退職の日

●4月30日(金)
新卒から9年間勤めた会社を退職する日。そりゃあ感慨はある。

その前に、朝から産婦人科へ、31週の妊婦健診に行く。一番乗りだった。その後5分くらいの間に5人くらい来院があったのでラッキー。しかし気になることを言われる。胎盤が少し下がっているらしい。でもまあ「前置胎盤ではない。オッケーです」と先生。相変わらず、プール継続について念を押される。それから、赤ちゃんの頭囲がグラフの平均より少し小さいのだが、これについて先生は触れず。であれば、余計な心配をするのはよそうと思う。

8ヶ月目の終わりだが、先生が推定体重なども言わない理由は、情報の多い現代、相対的なもので妊婦が一喜一憂しないようにとの思惑だろうと解釈している。お腹の子の大きさやハンデの有無などについてこの先生に尋ね、「そんなことは気にしなくていいから、規則正しい生活をして、プールに行きなさい」と返答された妊婦さんの例をいくつか聞く。確かに、いかに超音波技術が発達していても、お腹の中がすべて見えるわけではない。結局、前向きに生活するっていうのが唯一できることなんだろう。

だいじょうぶと言い聞かせつつもやはり何となく心細いような心境で会社へ。一週間ぶり、そして最後の出社である。連結CF計算書の作成ファイルを開いたら、先週の私の作業状態のまま一歩も進んでいない。引継ぎ相手は上司だったのだが、さすがにここまで手が回らないんだろうなーと同情するが、そのまま閉じる。

身辺整理がまだまだ終わっていない。机の中のたくさんの書類、10年分の当社の有報・半報、部の共用文房具、私物、マイドキュメントやメールフォルダなど、もくもくと整理、処分、譲渡していく。私の汗と涙に彩られた(笑)ノウハウの詰まった書類たちをシュレッダーにかけたり、ゴミ箱に入れて空にしたりするのはかなり忍びない。しかし他の人が読んでもわかりにくいだろうし、外部秘のものばかりだから思い出に持って帰ることももちろんできない。さよなら。さよなら。さよならあああ。

夕方からは挨拶回りに行く。これまで、こうして、たくさんの人が退職の日の儀式を行っていくのを見送るたびに、どんな気持ちがするんだろうなと想像していたが、まあ粛々としたもんである。何しろそれなりに時間はかかるし、特に月末ということもあってあまり業務の邪魔はしたくないし、仲のいい人・絡みの少ない人いろいろいるし、とにかく手際よくこなすのが第一義って感じ。

それでも、あたたかい労いや気安い冗談まじりの励ましなどたくさんもらって、ありがたいと思う。社長や担当役員にも「長い間お世話になりました」と挨拶しにいくと「こちらこそお礼を言わないかん」などなど、社交も含まれているにしろ、うれしかった。外出していたり外部だったりで会えそうにない親しい人にはメールを書き、こちらも親しみのこもった返信をもらった。特にお世話になった人たちにちょっとしたお礼の品を渡し、最後に最繁忙期中の部内にあいさつ。

監査法人からひとつ(クライアントにこういうことしていいのか?4大監査法人のくせに)、社員の有志からひとつ、部からひとつ、花束(およびアレンジメント)をいただいた。写真はそのひとつです。それに、仲の良かった人からいくつか、ベビー用品やお菓子の詰め合わせなどももらった。抱えきれない荷物を同僚と後輩が持って、タクシーに乗せてくれた。

社内ではなんてことなかったのに、たくさんのプレゼントに囲まれた車内で会社から遠ざかりながら、不意にぐっときた。「終わったんだ」という思いが迫ってきたんだと思う。もう戻れない、という感覚には、なんともいえない切実なものがある。

家に帰ると「おつかれさま。わー、たくさんもらったね。良かったね」と喜んでくれる夫がいることがうれしかった(彼はこの日、有休だった)。腹の子は今日も会社でも1日中、元気にぼこぼこ動いていた。よしよし。もう会社には行かないんだよ。家の近くの鶏料理屋で、家族3人?で打ち上げをした。本当に、なんともいえない気持ち。「動物のお医者さん」ふうに言うと、“晴れ晴れとしたさみしさ”といったところか。