『しかたのない水』

しかたのない水 (新潮文庫)

しかたのない水 (新潮文庫)

不穏な小説です。

こういう小説はいつの世にも必要なのだと思う。見るからに素行の悪い男、美人ではっとするほど踊りのうまい受付嬢、早期退職して年来の夢をかなえようとする五十男、老いた母と仲睦まじげに暮らす独身の娘。どんな面をかぶっていようが、一皮むけば、みな同じ。人間はずるくて愚かでせせこましく、淫靡な妄想や性癖や、それなりの事情をもっている。他人を見下し自分の愚かさも嫌というほどわかっていながら、ただただ生きていく。

それは人の世の真実の一面であり、目に見える日常の中にひそむ欺瞞を注意深く見つけ巧妙に掘り出して白日のもとに晒すような作業こそ、小説の真髄といえるのかもしれない。

私にも、不穏な小説が必要なときがあったよ。吉田修一芥川賞を獲って出てきたころとかさ。そのころは、むしろ、不穏な小説にこそ、癒されてた。こういう小説って悪趣味ってわけじゃないんだよね。ちゃんと効用があるの。

そのころの私が見れば、今、この小説を読んで眉をひそめる自分は、“ぬるくなった”ってことになるのかな。この作品の世界に入り込んだ、という意味で、面白く読んだよ。だけどこういう小説を続けて読もうとは今は思わない。きれいごとでも、時限爆弾だってわかっていても、ささやかな暮らしを甘んじて営んでる。“今は”ってだけで、こういうのばっかり読みたくなる時がまた来るかもしんない。そればかりはわかんない。わかんないのが人生だと思う。

うーむ、何を書いているのだか。思わず混乱気味な感想を書いてしまうような見事な小説だったということです。「だれもかれもが病んでいる」というテイストの作家は少なくないし、前述したように今の自分はあんまり好みじゃないんですが、とにかく作者の腕は確か! 直木賞はダテじゃない。

連作短編って、必然性が感じられなかったり、かえって不自由になったりもする危うい枠だと思うんだけど、いとも軽々とそのハードルをクリアしてる。本性をさらけだす登場人物たちが、フィットネスクラブ、とりわけプールに集っているという設定にも唸る。終盤になってもボルテージは下がらず、「クラプトンと骨壷」には衝撃を受けた。「しかたのない水」「クラプトンと骨壷」だけでもわかるように、タイトル力もすごい。なんといっても、全編に漂う緊迫感、不穏さは、ただごとじゃないです。