『江戸百夢』 田中優子

図像学、というらしい。絵画や彫刻など、美術表現の表す意味や由来などについての研究のこと。

江戸百夢 近世図像学の楽しみ (ちくま文庫)

江戸百夢 近世図像学の楽しみ (ちくま文庫)

「おかめ」の絵を見てユーモラスだな、と感じたり、ついつい笑ってしまうのが普通の絵の鑑賞なら、「おかめは女性性器の表現として生まれたもの、夫婦和合や豊穣のシンボルとしての性器信仰に始まり、古来、「福」をもたらすものとして愛されてきた」とでもいえば、図像学ということになる・・・のかな?

もちろん、前者が後者に劣るわけではない。何の知識も先入観もただ見るのが、誰にとっても始まりで、絵を見て何を感じようが、あるいは何も感じまいが自由だ。では、その絵画の描かれた背景やテクニックなどの知識が増えれば、頭でっかちになってむしろ自由に感じられなくなるのか?といえば、そうじゃない。そうじゃない、ということが、こういう本を読むとよくわかる。

近世図像学の楽しみ、というサブタイトルのとおり、作者はその膨大な知識をもって、かつての絵や彫刻の世界を楽しみきっている。美術館で、絵の脇に“見る人の自由な感性を邪魔しないように”きわめて控えめな調子で書かれる解説文なんかとは、かけ離れている。失礼かもしれないけど、美味しい酒でも飲みながら書いたんじゃないか、と思えるぐらいに、文章に勢いがあり、果断で、主観を述べることをおそれず、ときに感傷的だったりもする。

「百」の世界は「尽くし」と呼ばれる。蝶を尽くす。数え尽くし、描き尽くす。ここには「集団」という概念がない。一匹一匹が異なっている。尽くしの方法とは、すべての「種」を集め尽くすことであり、そこにヒエラルキーはない。ただし、すべての種が争うことなく共存する空間は、この世にはありえない。「百」の世界はそれだけで、幻想の理想世界として現れる。これを日本語で「めでたい世」という。

円山応挙の『百蝶図』について作者の書くことの一部である。文章のタイトルは『蝶々だけの宇宙』。見開き1ページに載せられた絵を見て、これまた見開き1ページで、その絵について作者が書いた文章を読んで、絵を見て、文章を読んで・・・を繰り返していると、息もむせぶ濃い幻想世界にトリップしたかのよう。ちびちび飲みつつ読むと楽しそうです。

「江戸」と冠打ってはいるけれど、蘇州ありアムステルダムありで、海を越えるのなんてなんのその、同時期に世界で描かれたものも多数収録。あとがきを読むとほぼ百の絵図についての語りが収められているという。もとは朝日新聞社から単行本で出て、なんだかんだすごい賞も獲った本らしいが、文庫化にあたってもこれだけのボリュームとクオリティ(なんたって絵図がすべてオールカラーだし、紙質がすばらしい!)を出すんだから、やっぱり筑摩書房はアツいのである! これで880円って、赤字じゃないんだろうか?