このつたないあたまでは。

考えても、いっこうに分からない。こわくなるばかりだ。

「想定外」というけれど、この地震大国だというのに、そもそも震度5くらいまでしか想定していなかったのではないかとか。政府・大学・電力会社でがっちりスクラム組んで、安心安全を喧伝し、反推進派は昇進・出世を阻まれていたとか。電力会社は大スポンサー様だから、マスコミも報じないとか。地震学者の石橋克彦が2005年に衆議院で発した警告の全文(「地震と共存する文化を」〜衆議院で石橋教授が原発震災を強く警告(全文))なんて、いま読むと戦慄するけど。

確かに、「ずっとウソだった」かもしれないけど、そうだとしても、私たちは甘んじてだまされてきたんじゃないかとも思う。ほとんどなんの疑問ももたずに、潤沢な電力の供給を享受し続けてきたんだから。

斉藤和義が、電力とか権力とかについて、どういうスタンスできたのかは知らんし、ミュージシャンならではのアプローチがあって然りと思うけど、これまで考えたこともない人間までが、あの歌で一矢報いたような気分になるのはなんか違う気がする。それも一種の思考停止なんじゃないか、というか。

福島の近くの人たちのこと、原発で作業している人たち、その家族のことを考えると胸がつぶれる。農業・漁業、何もかもがだめになりかけている。

だからもちろん、電力会社にも政治的権力にも、どうしてくれる、って言いたい。今の社長や今の首相。けど、何十年か推進されてきたことだ。何代もの経営者や管理職、専門家、自民党、そして乗っかってきた国民。根は深い。週末、ここ福岡でも、原発反対のデモにこれまでにない多くの人が参加したという。そりゃそうなるだろう。福岡市は玄海原発から4-50キロ圏内に入っている。でも、今、電気を止めますか?それとも原発を止めますか?って言われたらなんて答えたらいい?

長くかかる復興の最中に、また大きな地震が来ないとも限らない。阪神大震災あたりから地震の活動期が続いてるということだから、来ないと考えるほうがおかしい気がする。今度、別の大きな地震がきたら、みんなでがんばろうなんていいあう余裕すらないんじゃなかろうか、とか。その際にまた、原発事故が起きたら・・・・

不安を挙げ始めるとキリがない。せめて子どもは守りたいけど、たとえば私がいま関東に住んでいたとして、換気もせず散歩もさせず外国産のものを食べさせて、・・・って、現実的にできるのだろうか。そもそも、(震災の前すら、思っていたが)日本に明るい未来はあるのか?

でも、絶望するわけにはいかないもんね。

それから、情報の取捨選択は大事だな、と思う。活字に飛びつくたちなんで、むしろ目に入れない努力もしてる。週刊誌あたりは、暗澹たる気分にさせる記事が多すぎ。