『国盗り物語 四』 司馬遼太郎
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1971/12/22
- メディア: 文庫
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司馬の筆は容赦なくて、時を経ることによる変化を冷酷に描いていく。それも、1,2巻では主人公だった斉藤道三が、信長があらわれた3巻になるとめっきり老いて覇気を失うとか、3巻では、境遇こそ恵まれずとも気宇壮大、力がみちみちていた光秀がやがて・・・とか、かなりの主要人物についてもだ。読者にあれだけ感情移入させといて〜! 悲しいじゃないか。
まったく、司馬のどこが「英雄史観」だって?と言いたくなるってなもんだ。司馬自身、あとがきで、斉藤道三と明智光秀が、日本史の中でいかに不人気か、ということについて述べている。彼らを敢えて取り上げたのである。信長はもちろん人気が高いが、だからといって信長びいきの筆致でもない。むしろ、光秀がいなくても、こりゃ誰かに暗殺されてたわ、と思えるほどだ。徹底して、誰もかもを突き放して書いている。
いや、でもやっぱり、ここで描かれているのは英雄なんだろう。およそ常人には成し遂げられないことを成し、歴史を動かした男たち。そのスケール、その砕身、そしてその最期。ふう・・・ため息をつくしかないであります。
膨大な史料をあたり、取材をして書くのが司馬の仕事の流儀だから、荒唐無稽な類の飛躍はなかろうが、作中、もちろん小説家の想像力というのは随所にふんだんに用いられているのである。そもそも、この小説が書かれてから既に40年以上が経っており、その後の研究の進歩によって、司馬が用いた歴史上の通説が覆されている部分もあるだろう。
それでも、それでも、司馬の小説を読むと、「桶狭間の、本能寺の真相は、これじゃないか。これしかないんじゃないか。信長も光秀も、このとおりの人物だったんじゃないか」と思えてならないのである〜!
そいえば、この本には濃姫が本能寺で信長と死をともにした、という記述がある。大河『功名が辻』(2006)では、和久井映見演じる濃姫が、そういう最期を見せたらしいけど、あれも司馬が原作だからなのか!