『AKB白熱論争』を読んでのAKB考 4(完)

AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)

AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)

「夢見る者への罰」というのがいささかロマンに走った表現だとしても、残酷な公開処刑は、「誰に強要されるのではなく、彼女たちがみずから進んで引き受けたこと」であるという論理はある。本書中でも触れられている通り、今でいえば武井咲剛力彩芽など、AKB以外の若い女性だって、大きなリスクを抱えながら芸能活動をしているし、それをいうならどんな職業にも苦労やリスクはあるのだ。私たちはこの興行を安んじて享受してもいいのだろう。彼女たちがすすんで提供してくれているのだから。

でも、私はどうも、割り切れないんである。

芸能人やスポーツ選手は衆目の目に晒されるのが仕事で、私たちはその輝きに魅せられる。「彼らは選ばれた人なんだ」という感覚があるからこそ、安心して見て、賛否あれこれの感想を述べたりもする。それが、AKBに対しては、できない。それをやってはいけない気がする。

ガチですべてを晒しているからこそ、ファンもガチで「推す」のだけれど、総選挙、武道館の現場にどんなに公共性が立ちあがっていたとしても、テレビを通じてあの選挙を見ていると、どうしても違和感がある。「閉鎖的空間」に見えてしまう。私は投票もしないし、選抜されたことのないメンバーをほとんど知らない、「AKBの外の世界」の人間だから。そしてやっぱり、世間って「AKBの外の世界」のほうが圧倒的に広いのも事実だと思う。あの熱狂に身を任せきることができない。オタク気質の人間としては、あの熱狂に身をまかせてしまいたい習性もあるので、大変残念なのだが(笑)。

たとえば、前回の選挙では、年長者の篠田麻里子がスピーチで後輩たちに対して「いつでも潰すつもりできてください」と発言したのが大きな話題になったが、この発言の裏にはネットで「おまえみたいなババアはもう卒業しろ」というバッシングが相当あったという。「マリコ様、twitterのフォロワーが110万人もいるんだし、少なくとも10万回ぐらいは「ババア」って書きこまれたんじゃないの?」「真剣に悩んで、一時はtwitterもやめてたんだよ」。

それがあったからこそ、あの名言が生まれた、と書かれている。きっとそうなのだと思う。だからこそあの発言にファンはさらに感動するのだし、バッシングからそういう言葉を生み出す境地に至れる強さは彼女の魅力にも直結している。そういう人だから人気が出て、上位にランキングされるのだと思う。高橋みなみが登場したとき、会場全体がリスペクトの空気に包まれたのは私にもわかった。彼女もまた逆境を越えたポジティブのムードを持っている。そういう強さは、いかにも「人気芸能人」のものだから、もう安心して観客でいられる。もちろん大変なこともあるだろうが、それに見合うだけの経験やメンタルをもっているだろうし、人気ゆえのリターンも得ているだろうから。

けれどどうしても気になるのは、激しい競争や、「ガチですべてを晒され、判定される」残酷さに堪えられない子までが同じ土俵に立っているのではないかってこと。40位だろうが50位だろうが、その真剣さや切実さが上位メンバーとほとんど変わらないみたいなんだもん。AKBのメンバーは皆、Google+で近況報告をしているが、前回の総選挙の前も、不眠だったり行き詰まりを感じていたりなど、精神的に不安定になっているような投稿が複数のメンバーに見られるという報道があった。

そりゃそうだろうな、と思う。メンバーは十代や、はたちやそこらだ。ガチで晒された結果、予想より下位だったり、前回よりランクを下げたりすれば、存在自体を否定されたような気持ちになるだろう。不特定多数のファンの心ない言葉を発奮材料にできるほどたくましい子ばかりではない。

もうひとつ。AKBのメンバーは、(建前的に)恋愛はできないことになっている。

(深夜番組で、AKBメンバーと普通の女の子が討論する企画があった)「普通の子が、AKBメンバーに向かって、「でもあなたたち恋愛できないんでしょ?」とさげすむような表情で言い放ってね。これは凄まじいショウだと思った。あまりの残酷さにドン引きしましたよ。メンバーはみんな、完全に凍りついてたからね。それぐらい、あの年代の女の子にとって恋愛禁止は大変なことなんですよ。「あなたたちは、いちばん大事なものを捨ててるんでしょ」みたいな話ですから」
(中略)「とはいえ一部のメンバーは、本当にAKBのメンバーでいるまま、セックスなんかしなくてもいいとさえ思ってるんじゃないでしょうか。握手会を見てると、メンバーもファンの側も、変な話セックスより楽しそうにしている。1日数千人ものファンから肯定的な言葉を浴びまくるわけで、もちろん体力的にはつらいけど、これは相当な快感だと思いますよ」
「彼女たちは、AKBで恋愛以上の快感を得ているわけだ」

劇場や握手会のような距離の近さは、ファンだけでなく、メンバーにとっても通常のアイドルより「低い敷居で快楽を享受する」ことに寄与しているのだ。総選挙で「公開処刑」されるかもしれなくても、背中合わせに「1日に数千人ものファンから賛辞を浴びる」快楽がある。年頃の少女たちにとって、自分という存在をひとたび否定されると際限なく落ち込めるのと同じ強さで、自分という存在を肯定されたいという渇望、肯定されたときの歓喜がある。それが欲しいがために、もっと努力し、自分を磨き、ともすれば媚びたり自分を殺したりもするだろう。

十代やはたちやそこらって、誰だって自意識の塊だ。アイドルを目指すなんて、わけてもズバ抜けて自意識が強いにきまってる。そういう子が、ふつうの女優やタレントのように、ある程度の競争をくぐりぬけて「選ばれる」という耐性をつける前に、劇場やら握手会やらネット上やらで、自分自身を無防備に晒してしまうこと。そこで、まるでSMのように、飴とムチとが表裏一体の洗礼を受けてハマッてしまうこと。そこが、ひっかかる。

AKBの魅力を生み出す源泉なんだろうけど、やっぱり、相当な危うさを孕んだシステムだと思えてならない。丸刈りの件も、あのシステムの危うい面を露顕させたものだと思う。メンバーにとっても、あんなにしてまで縋りつきたいくらい魅力的なシステムであり、思いつめてエキセントリックな行動をとらせる枷であり、そしてそれを周りの大人が容認している面もある。ああいう?危うさ”を抱えているメンバーは、きっとあの子だけじゃない。

また、本書で「指原事件」についても触れている部分では、「AKB全体を考えれば、(交際写真が流出した)彼女に対してはアンチであるべき。アンチこそが本当のファン」と述べられている。ウウッ。AKBの場合、ファンに「公共性」が強いだけに、ファンまでが「AKB全体」=「AKBというシステム」について考えて、ファンさえも、ともすれば、個人よりシステムのほうを優先してしまうのだ。村上春樹の言う「壁と卵」を思い出す。システムは高く強固な壁、個人はもろい卵。壁に向かって卵をぶつければ、簡単に割れてしまう。システムを肯定し、その強化に加担することになるんじゃないかと思うと、手放しに乗っかって楽しめない。

グループであれば何かしらの統制が必要であり、AKBの場合、「総監督高橋みなみ」を見ても、「統制は(お仕着せでなく)自主的であろう」というシステムであるようには見える。飲酒とか喫煙など反社会的行為が報じられることもほとんどなく、女の子同士の、熱心でハードな部活動のようにも見える。実際、強い部活動のように、ハードだからこそ生まれるメンバー同士の強い絆もあるんだろうなと思う。けれど、メンバーとファンとで自主的につくりあげようとした公共性やシステムによって自縄自縛になっている面もありそう。全体主義的なんじゃないかとも思う。丸刈りも、きっと、システムに殉じた行為だった。

かつて総選挙上位の常連メンバーに対して「神7」という呼称があったけれど、それぐらいのポジションにならない限り、大半のメンバーは、芸能界で生き残ることなく、それなりの時期がくれば、グループを卒業する。一般人に戻る子も多いだろう。そのとき、AKBの活動を人生の糧にする子もいるんだろうけど…。大変なんじゃないかな、と思う。好きだ、かわいいと言われたり、ブス、死ねと言われたり、両極端に激しく揺れる振り子のような活動によって、さらに肥大した自意識、疲弊した自尊心を抱えて、大人といわれる年齢になるということ。

本書でこれだけさまざまな視座から論じていながら、彼女たちの視点に立っての想像は、「恋愛ができなくても幸福なんだ。夢を追いかけるために自らアイドルになったんだから、オールOK」というスタンスに終始してるのは、やっぱりこの4人が男だからなのかなーと思う。別に私もフェミニストじゃないんですけど。

AKBの枠を超えて一般的に使われるようになった「推す」という言葉、その意味を、「自分とは何の利害関係もない人を応援すること」と本書では規定する。「そういう想像力がないと社会は成り立たない」「地縁が失われた社会で人と人を繋ぐ仕組みになりうる」「自分の生活だけで精いっぱいだからこそ、利害関係と離れたところで誰かを「推す」ことが気持ち良く感じられる」心の支えになる」という指摘は非常に興味深く、ヲタ習性をもつ人間として、非常に共感する。そう、昔から、基本的にリア充がヲタになる余地はないのだ。何かに餓えているから、もっともっとと求めるヲタになる。

AKBの盛り上がりにはスポーツの盛り上がりと通底するものがある、というのも、おそらくそのとおりだろう。それにしても、なでしこジャパンロンドンオリンピックフィギュアスケート…それらのトップアスリートたちに比肩してしまうほどの「本気」を、「アイドル」に感じるなんて、すごいことだと思う。彼女たちを称賛する。見ている方にとっては、面白くて、幸せな時代だ。

今は、ヲタだけじゃなく、テレビや雑誌といったメジャー部分に露出している部分だけを見て単純に楽しむライトなAKBファンが大勢いて、たぶん私もそのひとりなんだけど、いつもどこかもやもやした気持ちがあったので、本書を読んだのをきっかけに、思うさま書いてみた。ちょっとすっきり。そしてこれからもAKBに注目して応援していきます。