『八重の桜』 第7話「将軍の首」

アバンで獅童、そして京都では天誅の嵐、本間精一郎とか目明し文吉とかのテロップが出ましたが、三年前にきゃつらを殺ったのは、三年前でいえば佐藤健くんですぜ!(岡田以蔵)。OPクレジット、トメグループに小泉孝太郎…だと…?!(目を疑う。役柄補正か) さて本編。新婚に同行してんじゃないよ、てか、なんで弟妹どころか居候まで一緒なのにうらさんはお留守番なの? ああっ、雪さんに石投げさせないで、絶対落と……ほら落とした言わんこっちゃないーーー!(悲) …って悲しんでるヒマもなく温泉シーンキターーーーーもちろん男湯ーーー! そう、そうよカメラさん、だんだん寄っていって…! うーん、あんつぁま、今日もぶ厚い胸板だな! でもピロキの白い肩もステキ…

…ってまだ始まって10分で息切れ甚だしいよ!!!ゼェハァ わたくし、本放送より10分ほど遅れて録画で追っかけ視聴してたんですけど、男ふたりが温泉に浸かったとたん、TLの流れること怒涛の滝の如し、だったようですww

夜なべして新しい着物を仕立てる妻。山ほど耳かきを作る父、山ほど足袋を縫う母。妻に初めての贈り物を渡し、子を託す夫。涙ナミダの演出ではなくとも、いや、だからこそかもしれない、出立の行列が悲しい。梶原平馬にも、神保修理にも、みんなに、山本家のような一幕があったんだろうなと想像させる。幕末劇に主要人物が大きな移動をするのはつきものだけど、歴史のなりゆきを知っているからとはいえ、こんなに悲しい、胸を絞られる思いがする出発はなかなかない。これが故郷との別れ、家族との今生の別れになる人々がどれだけいることか…。

江戸での決起集会。男たちが黒々と広間を埋める図が美しい。広間の前の方にいる平馬や修理、庭に控える覚馬。家格の序列を如実に感じさせる。木曜のふわふわ男が、日曜には上京する会津藩士千人の頂点に立っている…。ここでのセリフは守護職への覚悟を述べるもので、前回ラストとまったく同じフレーズがあったのも意図的なものじゃないかと思う。立派な所作、口調ではあるものの前回に比べるとすごく平静なトーンで、いったん落ちついたんだなと思わせる。しかしそのあとに映る西田敏行の頼母は、たった一言なのに、今回も悲愴の雰囲気。両者のギャップを感じる。

それにしても、三条大橋での馬上の会津中将ったらもう! 「きれいな殿さまやな〜」。ほんに、ほんに! この絵のためにこの人をキャスティングしたんじゃないかと思えるほどだ。陣羽織がおしゃれ。会津の旗は、なんかちょっと顔みたいに見えてかわいい。

入京したので公家も登場。近衛さんは篤姫の養父になった人、2008年は春風亭小朝でしたかな。三条実美篠井英介っていうのは、もう、今までなかったのが不思議なくらいにドンピシャのキャスティングですな。早く喋って! にしても、ここで早々に三条実美に触れたり、「薩州関白」なんて言葉を使って幕末京都事情を解説するのがうまい。秋月悌次郎を演じる北村有起哉の演技がうまいので、説明口調にならないし。男所帯なので褌も自分たちで洗ってます…みたいな京都での会津衆の日常描写もいいですね。

会津のお正月、女たちのかるた遊びに剛力さん登場。何度も書いてきましたが、世間がゴリ押しだのなんだの言おうと、私は、旬の女優(俳優も)が大河に出るのを基本的に歓迎してます。去年の武井さんが良すぎたんで、ついつい期待しすぎちゃうほどです。

てか、このかるた、下の句だけ読んで下の句の札をとってたよね? ちゃんと考証されてるはず、こういう遊び方があるのね。会津の平和な日常は、初回から緊張状態だった上つ方や江戸のパートと対比しての癒しのシーンだったけれど、微笑ましい日々の描きこみこそが、のちの悲劇を増幅させることになる。「カーネーション」でもそうだったけれど、名もなき人々ののどかな日常がわけもわからずいつのまにか奪われることがもっとも悲しく、怖い。

都の正月は、容保が孝明帝に目通り。綾野くん、直垂も似合うのぅぅぅぅ(悶絶)! 高い声で変な謡みたいなのが響いていたり、呼び方が「源容保」だったり、昨年に続き、今作も儀式考証がすばらしい。大河の良き伝統にしてほしいものです。

染五郎丈、元気になって本当によかった。伝統芸能人が皇室関係者を演じるのは鉄板ですが、孝明帝ってとこがミソだよね! 明治帝の若き時代は若かりし日の七之助ラスト・サムライ)、孝明帝は染五郎。ともにベストアンサーです。ちなみにOPクレジットは、トメグループトップでした。

で、「なんときれいな目ェや…」で笏をトントン、で御簾がスルスル、ですよ!! いや〜このロックオンっぷり、「孝明帝が悪左府じゃなくてよかったね…」とつくづく思ったり。や、貞操は守られても会津は大ピンチなわけですが。

いやいやそんなこと言ってる場合じゃない、ここは、孝明帝が容保という人物にひとめで恋をした 惹かれ、信を置いたってのがポイントだよね。バリバリの佐幕派である孝明帝は、そういう意味でも会津と齟齬をきたさないんだけど、もうそこらへん以前に、公武合体とか尊王攘夷とかいう理念や思想を超越して、愛されたのだと。また、綾野剛の容保にはそれだけの説得力があるもんだからね〜。

それで「御衣」を賜るんだけど、それで藩士たちに大喜びさせながらも、張り詰めたBGMを流してるところがよかったなあ。何もかもが悲劇のフラグなんだよね…。尋常でない愛され方に、現場では目をうるませて打ち震えてた(この演技がまた!!)けど、帰還すると憂いに沈む容保。

うん、そりゃ愛されもするよ、魑魅魍魎が跋扈する都に、あなたみたいに純粋な人はいないから!!! 特に、何かというと仮病や「辞める辞める詐欺」なんてゴネまくりの慶喜とは、性根が違いすぎるから!!! この辺の「二心殿」っぷりっていうか慶喜クオリティーを序盤からちょこちょこ描くあたりも、脚本、抜かりないなあと感心する。にしても、綾野くんと斉藤工の主従2ショットが超眼福ですね! あんつぁまが身分の壁に遮られて藩主のおそばには伺候できない分、がんばれ神保修理

サブタイトルの「将軍の首」って何のことだか知らなかったんです。一般的には相当マイナーな、けれど会津藩史を語るには欠かせないエピソード。こういうのを、使ってくるんですね〜。穏健派だった容保が厳しい取締りに転じるきっかけになったわけですが、これ、わかりやすいきっかけを創作する選択肢もあったと思うんです。というか、大河ドラマってそういう傾向にあると思うんです。

実際、尺も短いし、多少難しい場面だったと思います。でも、この史実を捨てなかったことに感動してる。細かい事情はわからなくても、「話せばわかる」と信じていた人が、相手とのあまりに深い断絶を思い知らされる瞬間だったことは受け取れたと思う。演出や役者の演技が歴史の世界にいざなってる。ザッツ・大河ドラマであります!

あと、「御衣」とか「言路洞開」とか、「偽勅」とかがテロップで出るのはいいですね。耳で聞いただけではわかりにくい言葉について、そういった語彙をハナから避けるでなく、こざこざと説明するでもなく、ただ漢字で書いて出せばかなり意味が通じるんだな、とあらためて思い知らされる、シンプルで美しい演出だと思います。

そして会津へ。思いがけないことを知らされる八重。「強い力を持つ者ははじめは讃えられ、次に恐れられ、末は憎しみの的となる」すばらしく的確に八重の、そして視聴者の胸を打つセリフ。それを「予感していた」という覚馬の見通しも特筆すべきところ。この人は本当に、無名すぎる幕末の傑物のようですね。

そして大蔵の淡い恋心を涼しい顔で玉砕する尚之助(笑)。

それにしても、です。今週、最近になって(つまり大河ドラマ化が決定したゆえに)研究が進んで明らかになった「八重の桜」関連の史実、ってやつを知ってびっくりしてしまいました。ほんとにびっくりしたもんだから、思わずネタバレ気味なツイートをしてすみませんでした…(あ、逆に興味のある人はtwitterの過去ログごらんください。アカウントははてなと同じ、emitemitです)。

その件を今回の大河でやるかどうかは微妙なとこだと思うんだけど、それをおいといて、公式サイトの相関図を見ただけでも、会津戦争が登場人物たちに課すさまざまに苛酷な運命は明らかなわけです。そして、その先に八重の、生き残った会津人たちの人生が続くことも…。

主人公の八重は、新島襄の…同志社大学の創始者の妻になるのだから、彼女はその後半生(よりももっと長い時間?)を、会津人たちの中で生きるわけではありません。

守護職を受けて上洛して…と、早くもひしひしと維新(それは会津にとってのXデーを意味する)の足音を感じるにつけ、どきどきしてきます。去年も最後に平家が滅亡してしまうのはわかっていたからつらい部分はあったけど、会津戦争は、それとはちょっと次元の違う・・・・・・はっきりいって、大河史の中でもっとも悲惨なドラマになる気がしますし、それは必然だと感じます。時代が現代に近いゆえ、そこでドラマが終わらないゆえ、そして舞台が福島であるがゆえに。

そう、舞台が福島なのだから、このドラマは、「戦争は悲惨でしたが、八重はその後、京都に引っ越して、新島襄の妻として、ハンサムウーマンとして、楽しくかっこよく暮らしました」では済まないはずです。会津戦争自体を悲惨に描くことはある意味簡単です、あれだけたくさんの登場人物たちが、死傷したり、罪に問われたりするわけだから。でもそれは7月、戦後処理あれこれしても8月でしょう。

そのあと、史実の八重が京都に行ってしまった後で、このドラマは、生き残った会津人たちをどう描くのか。京都で新島の妻になる八重と、会津のその後とを、どういう比重で、どういうスタンスで描いていくのか。日曜8時の大河ドラマなんだから、物語には希望が必要です、けれど薄っぺらい希望を描くのは、むしろかえって罪深いことです。

ここまでの序盤、毎回すばらしい脚本が書かれていますが、それでも果たして大丈夫なのかと心配になるほど、この物語のハードルは尋常でない高さなのだなあと思います。そして、復興が簡単でないことは過去の歴史が証明しているのだな、とも。そんなあれこれを考えてた今週でした。