらいつものように角場で銃の練習をしてるんだけど、的が7つwwww 激増してるwww そら確かにスペンサー銃は七連発だがwww って思ったら竹ちゃんが見にきてるんでした。八重かわええよ八重www 張り切ったんだなwww ここで、女だからって会津魂よねッ!と勝手に盛り上がって竹ちゃんの両手をとる八重ちゃん、こういうシーンが、古き良き少女小説sっていうか、赤毛のアンみたいな世界観で素直にかわいいと思います。

京から江戸へと逃げるように旅立つ梶原二葉さんのシーンは緊迫感にあふれてました。黄昏の部屋、手ぶれカメラ、「当座のもの以外全部おいていけ」と指示しながら夫にもらった人形を荷に入れようとして、ただならぬ空気に激しく泣く子に「武士の子なら泣いてはならぬ」と言いながら人形であやすんだけれども、言葉と裏腹に二葉さんが泣きそうな顔してる…(泣) 心細い思いで江戸に着いたら初登場のMEGUMIといきなり遭遇するって展開にもびっくりだったし、家財道具いっさいを置いてきたことを「そなたたちが無事ならそれでよい」とかまわない夫にようやく安堵したように「子どもはつかまり立ちができるようになって…」と夫婦の会話をしかけた瞬間に「ご家老!一大事!」と急報が入るっていう…ほんとにいちいち脚本がうまくて。

あそーだ、あんつぁまって人もいましたねwww  鳥羽伏見の砲声を聞いてあてもなく飛び出していってあっさり薩兵にボコられる姿が…どうしようもなくバカwww …てか先週に続いて相当雑なエピソード…www まあいちお他藩にも声望の聞こえていた(はずの)「山本覚馬」と素性が知れたわけでもないのに、めっちゃ着剣して薩兵になぜ殺されなかったのかが理解できないwww… でも、これまでの積み重ねがあるんで、「すわ、とりあえず走れ!」的な、鉄砲玉的な、バカなの?ねえバカなの?的な行動が、意外と違和感のないあんつぁまなのでありましたwwwwww

予告のことは週末まで忘れましょうよ…そうしましょうよ…。・゚・(ノД`)・゚・。