母親一年まるっと

それなりに母親らしくやってるかな、という気はする。かつて「三年寝太郎」の名をほしいままにしていた寝汚い私が、息子の泣き声にはパッと目覚めて体を動かすんだから。この細腕(嘘だけど)にして、片手に子ども・片手にベビーカーでわっせわっせと歩いたりもするし。ふと口をついて出る鼻歌が「♪ポコポッテ〜イト」だったりするし(昔でいう、「にこにこぷん」ですな)。夜は基本的に家から出ない。ぴらぴらした服だって、キャリアっぽい服だって、めっきりタンスの肥やし。

人間、変われば変わるもんよ! よくも悪くも!

反面、料理も片づけも裁縫も得意じゃなくて、その腕を磨こうなんて殊勝な気を起こさないのは前のまんま。ヒマさえあれば本を読んだりネットを徘徊したりしてウホウホ喜んでる残念っぷりである。ケーキを焼いたり子供服をハンドメイドしたり、誕生日会とかクリスマスとかで家をポップに飾りつけたりしてわが子を喜ばせる素敵なお母さんに、私はきっとずっと、うっすらとした劣等感をもち続けるんだろうな、と確信する。

人間、そんな変わったりしないよ。よくも悪くも・・・。

まあ、どっちともなんとか受け容れているのでよいのではなかろーか。産後はやっぱり不安定だった。日々成長していく小さくてかわいい存在を前に、「子育てのゴールって、この子に必要とされなくなることだよな・・・」と淋しさに咽ぶのに始まって、「子どもとも親とも、夫とも友だちとも、この世界とも、いつかは別れるときが来る。あたりまえのことだけれど、時間の流れをおしとどめることはできない。何ごとかを為しても為さなくても、人は緩慢に、あるいは突然にこの世から消える。どっちもつらい。むなしい。人の一生ってなんなんだろう?」と悪い想像のじゅうたんが無限に広がっていく。

放っておいたら、「宇宙ってどうやってできて、どうやって滅ぶんだろう?」というところまで思い至り、真剣に考え込んでうつになりかねない勢いだったもん。こうやって書くとバカっぽくてしょうがないんだが、本人は必死。産後のブルーに別の個人的事情も重なってたとはいえ、30年以上かけて培ってきたつもりのあいでんてぃてぃなんて、こうもちっぽけなものだったのか〜と認めざるをえなかった。夫がいい意味でのほほんとしていて、かつ頼れる人なので助かったけど、逆に朝がゆううつだったし、週明けなんて最悪。

こんな思いは、一度おぼえてしまえば容易には消えない。よくも悪くも、もう前ほどお気楽には生きられないな、なんて思ったりもする。1歳の誕生日だって、うれしいだけじゃなくさみしさもあった。もう0歳じゃないなんて! もっとずっと、小さいかわいい赤ちゃんでいていいんだよ、とか。まずもって、「もしこの子を失ったらどうしよう」という恐怖は常に胸底にあり、日常のそこここで不意に膨れあがるわけで。

そんな、愛しさとせつなさと心弱さとを抱えつつも、好きなことにワーキャー言いながらできるだけ楽しく生きてこう。というところまできたかな、とは思う。1年で。「今を生きる」ということの意義が初めてわかったのかもしれない。