time goes by

●5月3日(月)
朝4時半にトイレに起きて、また眠れない明け方をえんえんと過ごす。6時半ごろから、義両親が起き出してあれこれやってる気配。私はそこで起きて「お手伝いします!」なんて言う殊勝な嫁ではなく、そのあたりからすーっと二度寝に入って8時半起床。朝ごはんに特大の金目鯛が出てきたんだが、ここはどこの料亭でしょうか(笑)さすがにもらいものだったらしいが。

11時ごろ辞去し、南蔵院へ向かう車の行列を横目に「大変よなあ」と言いながら一路、福岡をめざしていると、義父から電話が入り「ドライヤー忘れてるよ!」。ぎゃー! 引き返すべく、泣く泣く行列に加わる。

今度は我が実家へ。外環状線を通るとそれほど時間がかからないことがわかった。昼ごはんの時間だが、まったくお腹がすいていない。私はいちごやグレープフルーツでお茶を濁しつつ、夫はカレーライスを胃にねじこんで、先に帰途へ。

実家・・・自分の実家。私は、昔から距離が近い割にはふだん実家にあまり寄りつかないタイプで、独身の頃も盆と正月に一泊ずつというのがお決まりだった。そうやっていると、たまに実家に帰ったときに、何ともいえない気持ちになる。実家の母は今でも私なんかよりよほど家の中を隅々まで掃除していて、ほこりは見当たらないし水周りもきれいにしているけれど、たとえば色あせたふすまとか、私が物心ついたときからある博多人形とか、20年とか30年とかいうレベルで変わっていない古さが、ふと目につくのだ。

こんなに時が経っているのに、息を止めたように変わっていない。そのことが、懐かしいとか落ち着くとかいうよりも、妙に悲しいことに感じられるのは、自分の実家ならではの感覚のような気がする。夫の実家にも古いものはたくさんあるし、よそにお呼ばれしても、古いものに接してこうは感じない。むしろ「すばらしいことだなあ」とすら思う。自分の実家では、すべてのものの歴史をいちいち知っているからなんだろう。そう、古いものでも、現役バリバリで使われているものはいいのだ。「かつては活躍していたけれどもうほとんど使っていない。でもそのままにしてあるもの」というのがいちばん悲しい。

そんなこの家でもっとも新しいもの、それはベビー布団セットだ。退院後はしばらく実家で厄介になるので、届け先をこちらにしておいた。箱から出してセット品を見る。枕とか超小さくてかわいい。ここに、このお腹の子を寝かせる日がくるなんて・・・まだ全然実感できない。

昼寝したあと、母と近所の公園を散歩し、夕飯をごく軽く食べて(まだ空腹感がなかった笑)、自宅へ戻る。今夜、夫は大学時代の友達と飲みに行くというので実家に泊まる案もあったのだが、やっぱり帰ってしまった。23時ごろ帰宅した夫は予想どおりにできあがっていて、私が帰っていたことを大喜びしつつ、会話もそこそこに入眠。

●5月4日(火)
ゴールデンウィークに市民プールに行くだなんて、そんなヒマ人みたいなことはできればしたくなかったのだが、いかんせん体重計からの悲鳴が聞こえるようなので水泳セットを持って家を出る。夫はゆうべの飲み疲れが残っているようなのでひとりで行く。外を歩いていると、毛穴にびっしりと汗を感じる。水ー。水に浸からせてー。

案の定、平日の午前中には元気にのし歩いているおじいちゃんおばあちゃんたちの姿も少なく、活況の逆を呈している市民プールだったが、混んでいるよりは全然よろしい。水の中は本当に気持ちがよく、75分ほど浸かる。夫が迎えに来てくれて、コマーシャルモール博多に寄って帰る。

帰宅後、ホークス戦・・・は地上波でやっておらず、かわりに楽天−西武戦を見る。盗塁を許したり、ワイルドピッチがあったりと、双方とも始終ばたばたしているものの、結果として点を取られては取り返すシーソーゲームになっており、妙におもしろくて延々と見る。ほんと、どんだけ野球好き夫婦よ。

夜ごはんは、ざるそばと、たけのこやふきの煮物(夫実家からのもらいもの)。だいぶ前に録画しておいた「のだめカンタービレ」特別版は衝撃の面白くなさだった。きっと映画はそれなりに面白いはずなのに、ああまでしてしまうとは、編集さん素晴らしい技術である。あれでも映画の宣伝になるのだろうか? 皮肉でなく、真剣に知りたい。