『カーネーション』 オノマチ糸子からマリ糸子へ

3月3日、オノマチ糸子編の最終回でした〜

亡くなった人はお盆に帰ってくる、っていうもんだけど、
岸和田では、だんじりの日に帰ってくるんだね。
なんにも喋れなくても、みんなを前にして美味しそうに酒を飲むお父ちゃんの顔は、心から満足げ。
千代さんのラストシーンが幸せそうな顔で良かった。
「へたれは、泣いとけ。うちは宝抱えて生きていくよって」
オノマチ糸子の最後の名ぜりふや、
ラストシーンの夢見るような表情にも、スタッフの、
オノマチと、オノマチ糸子を愛した視聴者への、
敬意と感謝を感じた。
しかし、あと4週、マリネーションも楽しみに見る!

はてなハイクへの投稿をこちらにも。

この週、「スタジオパークからこんにちは」に出演したオノマチさんが交代について語ってた。「正直、最後までやりたかったけど、でも、今の私にそれをできる実力はない。私がやると、見てるみなさんを混乱させてしまう。それに夏木さんは尊敬する方」。それは、そう自分に言い聞かせている、というような口ぶりで、そりゃそうだよなあ、と思わされた。ちなみに、ここで夏木マリの岸和田弁を持ち出すあたり、「人見知りで緊張しい」という自分評もさらに裏付けられたな、と思ったね。本来はそれほど器用な方じゃないのだ、きっと。VTRでの麻生祐未からの、「糸子が終わっても、気を落とさないで。尊敬している。みんなあなたのことが大好きだから」みたいな、一種、含みのあるメッセージも印象的だった。

ともかく、オノマチのクランクアップ=ドラマのクランクアップにならないのにもかかわらず、ここでいったん大団円を作ったのは、作り手にも視聴者にも、オノマチ糸子がいかに愛されたか、という証左だと思う。そして、こうまでして主役を交代したのは、作り手の強い意志あってのこと。本当の最終回を迎えたとき、きっと必然を感じることができるだろう、その期待は確信に近い。

…と、ここまで書いて寝かせておいたのだが、そうこうしているうちにマリ糸子編も始まって数日。

マリネーション、思ってたよりすごくいい。
セリフといいナレといい、脚本はまさに「糸子らしい」言葉の連続だし、
セリフまわしも、ちょっとした仕草も、マリ糸子はオノマチ糸子をむちゃくちゃ研究してる。

百反、みたいに過去のエピソードもあちこちで引用されるんだろうし、
マリ糸子のあちこちに、オノマチ糸子の面影を感じつつ、
登場人物の大半があっちへいってしまった…という昨日受けた強烈な印象も相まって、
ドラマ全体に強烈な郷愁が漂ってる。
それでいて、糸子の人生はあと20年もあるんだから、
ここからまた新しい物語がたくさんあるんだ、という確信、希望も持てる。

「○年後」と時間が飛ぶドラマ・映画は珍しくないけど、
「流れた時間」をこんなにも痛烈に感じられるドラマは初めてで、すごく新鮮。
これは、オノマチが良い・悪いを超えて、ひとりの女優がやり続けては出ない効果だったと思う。
たとえば「おひさま」の 井上真央/若尾文子 の2人一役とは、根本的に違うよね。

またまたハイクへの投稿をこちらにも。

ネットを見てると、「みんな死んじゃったなんて」「恵さんと昌ちゃんは死んでないっぽいのに店にいない」「やっぱり馴染めない」「もはや別のドラマ」なんて感想も散見されるのだけど、その感覚こそが、作り手の狙いなのだろうと思う。

親しい人がみな先に彼岸の人になり、近しくつきあう人間も変わっていく、それこそが長生きする、ということの一つの側面なのだ。そんな中で、70代の糸子は生きているのだ。

みずからが直面するまでは想像し難い、「老い」の感覚を突きつけてきた。

けれど同時に、窓の磨き方やお茶の出し方を身につけたときのこと、糸子が折にふれて思い出し、話題にもする人々のことを、私たちはよく知っている。思い出して切なくなる。でも、元気に生きている。そんな感覚も伝わってきて。

いや〜、すごいね。さすが「カーネーション」。この一カ月でこの作品がさらに深化し永遠の名作となるのは間違いなかろう。