『平清盛』 第31話「伊豆の流人」

オリンピックのため放送がなかったのは8/12なんだけど、自分は8/5の週に視聴をお休みして、今日やっと、録画を見ました。オリンピックが閉幕したのに合わせて、第三部を始めたというわけです。

OPの背景映像がマイナーチェンジ。清タン、大鎧で弓を射る、から、公卿姿で舞う、に変わりました。いかにも涼やかに、けれど貫録ある武士貴族サマといった感じで踊るオッサンもかっこいいんだけど、やっぱり武者姿の凛々しさが恋しい。でもこれが現実。物語中でも、もはや武装した清タンを見ることはないのでしょう…。そして疾走感あふれる海辺のシーンでクレジットされたのは「源頼朝 岡田将生」 キタ--------! なんかすでに、源氏が平氏の背後に迫ってきた感が。

そんな第三部の初回。静か動かといったら静だった。しかし、かなりの不穏さを内包している。とはいっても、現状は静である。という、一言ではまとめがたい回。こういう「簡単に白黒つかない感じ」が面白いと思うんだけど、一般に支持されない理由もまた、こういうところなのかな。

「男と男の関係」の描写に力を入れたこの大河(って、事実なのだがこうして書くとめちゃめちゃ妖しいな)において、「父と子」の姿は外せない。

第三部では、これまで以上に「父」たる清盛の姿が描かれるのだろう。第二部にもすでに萌芽があったが、長男・重盛との関係。じょじょに正面きって対立するようになるかと思いきや、つねに沈鬱な面持ちでいた重盛が、「かつて鳥羽と崇徳との間をとりもとうと奔走していた父」をよく覚えていて、かつ、「時流にのまれて修羅の道をひた走ってきた父」の心中を慮っているという描写にびっくり。息子はしばしのちに、「修羅の道を進む父上を陰に日向に支えていく」と一大決心。

この先の歴史をおいといても、父その人にでなく、妻に向かって宣言するところといい、告げられた妻が「よくぞ言った、がんばって!」てテンションじゃ全然なく「それは茨の道・・・」と返すところといい、この人の深い屈折が見え隠れしていたし、悲しげな雰囲気がむんむんと漂ってました。

だいたい、恐れ多くも二条帝に「父を敬え」と説教し奉ったり、乱で近臣を失った上皇や義兄の成親を思いやってみたりと、忠孝の道を尊ぶがゆえに、みずからの実父である清盛に反発していた重盛が、一気に「父上をお守りする」路線に傾いた理由が切ない。僧侶に神輿を担がせて乱行に及ぶ後白河上皇、そのタブーに向かってただひとり断固として抗う意思を示した清盛。その姿に、この息子だけが、彼の真の強さと、深い孤独を垣間見たのだ。つまり、彼こそが清盛の唯一にして最大の理解者になった。それは本来、すばらしいことのはずなのに、あの決意の場面の切なさといったら・・・泣

てか、この期に及んで窪田くんのキャストクレジットは連名なのかーい! まぎれもない重要人物であろーが!!

そんなけなげな息子を称して「俺はあんなに青臭くはなかった」という“どの口が言うか”発言に続き、後白河に対しては「相変わらず赤子」と、言いたい放題の清タン。

その後白河の「父」としての姿も今回、描かれる。自分を政の場から締め出し、自分が(清タンに命じて)建立した蓮華王院への招きにも一度も応じずに逝った息子・二条帝を深く怨み・・・その怨みの裏には泣きたいほどの愛情もあったことの明らかになった、松田翔太の泣き笑いの演技は見事。二条帝の「天子たるもの親などおらぬ」の一言も戦慄だったけど、この父子の相克は、もうちょっと前から深い描き込みが欲しいところだったなあ。見応えあったろうに。

ともかく、父にも母にも世間にも放ったらかしにされて育ち、「俺なんて要らない子なんだ」といじけてた後白河は、長じた(ていうかこの人ももう40歳ぐらいのはずらよね)今も、兄・崇徳の讃岐からの一縷の望みを拒み、また実子たる二条帝にも受け容れられず・・・という寂しい人なのですね。王家の人々は、みな人一倍濃い情愛を持ちながら、どこの父子や兄弟をとっても、何がどうでも理解し合えないという描写が今なお続いてますな…。

しかし後白河の孤独を擁護するでもなく、貶めるでもない描き方は面白いですね。松田翔太には今後ますます一筋縄ではいかぬ上皇を演じてほしいところ。放送前は、あの若さで後白河とはいくらなんでも…と思っていたが、なんのなんの、怪演の域にまで達しそうである。そして滋子ちゃんというステディを得てもなお、孤独にうずくまるゴッシーの前には、またしても松田聖子が登場するのか☆

「男と男」は父と子だけではありません。兄と弟も大事なファクター。かつては兄・清盛に対して敵意もあらわだった頼盛ですが、保元の乱における叔父の非業の死を見てからは、ひとまず矛先を納めているもよう。しかし、あの方が、そんなヌルい状況を見過ごすわけはないのです。そう、池禅尼さま、しっかりと楔を打ってからお亡くなりになりました。

清盛の出世を喜び、一門の棟梁に向かって「あとは頼みましたぞ」と言い遺しながらも、「けして絶やしてはならぬ」の最期の一言では我が子・頼盛をチラ見しているという周到さ…死の床にあっても恐ろしい人! 

その枕頭には多くの子や孫が侍っていたものの、彼女と血を分けるのは頼盛ひとりだけだったという事実には、確かに震撼とするものがある。みずから覚悟の上で「生さぬ仲」である清盛の母になった。確かな愛情や労りを注ぎ、一門の妻、母として仕え、支えた。そして一門は栄え、誰もが彼女を敬い、女としての栄華を羨んだ。彼女自身、自分を不幸だったとは思っていない。けれどその50年、心の奥底にあったものは何なのか。口から出る言葉とは裏腹の思いをつねに感じさせる人だった。その人物造型と、和久井さんの演技、どちらもすごく良かった。ジメッと重たいだけでなく、晩年に見せた意外なコミカルさでも深みを増した。安らかに。

そんなこんなで「平中納言」こと清盛さんは出世を重ね、大納言に。王家の犬として這いつくばっていたの今は昔、もはや彼が姿を見せると、公卿の面々もササッと道を空けてくれます。

薄い笑みを浮かべ、そこを颯爽と通ってゆく清タン。畏きお方や法師たちの神威をものともせず意見する清タンに圧倒され、チビりまくるのが峰竜太の伊東祐親です。いきなり登場したんだけど、いきなりどんな人かわかりました。演者自身のもつイメージと相まってキャラクターを鮮明にする、見事なキャスティング…。

つまり卑小な男ってわけです。そして、その卑小な男にすら侮られて甘んじている、それが「伊豆の流人」こと源頼朝なのです。

ついに登場した本役の頼朝は、峰竜太が「青っ白い」「荒武者だった父の面影ゼロ」と称したとおり、一途にみなぎる目をしていた頼朝少年・中川大志くんの強さ、激しさを思い出せば、いかにもつるんとして物足りない・・・・・・・・のは、確か、なんですが。

何この美形。岡田くんって別に私のストライクゾーンではないんですが、これはもう、好みとか好みじゃないとかを超えた顔。この美の前には、どんな文句も空しく響く。美しさって大事だ…。

この場にうっかり時子が居合わせなくてよかったよ、てぐらいの「光源氏」っぷり。こんな片田舎の片隅にひっそりと王子様が暮らしていただなんて、女の子にとってはたまらないシチュエーション。一言も交わさずとも、王子然とした佇まいをのぞいただけで福田沙紀が恋に落ちるのも道理ってもんで、彼女の「ひとめで恋に落ちた顔」に有無を言わせぬ説得力があった。

キャスト発表のときには、この八重姫のエピソードって必要なのか?!と、いぶかしんでたんだよね。つまんない前座なんじゃないかと。でも、まぎれもない源氏の御曹司として生まれ、教育を施され、戦乱をもくぐった頼朝が、いったんすべてを失くし、ただの力なき青年として日々を過ごした、その過程で、身一つで恋もした・・・って描き方は面白いなと思った。

味方らしい味方といえば、主の前でも愚痴愚痴こぼすような屈託ない従者と、畑仕事にいそしむ風采のあがらない土着の豪族だけ、ってのもいいよね。どこでどんな役をしても一点の曇りもない安定感を醸し出す塚本くんよ! 北条時政って、20年くらい前の伊東四朗、って感じの、いかついイメージなんだけど、やたら柔らかく出てきた遠藤憲一の時政も期待させるものがある。

この恋はどう見ても成就しそうにないんだけど、流人として諾々と写経にいそしんでいた彼が、どうやって「力の無さ」を痛感し、都にいる強大な者の姿を思い出し、立ち上がってゆくのか、すごく楽しみ。平家が追い詰められてゆくことを思うと悲しいけどね。それに、これからは他の兄弟にもスポットが当たっていくんだな。重盛と異母弟たち、頼朝と義経…。