『AKB白熱論争』を読んでのAKB考 2

AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)

AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)

「AKB商法」なんて言葉があるように、世間一般に認知され始めたころから、「AKBなんてマガイモノじゃないか。こんなのホントに人気があるとはいえないんじゃあるまいか」という向きも多い。けれどこの本が大胆にもそこで持ち出すのは、なんと芥川賞ですよ。

芸術として仰ぎみられる近代文学にはそもそも百数十年の歴史しかないし、純文学で唯一世間の話題になる芥川賞は、「文藝春秋を興した菊池寛が作家とメディアを共存させるプロデュースに成功したから」つまり、そこに価値があると、“価値をねつ造”したからだというのだ(ねつ造が下品なら“創造”と言い換えてもいいけど、と付け加えられている)。

文学にはもともと価値があったわけではなく、ある時期に作られたわけです。でも、だからダメだという話じゃない。価値が幻想だとしても、僕らはその幻想がなければ生きていけないんです。アイドルも、もともとは無価値なものだけど、その無価値なものに人は夢を賭ける。

プロ野球やサッカーとも“国民的興行”としての構造を比較する。プロ野球は、読売G…つまり新聞やテレビなどのマスメディアと密着して発展した。ただし現在では社会の変化、価値の多様化によってゴールデンタイムに巨人戦をみるというライフスタイルは失われ、構造的に行き詰っている。その反省から、Jリーグはマスメディアから距離をとり、地元企業のスポンサードを受けて地域に密着する形をとるが、国民的興行として成立しているのはJリーグではなくワールドカップの日本代表だけ。

どんな興行にも「仕掛け」が存在し、それが時代にマッチする/しないによって流行るかどうかは決まる。

AKBはというと、「現場(劇場や握手会)+ソーシャルメディアGoogleプラス)で一大勢力を蓄えたあとにマスメディアに進出して、テレビや雑誌をブースターにブレイクした」ということになる。新しいモデルを模索し、成功したのだ。一方で、Jリーグ的な地方戦略の採用もあり、本書中では、「復興のシンボルとして仙台に劇場を作り、AOB48(青葉)の公演をやるべきだ」という案も出される。

ちなみに、「ペテン師」呼ばわりされがちな秋元康に対して基本的な信頼を寄せているのも本書の特徴で、特に1998〜2004年にかけて、秋元がNHKの仕事で全国をまわって地方の人々と交流し、作った歌をみんなで歌うという「地味でお金にならない仕事」をしていたとの指摘は興味深い。AKBは震災に対して多額の寄付を行い、最低でも月1は被災地での公演を続けている(この座談会が行われた震災後1年半の時点)が、これは単なる思いつきやエエカッコシイなんかじゃないのだ、と彼らは語る。