古代史ドラマスペシャル『大仏開眼』

HD録画のメニューリストに表示された番組タイトルを見て、夫が「なんじゃこりゃ?!」と仰天していた作品。4月に放送されたもの。やっと見た。おもしろかった。

奈良時代って、けっこう盲点なんだよね。大仏といえば聖武天皇で、奥さんが光明皇后で、その娘たる阿部内親王孝謙称徳天皇として二度即位することはさすがに覚えてる。ただ、その先の記憶の回路はしょうもなくって、女帝・称徳天皇といえばセットで思い出すのは怪僧・道鏡であり、道鏡といえば巨根伝説、ってなもん。ほんとにどうでもいいけど、巨根って一発変換できないんですね。

だから、藤原仲麻呂が乱を起こして敗れ去るのはわかっていたけど、権勢を握ったのちに恵美押勝と名乗ることとか、吉備真備は二度も唐に行かされ、しかも生きて戻ってくることとか、聖武天皇がいったん平城京を出て転々とすることとかは記憶の水底に眠っていて、「おお、そうじゃったそうじゃった!」と妙な興奮を味わいながら見た。

奈良時代、いろいろ調べたら面白そうだなー。唐の影響も色濃い王朝。天平文化藤原氏と他氏との権力闘争。だいたい、恵美押勝ってなんなんだろう、と、わたくしエミとしては高校の日本史の授業でもかなり疑問に思ったものだ。藤原氏という名門なのになぜ恵美だなんて名乗る?! どこから来た姓なのか。この人が死したあと恵美の血筋はどうなったのか。

さて、ドラマですけど、いかんせん予算足らず、尺足らずの感は否めない。大仏はハリボテ感満載だし、前後編180分に詰め込んでいるので何かサクサクと歴史が展開していってしまう。なんか、舞台を1本見ているような感じがした。

役者達の演技もなんか舞台っぽい。石原さとみなんて、まんまそんな感じ。でも嫌いじゃなかった。阿部内親王という古代の皇女の扮装もよく似合っていたし、凜とした風情は時代劇向きだなと思った。仲麻呂高橋克典のいちいち大仰な演技は、時代劇というより、北斗の拳とかの敵役みたいだった・・・。でも、主人公の敵役としてはじゅうぶんな存在感。

亀治郎さんの玄ボウ、うーん。経験値と照らし合わせれば当然ではあるけれど、亀さんてテレビドラマの演技の幅はまだ広くないんよね、たぶん。大河ドラマ風林火山』の武田信玄は最高だったけど、あれは長いスパンをかけた役作りのたまもので、こういうふうに単発のドラマなんかでその時々に応じた演技をできるほど器用ではないのかも。そこへいくと、出番は少なかったものの『白洲次郎』での青山二郎役はなかなかハマってた。あれはやっぱり大友啓史の凝った演出によるものが大きいのであろうか。

乏しい表情ながらも苦悩や威厳の伝わる聖武天皇國村隼はさすが。あの聖武天皇なら、ああいう“大仏建立の詔(朕は徳が薄いが・・・云々)”を出しそうな気がしたもん。光明皇后は、信心深く、貧しい民にも慈悲深いというイメージと一線を画した、したたかで権力志向のなかなか面白いキャラクターになっていたのに、浅野温子さんがひたすら残念な出来。どうしてこう、いつもいつでも一本調子なんですかねー。そういうのが味って人もいるけど、この人の場合は・・・。あと、内山理名。かわいそうでした、ひたすら。扱いが。いくらナレーターだからって、役にももうちょっと面白みを与えてあげて・・・。

そんな中、最高に良かったのは主役の吉岡秀隆で、思わぬ収穫を得たという感じ。私、『Always 3丁目の夕日』も『Dr.コトー』も『北の国から』すら見たことがなく、吉岡秀隆の演技をちゃんと見るのは実質的に初めてだったのだ。どうも、尾崎豊の葬儀でぐだぐだになりながら弔辞を述べていた人、という印象が強くて惹かれるものがなく・・・(当時、中学生だったのだが、妙によく覚えている)。や、良かったよ。本当に地味なドラマなんだけど、彼の演じた控えめで誠実な人間はこのドラマの主役にふさわしいだけでなく、ドラマの純度(北の国からとは関係ない)を高めていたと思う。吉備真備に対するイメージは彼で固まったよ。もっとも、吉備真備について思い出す機会が、今後、人々の中でどれだけあるかはわからないけど・・・笑

物語は吉岡秀隆の真備と石原さとみの阿部内親王のプラトニックなラブストーリーがよく効いてて、
「最近、そなたはずっと私を避けている。聞きたいことがあってもすぐに遠くへ行ってしまう。こんなことなら大王(おおきみ、と読んでね)にはならぬ!」
と阿部内親王が真備に言い放つ。真備は不要な権力争いを避けるため皇太女と距離をおいていたのだが、結局、高橋克典の差し金により、九州への左遷、さらに翌年には命の保証のない唐への旅を命じられてしまっており、その直後のことである。彼は
「大王におなりなさい。必ずおなりなさい。私は私の知っていることはすべてあなたに教えてきました。共に野を歩き、村を歩きました。あなたは、貧しい人々の暮らしのこともよく存じている。あとはその心のままに大王として政(まつりごと、と読んでね)を行えば良い。私は、九州に行こうとも唐に行こうとも、いつでもあなたのそばにいます」
と言ってひざまずき、臣下の拝礼をする。ここで抱きしめたりしないところがいいわけよ! 内親王は立ち尽くし涙のにじむ目で彼を見下ろしながら、
「ずっとそばにいるか」
と静かに聞く。この言葉は、かつて内親王が無邪気な少女だったころ、彼女の専属教師だった真備を気に入って言ったのをなぞったもので、ふたりの長い年月を髣髴とさせるもの。「はい」と言って再び拝礼する真備に向かって、内親王は傲岸に片方の手の甲を差し出し、真備はおそるおそる、うやうやしく、その手の平の下から自らの手のひらを重ねる。
「ならば、大王になる」
内親王はそう言って、自ら手をさっと引き、出て行く。時代劇だからこそできる、ある意味ファンタジーな王道中の王道、ベタといえばベタなラブシーンなんだけど、乙女(って誰のこと?)的にはキュンキュンくるんだよー! こういうシーンを御年70数歳になる池端俊策が書いているかと思うと、にやけるね。

この『大仏開眼』はNHK大阪制作・古代史ドラマスペシャルの第3作で、いずれも池端俊策の脚本による。第1作、2作は見てないんだよね〜。惜しいことをした。今見ると、垂涎もののキャストなんだよね。どの辺が?ていうと、以下!
第1作『聖徳太子』2001年放送

第2作『大化改新』2005年放送

この第3作『大仏開眼』で、シリーズもたぶん打ち止めだよね。完結を記念して、また再放送、やってくれんかなー! つか、この手について書き始めると長いのなんのって・・・。