2012 ロンドンオリンピック: 8月12日【男子マラソン】

女子の経過と結果を受けて、男子は同じ轍を踏まないよう対策するだろうなーとは思ってたものの、早・10キロ過ぎにキプサング*1が抜け出し独走態勢に入ったころには、「あーあーあー」とため息ついてた。解説の高岡さんも、「まるでレース後半を見てるみたいですね」とコメント。2位集団も、ほとんどがアフリカ勢だったしね。15キロの地点で、日本人で一番前を走っていた藤原新と、トップとの差は、すでに39秒。中本は45秒差。

しかし、それで終わらないのがマラソンの面白いところ! 20キロ地点の給水だったのかな、先頭をいくキプサング、ケニアの売店(違)を見逃し、スペシャルドリンクを取りに数メートル引き返した。その時点で後続とはゆうに100m以上の差がついており、「大勢に影響なし」のひとコマかにしか見えなかったのだが、「せっかくリズム良く走っていたところなのに、引き返してまでスペシャルドリンクを取る必要があったのか…。各国の売店(違)のあとにある、“ご自由にどうぞ”(違)のゼネラルドリンクでも良かったんじゃないか」と高岡さんが小さく疑義を表明。

ふむ?と思って見ていたら、そこからたった2,3キロで、げにリズムが狂ったらしいキプサングの背中に、後ろの人影がぐんぐん近づいてくるではないですか。7−8人はいた2位集団が縦長にばらけて、その中からキルイとキプロティッチが前に迫ってきたのだ! 

時を同じくして、一時は20位ぐらいを走っていた中本が、10位集団(先頭集団、ばらけた第2集団に続く3つめのグループ)に追いついてきた。もとからそこを走っていた藤原と肩を並べるようにして走る姿に、これで藤原もずいぶん励まされただろうと思ったのもつかのま、中本はそのまま、新参者のくせに(違)集団の先頭に立ち、8人ほどのグループを牽引し始める。お、おま、いい度胸してるじゃねーかよ!

先頭に戻ると、「こうなったら追う者のほうが強いよな」と思ったとおり、あれよあれよと言う間に26キロでキルイとキプロティッチがキプサングをとらえた。明らかに、追う側と追われる側の足の回転が違う。「ここで追いつかれたらがっくりだよな、心が折れて、あとはずるずると…」とキプサングの衰退を予想してみると、なんのなんの。

キルイとキプサング、同じケニアの代表であるふたりは、スピードをゆるめないまま横を向いて何やらぺちゃくちゃとお喋りしながら走ってる。これまで10キロ以上、寂しくひとり旅をしてきたキプサングは、同僚の出現と励まし(?)に勇気百倍となったのか、あと、わざわざ引き返してまで飲んだスペシャルドリンクのスペシャル成分も効いたのか、また息を吹き返した。あー、さすが歴戦の勇者だな、ここは、40キロぐらいまで3人並走かな、あるいは実力で勝るふたりを前に、ウガンダのキプさんが先に力尽きるかな、て感じで私の予想を修正。

すでに解体されていた2位集団にはアフリカの実力者たちもいて、彼らは持ちタイムでいったら日本選手とはレベルが違うんだけど、「若さと勢いで飛び出していく分、『メダルに届かない』という思いにとらわれたときの失望は深い。そこへいくと、入賞を目標にしている日本の選手は、最後まであきらめない我慢強さをもっている。まだわかりませんよ」と高岡さん。

彼のコメントでは、今にも追いつかれそうなところで粘っているキプサングを称して「マラソンをしていますね」という表現も印象的だった。『苦しくなってからがマラソン』。それが日本のマラソン選手の合言葉だもんね。高岡さんの解説は、増田さんとも有森さんとも金さんとも、もちろん瀬古さんとも(笑)違ってて、なんともいえない味があって良かった。随所に京都弁のアクセントがあって、はんなりしてる。

高岡さんの言葉通り、中本・藤原のいる集団は、前から落ちてきたムタイやアスメロンを吸収し、別にいく人かの脱落者も出して、30キロ過ぎには大きな10位集団から小さな7位集団に格上げ! 「ここから入賞者が出る!」と思うと、俄然、盛りあがってくる。この中で足取りも顔つきもしっかりしているのは中本だな、と思った通り、集団はさらにバラけ、その先頭は、さらに前のアブジェロをとらえてゆく。ここで藤原が落ちていったのはちょっとショックだった。五輪出場までの道のりの険しさを思うと、日本代表の中でもっともモチベーションが高く、渇望するように上位を目指していたのは藤原だと思っていたので。

35キロでは中本は5位に。前のドス・サントスとは縮まりつつあるとはいえまだ差が大きく、後ろにはアメリカのKeflezighiがぴったりついてる状態で、「うーん、独りで走るのもつらいとはいえ、ここまで来ると、もう後ろには離れてほしいという気持ちもあるかもしれないですね」と高岡さんが慮る。

そして先頭にも異変が。35キロでいったんキプサングがスパートをかけ、これに対応したキルイとの並走になって、予想通りかと思われたところ、37キロでウガンダのキプロティッチがぐんぐん追いつき、逆にスパートのお返し! 「やっぱり最後はケニアの同僚が相手だ」と思っていただろうキプサングとキルイが「え、何が起きました? あいつ、もう終わったんじゃなかったの?」とポカーンとしている(推定)間に、一気に差が広がってゆく。

タイムでも経験値でもケニア勢に劣るウガンダのキプさんが、ゴールまであと5キロあるという状況でスパートしたというのは信じがたい展開だったが、結果的にはこれがハマった。ケニアのふたりには、彼を追う足がもう残っていなかった。レースを前半から率いたキプサングが先に落ち、キルイも実は限界だった。残り1キロというところで後ろを振り向き、勝利を確信したキプさんはひととき笑顔を浮かべ、それからまた歯をくいしばった。彼だって当然、苦しいのだ。それでも、最後は沿道から受け取った母国の大旗を肩の上に掲げながら栄光のゴール! 

こういうゴールシーンって初めて見たんだけど、ゴール前に選手に差し入れしていいんですかね? だったら、なぜ今まで誰もしなかった? あ、今回のゴールがロード上だったからか。競技場の中がゴールだったら、観客は立ち入れないもんな。

そのころ、ひたひたとくっついてた米国のKeflezighi選手にかわされ、中本は順位をひとつ落としたが、見事な6位入賞! 直後のインタビューもしっかりしていて驚かされた。2時間8分台の彼のマラソン記録は、出場選手の中では20番目ぐらいだったんじゃないか? いやー、戦えるもんなんですね。もちろん優勝を望める位置からは遠かったのだが、あわやメダルに絡むかという走りは、立派に世界に伍してた。

藤原はなかなかゴールに姿を見せずやきもき。山本が先に入ってくるに至っては、「すわ、あれから倒れて棄権したのか」とすら思ったぐらいだった。45位でのフィニッシュ。終盤で相当、抜かれたらしい。中盤に力を使い果たしていたんだな。

ともかく全体、面白いレースだった。意外なもつれを見せた優勝争いはもちろん、中本の健闘あっての面白さであることは言うまでもなし! そして、狭い道幅や曲がり角の多さ、周回3周というコースは選手にとって閉塞感があったかもしれないけど、3周×2回(女子も同じコースだから)=6回同じものを見ても全然飽きないぐらい、美しいコースだった。さすがロンドン。さすがイギリス。

ふだん、日本で一部始終が中継されるのは国内のレースばかりだから、外国の町並みの中を選手たちが駆け抜ける姿はあまりにも新鮮に映った。もうね、国内選考レースも、全部ヨーロッパでやってほしいぐらい。や、ありえないけどさ。で、「リオのマラソンコースってどんなんだろうな?」と楽しみになってきました。4年後だけどさ。そして12時間の時差は、今大会とは比にならないぐらいきついだろうけどさ。

ちなみに、「見て見て!すんごいきれいだから」と妻に言われて画面を見た夫は、「町はこんなにすごいのに、どうして食いもんはまずいんだろうな」とコメントしてた。

*1:註:NHKの表示ではキプサング・キプロティッチとあったけど、ウガンダのキプさんと判別のため、日本人にはおなじみのキプサングのほうで呼称する)