『放送禁止歌』 森達也

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

放送禁止歌 (知恵の森文庫)

テレビ番組や映画を作る人が書いているだけあって、あたかもドキュメンタリーを見ているような感覚に陥る。導入部で一気に1970年代、自分が生まれる前の時代へと連れて行かれ、ページをめくる手が止まらず、2時間ほどで読み終わった。まさに1本の、良質で硬質なドキュメンタリーを見たような読後感。本を閉じた後の目に映るいつもの家の中が、少し違った色に見えるような、体が固まっていて、急に動かすのが少し怖いような。

テレビ制作のディレクターである筆者が、自分のルーツから、自然と興味をもつようになった「放送禁止歌」についての企画を立ち上げ、いくつもの障壁にぶつかりながら進んでいくうち、やがて当初は予想だにしなかった事実が見え始め、同時に、自身の関心や思うところも大きく変わってゆく…二転、三転しながら少しもダレない構成。「醒めた熱情」とでもいうべき独特のトーンがある文章。

実際に筆者が作った「放送禁止歌」のドキュメンタリーのエンディングでは、カメラを取材対象から180度転換させ、スタッフや関係者たち、筆者(当該番組のディレクター)…と順番に映していったあと、最後に、何も映さない、真っ黒い画面をバックに、超A級放送禁止歌といわれた「手紙」をフルコーラスで3分流したという。

カメラやスタッフの存在を隠すことが暗黙の了解である通常の手法からは逸脱した表現である。また、真っ黒い画面は放送事故と思われておかしくない、もっとも避けるべきやり方だ。

筆者は、「放送禁止歌は、“誰か”の問題ではなく、“わたしたちひとりひとりの問題である」というメッセージをこめて、そのような表現を行った。同じような言は、本書のあとがきにも示される。

差別の問題というのは、結局そこに帰結する。「私たちひとりひとりの問題」。その結論は、中学生でもわかっている。

大事なのは、何度でも繰り返し、また、さまざまな角度や経路から、その結論に行き着くまでの過程を辿ることなのだろうと思う。でなければ、「それが私たちの問題である」ことを忘れてしまうから。

放送禁止歌」なる規制は、実は、ないといっていい。けれど、「無意識のうちに進んで」まるでそれが存在するかの如き振舞で、番組を作ってゆく業界人たち。「他律的な規制に身を委ねれば確かに楽だ。でもこの快適さは、感覚を麻痺させる」と筆者は書く。

思考停止。他律。自ら考えることをせず、誰かが決めた(と思われる)ことに簡単に従うこと。その怠惰は、やはり罪だと思う。自分への戒めとして、こう書いておく。まず、このログ自体を、折にふれて読み返そう。