『シェアハウスの恋人』 第3話

最後、水川あさみが涙しながら言うセリフに、不覚にも(?)ぐっときてしまった。「頑張ったら、なんかいいことあるんですか? 私、今日、後輩のために駆けずりまわって、その子に「こんなつまらない仕事よくやってますね」って言われて、ほんとは頭にきてるのに、がんばろうね、とか言っちゃって…」 

実際、そのセリフにたどりつくまでの仕事先での描写はけっこうリアルで、後輩(木南晴夏がいつもどおりいい仕事をしてる)への「がんばろうね」は割とすらっと返したセリフだったんだけど、この、あとからのセリフで「ああ、そうだよねー。頭にくるはずだよね」と納得がいったというか。働く20代を経験した女子は、「わかるわかる!」てなったんじゃないだろうか。その場では流れでなんとなく頑張ったり、前向きなことを言ってみたりするんだけど、何かふとしたきっかけで糸が切れて、わーわー泣いちゃう(泣きたくなる)っていう…。泣きながら「なんで私、こんなに傷ついてるんだろう?」ていぶかしむ自分もいるんだけど、なんか泣けてしょうがないっていう…。いつのまにかたまっていた淀んだ澱が一気に噴き出ちゃうんだよね。のちに振り返ると己の未熟さゆえでも、大いにあるんだけど、そんな自分もちょっと愛おしかったりする。

思い出してみれば、ドラマ初回冒頭、本社からの左遷が決まってしらじらしく送別会で見送られて、ひとり暮らしの家に帰って号泣…てシークエンスも、このパターンの一種だったのね。すごいド直球な見せ方で痛々しさ以外なんの感情もなく見てたんだけど、枠を考えても、「アラサーのどうしようもないつらさを正面から描き、そこからの救いを多少ファンタジー的にでも見せたい」ていうのがドラマの主題なんだよね。

水川あさみの仕事が「コピーメーカーの営業所づとめ」なんてこの上ないリアルさである一方で、周囲の人間たちの設定やコミカルパートがあんなにぶっとんでるのも、その主題を描くための手段…のはずなんだけど、どうにもかみあってないよなあ、という思いは否めない。タニショーの暗さとゲイ設定の浮き方とか、シェアハウスのシステムや内装の空々しさとか、弟カップルの鬱陶しさとか、欠点だよ多分。でも、ぐっとつかまれるところがあるから、それらモロモロも「しょうがないなあ」と思えなくもない。なんか、「結婚しない」みたいにイラッとはしないんだよね、このドラマ。ヘタだけどまじめ、だからか。

次が楽しみ!絶対完走!みたいな意気ごみは全然ないんだけど、なんとなく、次も見てしまう気がする。てか、唐突な鈴木福くんの投入は何?! つくづくスムースさのないドラマだ…