2010年大河ドラマ『龍馬伝』の衝撃
さあ今年の大河ドラマが始まりました! 中旬にさしかかるころからやっとこさ始動する民放各社の冬ドラマと比べて、我らが大河ドラマは堂々とお正月3が日のうちからスタートです。うれしいですね。
そんな1月3日の放送終了後は午後9時15分(初回は75分拡大版でした)、私は妙に呆然とし、次いで、やや怒りにすら似た混乱に襲われたのでした。あれがよろしくない、これが心配だなどとその場で夫相手にあれこれケチをつけましたが、それでもどうもしっくりこない。翌々日、ようやくハッと思いあたりました。
見終えたときの私の気持ちを一言でいえば、
「これは“大河ドラマ”ではない!」
ということに尽きたのです。
三十路を越えるこんにちまで、いろいろな大河ドラマを見てきました。途中で挫折したものもあるし、比較的長いこと離れた時期もあるけれども、ゆうに10数作は見ています。名作もあれば迷作と評されるものもありました。同じ枠で放送されても、作品によってがらりとカラーは異なるし、私が年をとっていくことによっても受け止め方は違うでしょう。
そういうことに関係なく、好き嫌いを超越したところで、これまで私が見たものはすべて“大河ドラマ”でした。しかし「龍馬伝」は違う。
それは、具体的に言うと「より深みのある映像がとれる」というプログレッシブカメラによる撮影であり、ナレーションのぎりぎりまでの排除であり、唐突に繰り返される場面転換をはじめとする、まるで映画のような演出などでした。それら自体を、私は嫌悪していません。そのような情報は、放送開始前から公式HPなどで得て知っていましたから、心の準備もできており、むしろ楽しみにしていました。それに、同じカメラで撮影された『坂の上の雲』や、同じ人が演出した『白洲次郎』は絶賛の思いで見たのです。
しかし、『坂の上の雲』および『白洲次郎』と、『龍馬伝』とを、同列に論じることが私にはできなかったのです。前者はスペシャルドラマ。後者は“大河ドラマ”。前者については、「へぇーそういうものなんだ!新しいな!すごいな!」と素直に受け止めて感心できたのに対し、後者については「“大河ドラマ”かくあるべし」みたいなのが、実は自分の中に存在していました。
『坂の上の雲』を見て、
「ああ大河ドラマにこれだけの予算やスケールがあれば」
と嘆いていたくせに、実際は、
「私の知っている大河ドラマは、もっと安っぽい映像で、お城の一間でえんえんと物語が進行してくような小さなつくりで、スタイリッシュさなんてまるで皆無、まずオシャレな若者なんて呼び込むようなシロモノではない。蛍光灯なんてないはずなのに室内はなぜか明るく、エキストラは少なくて・・・」
という先入観が、無自覚のうちにばっちりと形成されていたのでした。身についた貧乏性ってコワいよ。
つまり私は、「龍馬伝」の“新しさ”に本能的についていけなかったのです。なんという、年季の入った、筋金入りの保守的大河ドラマファンなのでしょうか・・・。
しかし、そこまでわかってしまうと、逆にすっきりした気持ちになりました。硬直した思い入れとサヨウナラ。そうです、「龍馬伝」はこれまでとはまったく違った大河ドラマなのです。もちろん、製作陣は意図的にそうしています。ならばそれはそれとして受け止め、そのうえで、好き嫌いの感想を述べたり、あーだこーだ講釈垂れる(?)のが大河ドラマファンの心意気ってものです。
と、心も新たに火曜夜、録画を再見しました。リアルタイムで見るくせに、いちお録画もしといた私。うふ。その感想はまた次回!