村上春樹のスピーチを尻目に

村上春樹が、6月、カタルーニャ国際賞の授賞式で行ったスピーチより。

原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。

原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

震災以降、「空気を読んで」口をつぐんでしまっている言論人たちがある。また、先月だったか、「今までのようには書けない」「この現状を前に、いったいどんな物語を書けばいいのかわからない」と途方にくれる作家が多くいるという記事も日経新聞で読んだ。あるいは、「今まで通り、自分の作風で淡々と書くだけです」というポリシーの作家もいる。

そんな中、安保闘争の世代のインテリでありながら、かまえて政治的イデオロギーを作品に出さない作家として名を馳せ、おそらくその徹底した個人主義を支持されてきた村上春樹が、還暦を過ぎてからこうもはっきりと発言するようになった。驚くべきことのようで、実はなんら不思議でないとも思うのだが。

毎回のように候補に挙がっているのもあって、「ノーベル平和賞を狙ってのパフォーマンス」と穿った見方をする向きもあるけど、長年、彼の作品を読んでいたら、そういうことじゃないっていうのは自明なんですよ。

とにかくこれ、論理的で、整然として、かつ、人の心に訴える、すごいスピーチだ。未読で、興味のある人は、ぜひ全文を読んで欲しい。→(http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201106100170.html

しかしこのスピーチ、それほど報道されなかった。村上は2009年、エルサレム賞を受賞した際、当地においてイスラエル軍のガザ空爆をやはりはっきりと批判するスピーチをしたが、そのときよりも取り上げられなかったように思う。今回は、この震災後に、この日本のこと、原子力のことについて、外国での授賞式なのにわざわざ日本語で(それはきっと、報道等で取り上げられた際、日本人に届きやすいようにと意識したという点もあるだろう。エルサレム賞のスピーチは英語で行っていた)こんなにはっきりと声を出したというのに。むしろ、彼の著作『1Q84』の新作が発売されたときのほうが、よほどニュースや情報番組でも取り上げられたんじゃないか。

今や“世界の”村上春樹をもってしても、影響力ってこれくらいなのか・・・・というよりも、やはりそこには、そもそも「このニュースはあまり広めないほうがよかろう」というマスコミの姿勢も関係しているのだろうな。

あんまり悲観ばっかりはしたくないし、してない部分もあるんだけど、世論、といってもやっぱり誘導されている部分もあるよなーとは思う。古今東西そうなんだろうけども。