如月の十四 / 福岡城址

●2月某日: 思い立って、サクと福岡城址に遊びに行く。うちからはバスで片道約20分、320円の道のり。

NHK放送センター側の追廻橋を渡るとすぐに立派な石階段をのぼることになるのだが、周囲がいきなり森みたいですごく雰囲気がある。するとやがて見えてくる石垣、石垣、石垣。福岡城址は建物がひとつも残っていないので、なんとなく「舞鶴公園=花見場所」としてしかこれまで認識していなかったけど、建物のかわりのように、石垣の数と規模がすごい。これだけの(本当はきっと、もっとそれ以上だろう)の石垣に囲まれた城って、相当だよなあ。建築の技術って昔からすごいんだな。権力者が必ず持っていなければならないもの。

本丸裏御門、鉄(くろがね)御門、埋門、桐の木坂御門と、いずれも門の遺構はないが、石垣だけでも往時の雰囲気を感じ取れる。というのは、やはり最近、古地図の本を読んでいたからだと思う。やはり、それなりの前提知識がない状態でモノだけ見せられても、想像力って貧困なもので、思いをはせることができないのだ。

一口に石垣といっても、場所によって、いろいろな表情がある。

「野面積み」というらしい。自然石をそのまま加工せずに積み上げていく。石の形はふぞろいで隙間もできる。技術的には初期の石積み法らしい。

「裏御門」の石垣は、石の表面や角を叩いて平たくして、隙間なく接合させている。「打込み接ぎ」というらしい。

角だけは、「打込み接ぎ」で、ほかは「野面積み」のところもある。工期の違いとか、見栄えを気にする場所かどうかとか、または防衛的に重要なところか否かとかいう様々な理由で、積み方の違いが出ているのだろう。
天守に至る鉄御門が人ふたりようやくすれ違えるかどうかという幅なのにはドキッとする。攻められたときのために、わざと狭いのだ。

防衛のための建築、という部分がそこかしこに見られる。また、江戸の始めに建てたのを幕末まで使っていたのだから、老朽化や火災等による焼失の問題は避けられず、たえずメンテナンスが必要で、藩主が幕府に対して修繕を申請する書面(図面つき)などの写真が展示されているのも非常に興味深かった。


唯一残っている多聞櫓は、1853年の建築だが、平櫓にはいくつもヒビが入っている。けれど、一から建てなおすより修繕するほうがずっと高くつくんですって。そらそうだよね…。

ともかく広い城内なので、子連れではなかなかまわりきれず、今回はここまで。また来ようっと。桜はもちろんまだだけど、紅白の梅園は花盛りで、来年の大河のこともあってか、お客さんはけっこういた。多聞櫓を見上げる位置にあるテーブルセットでちょっとおやつ。サク、はりきって階段を上がったり、「上の方まで行ってみる?」と聞くと「うん! いってみよう!」と手をつないで歩いたり、もちろんおやつも、終始楽しそうであった。帰宅後、「ママとサクちゃん、バスでいったもんねー」「いっぱい かいだん のぼったねー」 「またいこうねー」と夜まで何度も回顧したり、夫に報告したり。