『江』第5話「本能寺の変」

これまでも口を酸っぱくして(?)書いてきたとおり、歴史上の有名人や有名イベントと主人公を無理くり絡めて描くのが大河ドラマのお約束。「さあて、今回はどんなトンデモ本能寺かな」くらい、積極的にネタ消費する気構えで臨むのが賢明ってもんです。

ですから、本能寺の奥の間で今まさに生涯を閉じようとする信長の前にお江ちゃんのマボロシが出てこようと、あるいは野武士軍団から逃げるお江ちゃんに守護霊さながらの信長が現れようと、そんなことでいちいち怯む私じゃありません。

しっかしねえ、どうにも脱力しちゃうんだよな。なぜ光秀にそんなにつらくあたるのか、と蘭丸に問われ、「殻を破ってほしい」と答えたり、おきまりの「是非に及ばず」のあとで(こういう定石をちゃんと踏むのは好きです)「ここへ至って騒いでもどうにもならん」と付け加えたり、蘭丸の「無念でございます」はいいにしても、それに対して「よくここまで仕えてくれた」といたわったり、なんかサービス過多なんだよね〜。なんか、そこまで懇切丁寧に自分でしゃべらなくても、て感じ。なんとも底が浅くって。

だいたい、「わしの首はもちろん、髪の毛1本にいたるまで光秀には渡すな」と厳命したもんだから、当然、介錯→即座に火をつけるなり隠すなりの手段をとるものと思いきや、「ここから先は一歩も通さん!」とかなんとか言い放って、太刀を抜いて多勢に無勢の敵に立ち向かっていく蘭丸さんってどうなの・・・。あ、笑うとこだったのか?そーだったのか? 

たぶん、この大河って、小学生くらいの子どもと一緒に見たら楽しめる気がする。てか、そういうの前提で作ってあるんだろうな。公式サイトのつくりといい・・・。

でも、市村正親の光秀、熱演だったと思う。これまで私のナンバー1光秀は村上弘明@『秀吉』(1996)で、今回の市村さんはたった数話の出番だっただけにそれを覆すまでには至らなかったものの、なかなか印象的だった〜。熟練の舞台役者らしい演技で光秀の苦悩が短時間によく表現されたと思う。信長に罵られ侮辱されるとぶるぶる震えていた右手が、謀反に思い至ったときぴたりとおさまり、しかもそれを家臣*1に指摘されるなど、演出もちょっと舞台っぽかったよね。こういうのが見られるから、大河ドラマってやめられないんだよな〜。

あと、1ヶ月見て、自分がやっぱり上野樹里ちゃんを好きだということがよくわかった。「結局のだめやん」とか叩かれてるのも見るけど、たぶん1年経ってみたらその声は収まるでしょう。ものすごい美人ってわけでもない・・・と思うんだけど、真剣な表情でどアップになったときが特に好き。見入っちゃう。

*1:斎藤利三=おふく、つまりのちの春日局の父でしたな。この辺、地味にちゃんと押さえてるとこは好き