『リーガル・ハイ』 終わりました

絹美村のエピソード、特に老人たちを前にふるった熱弁に比べて、スケールが縮小したわけじゃないんだよね。より個人的な話になった面はあるんだけど、同時に、より大きく根本的な問題に抽象されていったともいえる。

当初から古美門と三木との確執を描きながらも、古美門にとって真に対決すべきは黛だったっていうのが面白いよね。こういう「かつての友が今日の敵」みたいなのって、いかにも最終回でやりそうなネタではある。でもこのドラマの稀有なのは、それが“いかにも”っぽくないこと。

「こういう筋書きにするために、こういうふうにキャラクターを動かします」というような作り手の作為が透けて見える作品って少なくない。このドラマでは、もはやキャラクターが作り手の意思を超えて勝手に動いているようですらありながら、実はそれぞれがまったく対照的なイデアを具体化する存在になってる。すごい。

黛はこれまでに培った人脈を駆使して戦いを進めていく。古美門の父・中村敦夫が「君のまっすぐな目を見ていると吸い込まれそうになる」と言ったように、みんなが彼女の言葉に耳を傾け、力を貸す。圭子・シュナイダーの助言「馬鹿で頑固で夢想家」っていうのは、赤毛のアンのことですよね? この辺もうまいよなあ。

「正しい者が報われる社会」「あきらめに満ちた世界を生きていくための夢や理想」という法廷の彼女の弁論に、きっと誰もが胸を打たれ、心の中で同意した。や、あの弁論は、あまりによくできすぎていて、途中から前座感が漂っていたのは事実なんですけどね(笑)。でも、すばらしかったよね。これまでチラチラ映されてきた似顔絵ノートが、あそこで古美門に渡されるのもよかったよね。

で、まんまと真打ち登場ですよ。古美門の逆襲ですよ。完勝ですよ。しかも、古美門らしい、手段を選ばない手段をキーとして使ってもいるんだけど、「どんなに怪しかろうとどんなに憎かろうと、一切の感情を排除し、法と証拠によってのみ人を裁く。それこそが我々人類が長い歴史の中で手に入れた法治国家という大切な大切な財産なのです!」という彼の論もすばらしく、我々はまたも頷かされるのだ。

誰だって、正しく生きて、それにふさわしく報われたい。尊厳ある個人として、夢や理想をもちたい。そんなひとりひとりを保護し公正な社会を築き維持するために作られたのが法だ。システムだ。けれど、法やシステムには瑕疵がある。それらは真実を隠すときもあるし、より大きな権力によって悪どく運用されることもある。

最後の裁判は、グレーじゃなくてはっきりと黒だった。人事取引があったことは明白で、完全に企業側が悪であり、個人が犠牲者だった。それでも、見ていて古美門が勝ったことに不満を覚えない。

もちろんそれは第一に、古美門が古美門たりえているからなんだけど(笑)、これが私たちの生きてる世界、現実だと思う。まるでエルサレム賞の受賞スピーチで村上春樹が語った「壁と卵」のように、人間が作ったシステムにすっぽりと覆われ、支配されている世界。個人がシステムに勝つには、よほどの覚悟と、賢さが必要なんだという現実。

途中、黛にはやっぱり「古美門先生を救いたい、勝つことが私からの恩返し」みたいなことを言うシーンがあったんだけど、そんなちょっと上から目線を粉砕する古美門がよかったよね〜。でも、判決が下されたときの、あの古美門
の喜びよう! つまり、それだけ追いつめられていたってことを示していて、「システム=古美門」に「個人=正道=黛」があと一歩というところまで迫っていた、という描き方。希望があってよかったと思う。

「前を向いて進んでいける」とカナ(田辺智子)が言ったとおり、黛はクライアントに対して大事な仕事を果たした部分もあるのだ。彼女がタイにヘッドハントされていくことで、「法=システムの欠陥のために貴重な人材を流出させてしまう、長い目で見るとずいぶん国益を損なっている我が国」という風刺も効いてた。今回のビターさはそこだったよね。

んで、さおりちゃん問題なんだけど、なるほどだったわね。あれぞ、最終回のキャッチコピーである「真実はいつもコメディーだ」。国家とか大企業とか個人の尊厳とかいう問題と、はたから見たら滑稽でしかない出来事とを同列に語り、むしろ個人個人にとっては後者のほうがはるかに凌駕する問題になる、っていうのは本当に真実ですよね。

最終回も延長なく通常枠内で、きっちり描き切った、すばらしい脚本でした。古沢良太SUGEEEEE…やべー、『ALWAYS 三丁目の夕日』も見ねばならんな。

もちろん、その脚本を見事に演じきった役者や撮りきったスタッフもばんざーい! ガッキーがガッキー史上で最高にかわいく、また予想以上のコメディエンヌぶりを発揮! 音痴の歌、酔っぱらい、ものまね、セクシー…枚挙にいとまがありません。最後の判決が下された時「あ゛ーーーーーー」と頭をかきむしるのも、すっごくよかった〜。舞台役者や時代劇俳優の中でかき消されない輝きでした。

最終回のガッキー長広舌も、言葉にすごい力があった。もちろんガッキーに実力があったってこともあるだろうけど、堺さんの演技をもっとも間近に見、相対してきたことで、撮影の間にまた、うまくなったんじゃないかなと思う。

そう、視聴者に幸福感を与え、わかい役者を育てるような、そんなマーべラスな堺さんでした〜! すでに早稲田の演劇部時代から、「微笑みひとつで喜怒哀楽すべてを表す男」と評されていた彼ですが、ましてさまざまな表情を作った今回、どれだけの感情表現をしてくれたことでしょう。んもうかわいすぎるぅぅ! あの線の細さからは想像もできないぐらいのエネルギーを発してくれたことも忘れられず。

秋にはよしながふみ原作の「大奥」で主演することが決まっている堺さんですが、たった3か月おいただけで、「有巧でございます」って出てきても、笑わずに見られるんだろうか…と一抹の不安がよぎるほどです。でも、そこはまた、役者・堺雅人に期待してしまうのだー!

あえて愛嬌を封印して、憎々しいキャラに徹して演じてきた生瀬勝久の好演にも触れないわけにはいきません。最後、苦悶に歪みきった顔で「からからからから車を回して…」とハムスターさおりちゃんのかわいさを描写するシーンの滑稽さは、舞台俳優の面目躍如だった…! 騒擾の女神であったことが判明した小池栄子の澤地さんもハマってました。里見浩太朗は浮き沈みの無い安定したポジション、重すぎない重みで癒しを与えてくれた。彼にとってもすげーおいしい仕事でしたな。