『11人もいる!』 最終話

すごい。なんかすごい最終話だった。ほっこりしてて笑いもあって大団円。だけどその中身だよ。

入学そうそう、大学ってなんのため?と突きつけられる。人生に迷ってる中で(しかも10代学生)子どもが生まれる。家が燃える。キャンピングバスで全国を回りながら家族で歌う。撮りためた写真で写真集出版、いちお売れてるらしい? ふたりめの子どもができる(しかも10代学生)。

季節はどんどん進んでいくし、ここへきて思い切った方向に舵を切ったな、とも思えるし、でも、全体的にはたいして何にも(悪いほうに)変わってないよね、という着地感。ってのがすごい。

不意に住居を失う、とか、仕事がない、ゆえにお金もない、って状況を日本人が見せられたとき、去年と今とでは、感じ方がまったく違うというもので、もちろんそれを念頭に作ってあるはずで。

火災保険では新しい落ち着き先は得られなくて。で、「失った側」である真田家が、介護施設とか村の神社(?)とかで歌って、人々を癒したり励ましたりつなげたりするってこと。いってみれば相当異様な状況なんだけど、家族の誰も文句も言わなくて笑顔・・・っていうかいつも通り。

幻想のユートピアすぎるんだけど、一歩間違えればうさんくさくて鼻白むんだけど、なんだか受け容れられる気もする(し、それでもちょっとうさんくさい気もしないでもない)。一男が「やっぱりうちはビンボーじゃない」ってつぶやくこと。最後は真田家の大家族ドキュメンタリーが始まって、ダイナミックパパファミリーのほうが茶の間でそれを見てゲラゲラ笑いながら「びんぼくせー!」と叫ぶ。これは第一話で真田家が発した言葉と同じだから、いわゆる逆転現象っていう笑えるオチでもあるんだけど、それだけとも思えなくて。

大家族ドキュメンタリーって、面白がるにしろ感動するにしろ、つまりは子沢山とか貧乏とかいう「普通じゃない」状況の見世物なんだけども、真田家とは上から目線で見て憐れむべき家族じゃないことを、このドラマの視聴者は知っている。だから、うわべだけを見て笑ってる奴ら(とか、こういう番組の作り手の悪趣味)のほうが、実はバカなんだよね〜、って皮肉ともとれるし、いや、別に周りがどう見ようともほんとは何一つ関係ないんだ、当事者がどう思ってどう生きてるのかってだけの問題なんだ、ともとれる。

幽霊のメグミの顛末も良かった。火事のきっかけになったのはメグミだけど、でも、あそこが熱々になっていることは再三にわたって描かれていたわけだし軍手ももともと使われていたんだから、いつ焼ききれて燃え移ってもおかしくなかったわけで、むしろメグミがババを引いたおかげで、家族の誰かが火を出さずにすんだし、誰も怪我もしなかった。位牌も燃えてしまったようだし、あの家という場所のパワーを借りなければ(?)その姿は誰にも見えなくなってしまったけど、でも、めぐみは「ずっと一緒だよ」と言ってくれたし、時にはきっと呼びかける声が聞こえる気がするし、笑顔でちゃっかり写真に写りこんだりするわけだ。

先に逝った家族は、きっと家族を見ていてくれる、守ってくれる。死んだからって急に仏様みたくなるわけでなく、かわいさもダメさも昔のままに。

クドカンは「今」を意識してこのドラマを作ったんだと思った。五月の初恋相手の東北の男の子が、自分の学校に彼女を作ってるのもよかった。あたりまえに日常が営まれていて。クドカンはやりたいことをやりきったな、と思う。「なんでも一緒に乗り越えられる家族がいる」ってこと自体、ファンタジーだったりするんだけど、彼のファンタジーが私は好きだ。

全編通して、神木くんのみずみずしさに釘づけだった。対する田辺誠一の、かっこいいんだけどすごく乾いた感じの演技、ほんわかしつつどっしりもしてる光浦と、とにかくダメかわいい広末のめぐみズの対照も良くて、サムもパンチが効いてて、さすがクドカンだった。そしてクドカン星野源に寄せる全幅の信頼がうれしかったです。