『八重の桜』 第14話「新しい日々へ」
さあさあ、先週いいとこで幕切れになったってことは、今週いいとこから始まりますよ〜。2週にわたってお送りする八重&尚さまの婚礼です! 去年、主要人物夫婦の色っぽいシーンがほとんど皆無だったことへの補てんなんですかねヾ(*´∀`*)ノ
(参考: 「もうそなたでよい!」(注:プロポーズです) → 次のシーンでは既に臨月「それにしてもでかい腹じゃのう」 (清盛&時子) )
(参考2: 「そなたも産むか?」 (注:プロポーズです) →次のシーンでは嫡男誕生、「早っ!」てのと同時に「鬼武者」のテロップに「なんというDQN幼名!!!!」と震え上がる (義朝&由良御前)
さてさて…華の絵が描かれた蝋燭。華燭の典、てことですかね。綾瀬はるかの白無垢の似合いっぷりが異常です。一方、万年居候状態の尚さまの肩衣はお初なんでしょうが、なぜか「おっ」て感じがない。普段から羽織を羽織ってるからか? おかっつぁまとうらさんの着物が華やかでしかも落ち着いていてすごく素敵でした。派手な打掛ではなく黒っぽい色がベースで、かといって現在の結婚式で既婚女性が着るような留袖でもなく、前面に輝くような薄色の小花模様が散っていて、こういう着物を大河で見たのは初めてって気がします。みねちゃんが着てた着物もかわゆ。
静かに歓喜する面持ちの家族たち、奥でやはり歓喜の一献を交わす従僕同士、腹の減る新婦、悪気なく失礼ばかり言いくさる親戚連中と、それをおさめるためのイッキ飲み合戦…。心あたたまる祝言の描写の数々は、さすが朝ドラの脚本家だなというもので、大河でこういう祝言ってのもいいですね。てか、過去の朝ドラ脚本家による大河で、この手の秀逸な描写が見られなかったのはなぜだろう?苦笑
皆に供される椀ものを見て「すわ、“まめぶ”かっ?!」と色めきたった「あまちゃん」クラスタは私だけではありますまいww 正解は「こづゆ」という会津の伝統料理とのこと。
おっさん連中のあからさまなdis発言の数々を大人の態度で華麗にスルーしたかと思いきや、自ら杯をもって火中に飛び込む尚さまw あれ、自分が酒に弱いことは承知の上だよね。で、別におっさんらに腹を立てたわけでなく、権八がとりなしに来てくれたのがうれしくて意気に感じたのもあり、八重との婚礼自体にテンション上がってる部分もあったってことだよね、きっと。スマートな雰囲気だけど何かと「ハートに火がつく男」だから、この人もw あんつぁまの婚礼のときは、居候の分を弁えて末席にすら連なることのなかった尚さまだったよなあ。「衆寡敵せず!」の気合(?)が良かったね。
あ、皆に供される椀ものを見て「すわ、“まめぶ”かっ?!」と色めきたった「あまちゃん」クラスタは私だけではありますまいww 正解は「こづゆ」という会津の伝統料理らしいです。
で、大方の予想通りw酔いつぶれた花婿を担ぐ花嫁ww 八重の力持ち説にのっとったすばらしいエピソードですが、背負うのでなく米俵よろしく担ぐってとこが振り切れててすばらしいwww
化粧を落とし普段着に着替えた八重が、こぼれるような自然な笑みを浮かべて新居の下に活けられた花を見つめ、それから、一段一段そっと、やたらゆっくり階段をのぼってゆくのにドキドキとさせられます。(あ、新居はやっぱり屋根裏なのね)という思いもかすめるわけですが…(新婚が屋根裏って大丈夫なのかしら…真下ってどんな部屋だっけ…誰かの居室じゃなさそうだけど)なんて余計な心配もしちゃうわけですが…(最低)
で、その枕元(おっと妄想だった、机上でしたw)に京のあんつぁまからのお祝い=口紅が届いてるわけですね、なるほど! 「赤々と生きるべし」とは、艶なこと書きますな、あんつぁま。鉄砲指南書もつけるとは芸が細かい、なんてできる男…! それで予告の紅のシーンになるわけですが、今まで断固として身体的接触を忌避してきただけに、「解禁」感がハンパないっすなあああああ!!!!
あれ、「水汲んでくるべ」と立ち上がりかけた八重を止めるために腕をつかんだのが、たぶんファーストコンタクトなんだよね。そこは(あ、つかんだんだな)とわかるんだけど敢えて見せずに、インパクトある口紅塗り塗りからを絵にして見せるところが、演出のニクいところ…! そして、塗り塗りの仕草そのものがエロいのは言うまでもありませんが、それが「あんつぁまから贈られた」紅であることが、よりいっそうかぐわしいわけですよね。そこは、「口紅=ふたりを結びつける覚馬の存在を象徴」との解釈でも、「覚馬から贈られた口紅を塗られる=尚之助と覚馬のふたりによって女になる八重」的な解釈でもいいんですよねっ そこは自由な解釈を委ねられてるんですよねっっっ(鼻息)
で、ここまでエロいことしたんで(そうか?)、そっと抱きしめて「幾久しく…」でこの場面が終わるのは、これはこれでいいと思います、まあその先までやってくれてもよかったんですけど、ここで終わるほうが品が良いですし、ここまでだって同じく山本むつみ脚本の「ゲゲゲ」の10倍はやらしかったですし、このあとは各自妄想すればいいわけですしね(にっこり)。ちなみに私の妄想は(ry
ところで「頭ががんがんする」って表現はこの当時にもあったんですかね。てか、尚さまを交えた山本家の食事風景プリーズ。え、まさか川崎夫婦は食事も屋根裏なのか?
…などと想像(完全に妄想)を逞しくしたのは放送終了後のことで、その後はすぐさまあんつぁま in 眼医者でしたから…。山本家の屋根裏と同じように暗い部屋で、蝋燭の灯りで、目に触れられ、そして失明の宣告を受けるあんつぁま…。口紅と同じく、貝に入った目薬…(泣)。もちろんあんつぁまが今後もしぶとく生きるのはわかっているんですけども、「目が見えなくなる」って、ほんのちょっと想像しただけでも本当におそろしいもので、その絶望を思うとやはり胸がつぶれます。
続いてすぐに歴史の激動が示され、新婚の妄想に浸る間もなければ(あとで十分浸ってますがw)あんつぁまの目の悲しみに浸る間もない、幕末なのであります。
繰り返しを恐れずコンパクトにおさめた南北戦争や長州に関するおさらい。作り手の意欲に敬意。歴史的経緯に詳しくなくても楽しめる、ってのも大事だけど、経緯が少しでもわかったり、興味をもったりするのに、こしたことはないから。
西郷吉之助は久々に登場の松平春嶽を訪ねる。幕府が、前回、勝の握りつぶした熟れ柿ならば、彼らがめざす新しい国は、接ぎ木をして伸ばす西洋リンゴ。わかりやすいうまいたとえだ。初登場の大久保一蔵は隠棲中の岩倉具視を訪ねる。大久保と桂が同時に出る場合、バランスを考慮する必要があるわけだが(かぶらないように)、ミッチー桂に対して徳重一蔵。おお、その手が、。徳重さんは時代劇ハマるな。ただし、今回の場合、モニカ西郷と徳重一蔵の並びのバランスに慣れるにはやや時間がかかりそうである。彼らは同じ町内で育った幼なじみ、幼なじみ、幼なじみ…と。
小堺さんの岩倉具視はこれまたイメージぴったり! 野良にまみれ、それを苦にもしないようでいて、虎視眈々と己が再び世に出る機会を狙っている。三条実美とはまたベクトルの違った老獪さ、うさんくささが良い。大久保が置いた金をそそくさとしまいこむ姿、その姿にほくそ笑む大久保、細かいけど目を引くシーン。
西郷にしろ大久保にしろ、または龍馬や中岡にしろ、当時の志士たちは腰が軽く脚が強く、議論や感化すること(されること)も大好き、つまり行動力の塊で、どこにでもホイホイ出没して多くの知己を得ているものである。かつて松陰が会津を訪れ、覚馬が象山のもとで学んだように。そして、この時期になると、一部ではもはや幕府に見切りをつけ、公論によるまつりごとを行うための国づくりを探る動きさえ生まれている。
もはや、会津はそんな流れからなんと遠くにいることか。「禁裏に発砲した長州の大罪を将軍家が裁く、それこそが公武一和」っていう政治感覚の、もはやなんと古びて聞こえることか。お手当てを止められても、なお、「お上のために」と言う藩主。
前回の田中土佐、今回の神保内蔵助や横山主税など、家老級の人々がこぞって辞職を説くのは、時代の潮目を読んでいるというよりも、長年、藩政を担ってきた実務家としての意見だろう。藩の財務の数字を彼らは日々追っているはずだ。容保は、国元の疲弊を知らぬわけではなかろうけれども、それを理由に去るのは仁義に悖ると思っている。
そして、薩長土肥のような幕末の雄藩においては、すべからく若者たちが中心となって藩論を形成したのに対し、会津の若手は、みなイケメンで(それは関係ない)優れた人材も多いのに、天下国家の志士たりえなかった。覚馬さえも、この時期にはまだ会津の中に埋没している。それが悔しく、けれどドラマのここまでを見ていると、腑に落ちるようでもある。
幕府の忠臣たるべしという御家訓が彼らのアイデンティティであり、それによって彼らは結ばれ、今また、病床の横山主税が言ったように「ご宸翰を賜った喜び」をも彼らは共有している(結果的にそれが枷になっているわけだが)。会津藩士の上に立つ藩主容保、彼のレーゾンデートルである幕府への忠勤、そして今、彼が幕末という時代の在・京都人として(個人的に笑)絶対的に信奉する帝…というピラミッドが、会津においては美しく保たれたままなのだ。その美しさが、頼母の諫言を退け、優秀な若手らが革命的に突出させることなく、大命のために新選組のようなきな臭い集団を抱えさせた。美しいままで時代の奔流に飲み込まれている。
その美しさは、「会津は頑固だから」ぐらいの認識ではすまない、取り返しのつかない愚かさと同義になりつつあるのだけれど、「これを成し遂げたら皆で会津に帰ろう。磐梯山が見守る、故郷へ」と必死の鼓舞をする殿を、その言葉に、崩れ落ちるようにして平伏する藩士たちを見ると、哀れさばかりが募る。このシ―ン、それぞれのセリフもよく、上から下までいい演技。特に、這うにようにして藩主の前にいざり出、辞職を乞う神保内蔵助は出色だった。
そのあとの神保親子の会話がまたしみじみと良いのだが、それを覚馬が聞いている切なさよ。京都での彼にいわば「プライベート」はなく、「公」もすこぶる緊迫した情勢であれば、目の件についてばかり思い煩っていられないのがむしろ救いだったかもしれないが、ここで彼は家族を、故郷を思い出すことになるのだ。たとえ無事に帰れても、その目で見ることのできないかもしれない娘や、故郷の月を。
綾野剛の私心なき悲壮感は今日も安定していて、「故郷へ」も良かったが、二条城での発言の口跡も立派。ここでは、旗色を見極めようとほうぼうに油断ない目線を走らせ、空気になりきって一言の発言もない小泉孝太郎の慶喜が、またしてもすばらしい「慶喜」ぶりで笑える。
なんか、こうして書いてると、八重・尚夫妻がどうやって夫婦としてのアイデンティティを育んでいったかという今回のもうひとつの眼目がチャンチャラどうでもよく(日本語がおかしい)なってくるんですが、見てるときは、もちろんニラニラしてました。婚礼の席での親戚さばきも見事だったけれど、「所帯をかまえたからには、一家の主として威厳をもって、ああせい、こうせいと命じるもんだ」と妙な威厳をつくってww主張するマッチゲ父上が素敵でしょうがないww 「わしは婿に入ったから堂々と振る舞っていた」と堂々と述べる旦那さまに、家つき娘の風吹さんが無言で微妙な顔をしていたことから想像がついたとおり、「最初は借りてきた猫」だったというオチがwww
銃に触れるのを禁じられた八重がストレスのあまり素振り1,000回やってるのもおかしかったが(どんだけ好戦的www)、ここで神保雪を絡ませるのがうまくてねえ。「夫婦のまねごとをしていただけ。旦那様が帰ってきたら一から夫婦をやりなおしたい」という雪さんの一連のセリフは、セリフ自体良かったんですが、これをニコニコと明るい笑顔で言わせるのがまた泣かせる。演出の鬼〜。・゚・(ノД`)・゚・。
あんなこと言われちゃ、だんな様…もとい尚之助さまを早々に困らせて、叱られて、喧嘩もしちゃう八重さんなんて、しかも過去最大に(八重について)プンプン怒った尚さまのまとめが「あなたはあなたであればよい!」ってガンオタアイデンティティの全肯定だなんて、ごちそうさまでした大変おいしゅうございましたとしか言いようがありません。はぁ、私も尚さまに叱られた〜い(クネクネ)。
てか、何の迷いもなく八重の腕をつかんでぐいぐい引っ張っていく尚さまに萌えた…。解禁後ですからね…はぁぁ(妄想中)…。
なんかものすご煩悩にまみれた感想で終わりそうですが、八重はもちろんのこと、うらや二葉、雪、登勢のところの夫婦の形も、それぞれに微笑ましく、切なく、忘れがたい印象で描かれていることに驚きます。まあ、こういうところは朝ドラ脚本家の本領発揮、なのかもしれない。てか、過去の朝ドラ脚本家による大河で、この手の秀逸な描写が見られなかったのはなぜだろう?(苦笑)(再) 本当に、会津戦争での敗北は避けられないとしても、すべての夫婦が離れ離れにならず一緒に暮らせさえすれば…と願うほどです。
あっ、いかん、秋月さんのこと忘れてた! 今回冒頭、「先週に引き続いて調子いいな、うしし」と私を喜ばせる高砂の謡いでしたが、病床の横山家老がたのもんの手を握って「秋月を頼む」とすがる姿には、さすがに感極まってガバとひれ伏しておられました…。そして蓑を着た旅装がまた似合うことww いつもいい感じで朴訥と、肩の力が抜けている彼が、希望を言葉にしながらも、これまでにない力んだ口調なのが印象的。遠い蝦夷地へ彼が出立するときに、折からの雨は上がったが、空に架かった虹はあまりに色が少なく、妖しくも見えて…。