徳永英明の「VOCALIST」

感じ方は十人十色、結局は好き嫌いの問題だってことは重々承知のうえで敢えて書いてみる。

徳永英明が古今の女性ボーカリスト曲をカバーしまくっている。アルバムは好評で第4弾が発売されているらしい。

この試みの初期のころ、彼の繊細な声で歌われる「ハナミズキ」や「オリビアを聴きながら」を聴いたとき、なるほどと思った。違和感がない。アレンジもシンプルで抑えめで、夜ひとりの部屋で聴いて心を鎮めたり懐かしさに浸ったりするのにぴったりだ。それでいて、「これは徳永英明(=男性)が歌っているんだ」と思うと、妙な倒錯感がないこともない。

もともと彼は自分で曲を作るわけではない(よね?)し、かといって、あの一種独特の雰囲気に合う曲を他人に作ってもらうのはなかなか難しいのかなあなんて邪推もあったりして、しかし間違いなく美声だから、なんかとてもうまい目のつけどころだなーと感心したものだった。

いちど支持を集めれば、第2弾、第3弾と続編(?)がリリースされるのも自然の流れだ。ファンの期待に応えるという面でも、ビジネスの面でも。しかし、それにつれて、どうも首を傾げるようになってしまった。

ばつぐんの透明感がありつつ、少し鼻にもかかったような不思議な声は、甘く切ない。その声がかつて流行したいい曲を歌うことで、聴く人はそれぞれ、当時の空気感を思い出しながら、15年くらい前のフレーズでいうところの「心のやらかい場所」をしめつけられるような感覚を覚えるわけだ。

それは、ちょっとやる分には、「あら懐かしい」と不意を突かれるような心地よさがあっても、あんまり重ねてされると「あざとさ」を感じてしまう類のやり方だと私には思えるのだが・・・。

しかも、彼は美声ではあっても声量に恵まれているわけではないと思うし、そのせいかうまく表現できないのだが「フレーズの途中ではあまり長い音符で歌わない」、つまり原曲では「タータターータタン」というたっぷりとした譜割を、「タタタタター」のように、話し言葉のようにちょっと独特に歌いまわしたり、フレーズの最後の音符も原曲ほどには伸ばさず、かすれるように早めに消したりする。

もっとも、このような歌い方は、あくまで「さらっと切なく」聞かせるという、この企画の趣旨によるものかもしれない。歌い手が過剰な思い入れを込めるのを避けることによって、聞き手の受け取り方の自由を確保しているとでもいおうか。そもそも、これはカバーであってモノマネではないのだから、原曲と同じような歌い方をする必要もまったくなく、これが彼のオリジナリティといえるのかもしれない。

それでも、私は、「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、これでもかっていうぐらい情感たっぷりに盛り上げてほしいし、「赤いスイトピー」には、不安はなみなみとあるけどこの思いは堪えられない、てな具合に、せっぱつまった突き抜け感がほしい。なんでもかんでも同じだけの切なさの量で歌ってほしくない、奏でてほしくない。彼はどの曲にも心をこめて歌っているのだろうけど、私には、第3弾、第4弾と最近のラインナップを聴けば聴くほど、「切なければいいんでしょ」みたいな平板さ、深みのなさが耳につき、つまるところ聞き手を甘くみてるんじゃないか?と感じてしまう。

やっぱり私が彼の歌でいちばん好きなのは「壊れかけのRadio」。あれこそ、永遠の若者性とでもいうべき、滲んだ輝きを放つ名曲だと思うし、あの曲世界に彼のボーカルは必要不可欠なもの。オリジナル曲がまた聞きたい。