『八重の桜』 第12話 「蛤御門の戦い」

「さっ、今週も尚さまと八重の幕末ラブロマンスが激萌え進行ね〜」とウッキウキしながらテレビの前に座ると、長・会それぞれのカットのアバンから始まったオープニングに、ババーンと「蛤御門の戦い」というサブタイトルが出て、ハッと背筋を伸ばしました。そ、そうだった、それもあったんだった。うん、「ままならない思い」とか「蹴散らして前へ」ようなのもいいけど、やっぱり、歴史上の大イベント名がドーンと冠されると、それだけで湧きあがってくるもんがあります。

と、歴史ファン的に湧きあがったところで本編は会津から始まり、降ってわいたのは八重さんと尚さまとの縁談でした〜。んもう、あっちこっちに心を飛ばされるニクい大河ねっ。

このくだりの権八さん、面白かったですね。鍋の蓋についてのように「合うが合わねが…」とひとりでひとしきり悩んだあと、奥さんと相談し、「強情はったらテコでも動かねぇからな…」と正しく娘の性質を把握して「搦め手でいくべ」と妥当な判断を下したそばから、娘と義娘の共同戦線にあっけなく屈して話を切り出し、案の定、強硬に拒否されて、怒鳴りつけても「テコでも動かない」っていう。だーかーらー、工夫しなきゃって言ったんじゃないの〜! 

八重さんの、身体全体をきゅっと固くして拒絶する表情も、まだ娘むすめした演技で、うまいな〜って思いました。とにかく八重がいついかなるときもかわいくて応援したくなる(貫地谷さんの時尾のかわいさも、照姫さまの美しさにも同じことがいえる)ってのが、女性主人公大河において奇跡的なこと。あおいさんもかわいかったですけど、あれはどっちかというと、おじさまとかおばあさまとかにウケがよかった感じなので。

ところであんつぁま発案での縁談というのは伝わる通りですけれど、それを思いついた経緯とか本意については、手紙以上のことが何も語られなかったのはわざとでしょうかね。先週、二葉さんの若奥さんぶりを見て、「八重にもそろそろ…しかしあのガンオタ娘をもらってくれる男はなかなかいないよな…会津主力はみんな在京だし…ん? 尚さんがいるじゃないか」って感じの流れで思いついて、あとは手紙にあったように仕官の件ならびに新式銃の採用の件とで一挙両得…ってふうにストレートに補完していいんでしょうか? 来週以降に補足説明が…といっても、あっちはもうドンパチやっててそれどころじゃなさそうだし…。

両親が灯台下暗しとばかりにあっさり進めるのにはちょっと笑っちゃいました。就活も婚活も苦労してたからねぇ…(笑) 尚さんのこと「人物は申し分ねぇ」と認めてたのにはホッとしました。そのあとに「蘭学の素養もあるし、あとは仕官(就職)さえ叶えば」と続けるところが、権八っていい意味で普通で、いいお父さんだなと思います。

そして縁談について「無茶ですよね」と笑う尚さま。明らかに八重の顔色を読みましたね。けなげっていうか、策士っていうか…(ニヤニヤが止まらない)。それにしても、尚さまのセリフにいちいち萌えるのは私だけでしょうか? 会津弁だらけの中でひとりだけ歯切れのいい標準語ってのもあるけど、「釈迦に説法とは思いますが」とか「鉄砲隊のためとはいえ、小細工を弄するとは覚馬さんらしからぬ愚策ですよ」とか、いちいち明晰なのよね〜!

自分はあれだけ頑なに断っておきながら、尚さまが色気のない様子を見せると、それはそれで不満顔の八重さんが、また子供っぽくてかあーいーのだ。直後にあらわれた弟に八つ当たりしたりしてね。このときの三郎くんのホントに呑気な顔つきもgood。

さてさて蛤御門の戦いもなかなか詳しくやってくれて面白かったです。伏見と嵯峨と天王山、3手に分かれた長州勢のうち、大将の福原越後が率いていることから、伏見を主力とみるんだけど、これが見事に囮だった、と。やはり見るからに強そうな(笑)来島又兵衛が、隙をついて蛤御門に押し寄せてきて、そこを守護しているのは、ドラマの性格上、もちろん覚馬あんつぁまなんですね!

長州勢が大砲ゴロゴロひっぱりながら夜中に進軍しているところとか(大変だよな〜)、「会奸薩賊」と書いた旗指物を掲げているとか、印象的。そんなにも恨まれてるのだよね…。来島又兵衛の「罷り来!(まかりこ)」ていう名乗りもかっこよかった。あ、馬上の口上でいえば、今回、孝太郎の慶喜もすごくかっこよくて、実は技術のある人なのかも〜と今後がますます楽しみになります。白いたてがみみたいなのがついた兜も似合っててね〜。

事変直後の池田屋に踏み込んだときには顔色を失っていた会津藩士たちも、すっかり現場の男たちになっている。向かってくる長州勢に怯むことなく鉄砲、槍と次々に繰り出して…や、しかし、あんなに楯もなんもあったもんじゃなく撃ち合うもんなんですかね…怖いよ…あんつぁまも自ら銃をとり、ひょいと超人的なしぐさで弾をよけつつ、ただの一発で馬上の来島に命中! このあたりは思い切ってやってますね、作り手さんww

これを機に一気に攻めたてようというところで、背後の禁裏にでっかいのがぶちこまれたぁ〜! 蛤御門の周辺、中立売門と下立売門が破られたのです。確か、中立売門を守護していたのは、わが福岡藩ではなかったかと思います…。弱かったんですね…(汗)。いえ、べらぼうに強い会津とは比較にならないって話なわけで…。ちなみに、気勢勇ましい慶喜公は馬術も兵の指揮にも秀でていたものの、一ツ橋の兵は弱かったとか…

今や帝の御座所のすぐそばに銃弾が撃ち込まれています。われらが会津の殿は急いで参内…って、歩けてないし Σ(°д°lll)
 有事になれば腰が引けまくる有象無象のお公家さまたちは去年と同じですね。倒れた行燈の火を握りつぶして消火する殿がひときわ素敵に見えまする♡ 帝のためならエンヤコラ〜♪ それでもお公家衆は口々に罵倒しますが、そこで帝の鶴の一声! 帝はいつでも会津中将の味方なのです♡ 「和睦などは思いもよらぬことや」ってセリフがまた、かっこええ! 一片の迷いもない、て感じの口跡もよい! 孝明天皇も、染五郎さんに演じてもらえて、草葉の陰で喜んでおられるであろう…。

実際にはこのとき、守護職容保と、弟にして京都所司代の定敬は、公家衆に押されて帝が「長州と和睦する」と勅しないように見張り役をさせられていたとか。会津兵が先頭に立っているのに、陣頭指揮が一橋で、容保が御所の中にいたのは、敵の狙いが「容保の首」なだけに、「大将=玉」をとられて兵が総崩れにならないよう守っていたのか、容保がそれほどの病身だったからか…。どっちにしても、この戦での慶喜さんは、実際に勇ましく現場に立っています。

閑話休題、蛤御門に戻ると、死に物狂いの長州勢を相手に疲労の色濃い会津兵の前に救いの神が! ここで「丸に十字」の旗が翻るや、たまたま見ていた夫(彼は歴史好きでもなんでもない)が、テロップより早く「薩摩だ!」と叫びました。2週間前の鹿児島旅行で、仙巌園やら鶴丸城やら照国神社やらをまわった甲斐があったというものです(笑)。

で、ここで「薩摩勢」ってテロップ出さないと、いったい誰が吉川さんを西郷さんだと思うでしょうか、って話よねww そのあとには「薩摩勢 対 長州勢」ってテロップまで出たし、作り手の苦心が窺えます、でも「八重の桜」のテロップはうるさくなくて上手だと思います。ゆうゆうと現れた吉川さんの西郷さん(頼母と紛らわしいので吉之助と呼ぼう)、もちろん男前すぎますが、あのデカさがいいですよね。ほとんど武装してない感じも、たぶん考証だと思います。

「おはんは…」「あのときの…」ってあんつぁまと西郷、運命の再会…夫がこのあたりで「この人、死ぬの?」とあんつぁまを指して言いました。死にゃあしません、この人、けっこう長生きします。が、が…これまであんなに敏捷な(というかミクロの)動きで弾をよけてたあんつぁま、薩摩の新式ライフルに見とれてるうちに撃たれたあああ! バカーッこのガンオタめーっ(泣) 意外な斃れ方でした…。でも、悲惨過ぎなくてちょっと救われたかも…。

鷹司邸に立てこもっている久坂や真木。桂さんはすでに町人コスプレに身をやつして逃げる気まんまんです。蛤御門の敗走を伝え、久坂にもいったん退くよう説きますが聞き入れられません。もはや此処を死に場所と心得た久坂が毅然とした表情を崩さないのに比べ、「久坂!」と必死の思いで呼びかける桂さんが顔をくしゃくしゃに歪めているのが印象的でした。「自分が死んでも続く者がいる…」とは、死を前にした志士のお決まりの述懐ですが、歴史ファンにはこれを久坂が言うのは意外に感じます。でも、それ心得たうえで、わざと言わせたんだろうなあと。

長州は会津にとって敵対勢力ですが、決して悪鬼でも愚昧の輩たちでもなく、彼らには彼らの志があり、悲劇があるわけなんですよね。これは続く桂さんの場面にもあらわれていて、“逃げの小五郎といえばコレ”っていうほっかむり姿はおなじみながら、逃げる中で親とはぐれた少女と共に泣く姿…なんてのはなかなか珍しい切り口だと思います。小五郎ってどの作品でも才人だけれど、往々にして陰気だったり「小ささ」だったりを感じさせる描写が多くて、龍馬や西郷に比べるとどうにも人気が薄い。私も、あの場面で初めて桂小五郎に“かわいそう”って感情をもった気がする。

思えば現時点での長州人は相当悲惨な目にあっていて、小五郎にしても、松陰に死なれ、吉田稔麿に死なれ(池田屋)、今また久坂らの同朋を失うのは痛恨であったに違いない…そんなふうに感じさせる演出でしたね。久坂や来島らに揃ってイケメン俳優をあてがったのも、視聴者に無闇な「長州憎し」の念を抱かせないための工夫だったのだと思います(違う?笑)。

そういえば、私は「信長のシェフ」には参戦しなかったんですけど、両方を見てる方は、同時並行での小五郎、だいじょうぶなんでしょうか? プッと吹きだしたりしませんか? てか、今回の大河、西郷隆盛桂小五郎も信長経験者で、しかもミュージシャンなんだなあ…。

おっと脱線しました。話は戻って、単純な二項対立にしないのは会津についても同じで、カメラは、大焼けに焼けた京の町やたくさんの遺体、焼け出された人々を、時間をかけて映し出します。とりあえずの勝利を収めながらも、覚馬は灰燼に帰した町並みを呆然と見つめ、都人たちの怒りや憎しみをまともに浴びる。ここでお目見えした松方弘樹の大垣屋清八がどれくらいのウェートで登場するのかわかりませんが、お救い小屋を営むことについて「因果な商売だからこれぐらいさせてもらわないと」というのも、この作品らしく、独善から遠い良識的なスタンスだと思いました。

そして、覚馬の、れっきとした会津藩士で仲間がたくさんいるし、秋月さんとか広沢さんなどなどと行動を共にしているんだけど、どこか皆と違うところを見ているような感じが心に残ります。藩士とはいえ鉄砲の家というのはやはり幾分特殊な職務であるし、若いころに江戸で象山や勝に師事したことに加え、ついに目をやられてしまったことで、彼はこれからますます独自の道を歩んでいくのでしょうか…。とりあえず眼帯がかっこよすぎる…(最低)

ドラマの流れでは前後しますが、会津にも開戦の報がもたらされます。照姫さまの、座から前に出て片膝を浮かせた格好で、さらに膝をポンと叩いて使者に殿の安否を問うっていう所作がすごく良かった〜。この最高の貴婦人は、凛々しさをあわせもっていますよね。

山本家の描き方もすばらしくて、開戦に驚きつつ、先頭に立って奮迅しているだろう惣領息子を思って興奮しつつ、健闘を祈りつつ、けれどやはりその身の無事を祈らずにいられない、不安でたまらない…という様子。時代と地方に敬意を払いつつ、けれど人間として家族として当然の感情もあって、それが両立しているから、本当にグッとくるのでした。やはり特に、マッチゲさんのお父さんが本当に人間味あふれる素敵なお芝居をしていると思います。

続報をもってきた尚さまが、「お味方が攻めあぐねているときに大砲で大穴を あけて撃ち込むなんて、いかにも覚馬さんがやりそうなことです」と言うのも、脚本といい、涼やかに言い切るピロキの演技といい、よかったですよね〜。

で、最近はもう、夜の角場ってだけで期待でwktkしちゃうんですが、先ほどのお礼を言いつつ、「武士の娘として恥ずかしい」とけなげなことを言いつつ、兄を心配して泣く…という、いかにも娘らしくさまざまな感情を吐露して涙する八重ちゃんの頬に思わず手を伸ばす尚さま…! キャーキャー、なんて色っぽい手つきなの、いけーっ、いややっぱりやめてーっ、と胸をいっぱいにしていましたら、尚さま直前で手をひっこめました…! そうよね、めおとになるまではみだりに体を触れ合ったりしないのが武家の男女の正しいロマンスよっ。

晴れて八重の夫となった尚さまについて、先週は、「食事の場に登場!」て姿を妄想してニラニラしてたわけですが、今週思ったのは、「7年間も“八重さん”呼びしてた尚さまが、祝言のあとは、“八重”と呼び捨てにしたり、タメ語、時には命令口調でしゃべったりするのよね〜!」ってこと。うわー想像しただけで涎が止まらん…。

てか、そのギャップに萌えさせるために、これまでいついかなるときにも誰にでも敬語だったわけよね。んもう、小面憎い!!! のちの夫となる新島ジョーと八重は「同志」のような関係で、アメリカ帰りのジョーはレディファーストで八重を遇したというから、そことの差異を際立たせるためにも、尚さまはそれなりに「江戸時代の武家の夫」らしい夫を演じてくれるに違いない! ああーまた一週間、妄想の日々が始まる…てかもう始まってるぅぅぅー。