『果ての花火』 松井今朝子

果ての花火―銀座開花おもかげ草紙

果ての花火―銀座開花おもかげ草紙

シリーズ第1作の感想でも書いたとおり、明治初期を舞台にした時代小説はすごく珍しくて、しかも時代考証の詳細さといったら頭が下がるほどで、すばらしい、すばらしいんだが。

やっぱり、ちょーーーっと、暗いかなあと思うんである。飄々とした戸田の若様とか、ちびっこべらんめぃな原胤昭なんかを配してあるのはそこらへんの対策でもあろうけど、それでもどうしても、暗さが否めない・・・

というのは、江戸から明治へという時代の大激変で起こる狂騒や闘争を描く本作の性格上、仕方ないことではあるんだろうな。時代からとりこぼされていく人々の存在に目をつぶってないから。むしろそこも主眼のひとつだから。

時代小説には、(水戸黄門とか必殺仕事人的に)スッキリ爽快なカタルシスを得たいっていう要請もけっこう多いはずで、そういう手合いが読んだらがっかりすること甚だしいだろうと予想され、そのギャップによって、この作品が過小評価されるんじゃないか・・・と危惧しちゃうところである。

って、私がそんな心配してもどーなるもんでもないがね。松井さんのこと好きだからさ。ご本人は、いたって快活な方(と思う・・・たぶん)だし。

ともかく、スッキリ爽快のための本ではないんです、これは。白黒簡単につく本でもない。でも、私たちが生きている世界ってそういうもんだからね。。。。っていう前提に立ったうえで、世界って、時代って、人間って、と知らず知らずのうちにそこはかとなく考えさせられるような、いや考える間もなくあっという間に読んじゃうような本。

時局政局に敏い作者の時代への述懐には、当然、現代にも通じる部分が、多々、多々あり。ま、だからこそ、最終巻である次作では、主人公の宗八郎には、“とりあえず”なりともすっきりしてもらいたいな、、、と思ったりもします。