『ブルドクター』第9話

先週からそういう素振りは見せていたわけだが、亀さんが江角との家庭生活についてあーだこーだ言い始めるに及んで、「あーそーか。そーくるか。そっちか。ふーん。。。」と思った。

このドラマって、「仕事において、権威権力にのまれず、しかも女性が、己の主義主張・正義を貫くわよっ!」ていうのと、「胸張って語れる立派な仕事もしながら、家族とか恋とかもちゃんとやっていくのよっ!」ていうのの二本立てだと思う。

で、江角マキコにとっては、亀さん=夫が、終盤、前者にからんでくることによって、後者もぐらついてくる、という展開になるんだと思ってた。具体的には、医療センターの不正事件に夫もなんらかの形で絡んでいて、夫はそれも仕事のうちだと甘んじて受け容れていて、あくまで正義感である江角とは対立せざるを得なくて、例の「生きている患者を診る医者のほうが、死んだ患者を診る医者より上だってこと?」問題にも発展し、したがって家庭もぎくしゃくしてしまう・・・・というような。

それが、亀さんたら、いきなりストレートで後者に波風立てるんだもん。

さっき書いたふたつのテーマだけど、視聴者はあくまで虚構の世界としてこのドラマを捉えてるし、作り手だってそれを意識してきたはずだ。視聴者は江角や石原に自分を投影したりしてない。いってみれば、リアリティはほどほどでいいのだよ。ほんとの法医学者や刑事や・・・40代で年収1,000万超えするような人たちは、こんなドラマ、たぶん見てないんだから。

だって、江角も石原もエリートの役だもん。高給取りだもん。いつもいい服着てるもん。江角、すんごく立派な一戸建ての家に住んでるもん。医者夫婦だもん。石原さとみだって、毎回、超高級そうなレストランでごはん食べてる。クルージングデートもあったよな。ここもキャリア刑事と医者のカップルだし。

そういう、夢のような設定の上に成り立っている、「仕事も家庭(恋)も充実をめざす」女性のドラマなんですよ。視聴者(私)としては、彼女らが悪戦苦闘しつつもそれを成功させるのを見て、スッとしたいわけで、作り手は、スッとさせたいわけでしょ? 

それがさ、事ここに至って、「いい夫・いい父親を演じるのは疲れる」だの、「お義母さんが毎日いると気を遣う」だの、「久しぶりに飲んでリラックスして帰ってきたら、遅いだのなんだのガミガミと」だの、あげくの果てには「おめーの料理は味が薄くて食った気がしない」だの、なんちゅう、ちまちましたことを言い出すんですか。

なぜ、あまたの一般庶民の家庭でも繰り広げられているような、妙なリアリティのある喧嘩をする?!

しかも、それを受けて、江角が石原に漏らす述懐「あたし、高広に甘えてた・・・」って、なんだそれ。確かに甘えてたのはすべての視聴者が認めるところだが、それはそれ。こういう本音をもった夫と、「今まで私が勝手だったわ。これからはもっとがんばるから、うまくやっていきましょう」って感じで丸くおさまるの? 

それじゃあ視聴者はスッとしない。かといって、「そうなのよ〜、そういう本音を隠しもちながら、清濁あわせ呑んで、粛々と営み、時にまた爆発し、互いに満身創痍になってやっていくのが結婚生活なのよ〜」みたいな超リアルなものを、このドラマには求めてないのよ。

あと、このドラマの裏テーマとして、「自己愛の強い現代の大人たちが、夫婦・恋人といった絆をどうやってつないでいくのか?」ってのもあると思うんだよね。江角も石原も自分が自分がだし、吾郎ちゃんもナルシルティックな役だし、亀さんも結局は俺様だったと。

なんかさー、最終回、どうやって大団円にする気なのか、それでスッとできるのか、だいぶ不安になってまいりました。

でも、いちばん気になるのは、予告でこーすけくんがテレビで役者を指さして「これ、お父さんなんだって」と言ってたシーンですよもちろん!

確かに、亀さん、歌舞伎か能だかをテレビで見てたり、リビングの上に「世阿弥概論」みたいな本が置かれてたりっていう場面は、これまでに、ものすごくささやかに積み重ねられてきてるのよ。でも、そんな伏線、全国で数少ない(はずの)亀さんファン以外、目に留めてるはずがないじゃないのよ〜っ!! どーなの、どーなの。亀さん@高広、臨床医のかたわら、隠れて国立劇場歌舞伎俳優養成所にでも通ってるわけ〜!?