『白河夜船』 吉本ばなな

毎日あまりにも眠いのでふと本棚から手にとった。眠り続ける主人公の話だ。

白河夜船 (角川文庫)

白河夜船 (角川文庫)

最後の数ページでべーべー泣きながら読み終わった。この涙はもはや、話の筋に感動したとかいうものじゃない。確かに2,3年ぶりに開いたとはいえ、最初に読んだのは、小学校高学年のときなのだ。そしてこの作品に限らず、吉本ばなな(改名前ね)の初期作品群は、私にとって思春期の道連れ。私という人間の背骨・・・とまでは言わないが、どこかの血肉になっているに違いない。ふだんは意識することなんてないけど、こうして読み返すとすごくよくわかる。冷静に考えると未熟さの否めない作品なのに、欠点がまったく目につかないのだ。もちろん、再読を繰り返しながら大人になっていくうちに、より深い理解ができる部分はあるけど、基本的にはこの作品の雰囲気、文章、登場人物の言葉、すべてを受け入れていた少女のころそのままの気持ちで、今もまだ読んでいるのだと思う。

吉本ばななが20代の前半で書いた、眠り続ける主人公の悲しみや疲れ、世界の底まで通じるようなおそれは、私にとってしっくりと肌になじんだものであり、最後におとずれる奇跡のような救いは、体中の毛穴からしっとりとみたしてくれるようなあたたかさだった。

なんか、ほかの初期の作品たちも久しぶりに読み返したくなってきた。自分のルーツになるような本があることをこうして体で実感するって、なかなかいいものなのだ。とても地味だけれど、かなりの自己肯定というか自己救済というか、そういう感じ。


蛇足。

よしもとさんが年月を追うごとにスピリチュアルな方向に傾き排他性を増してるのは悲しいことだが、彼女もいろいろあったんだろうなあ、とぼんやり思う。三十路の私は、彼女が若くしてデビューしたときのあの騒ぎをかろうじて覚えている世代だ。今の綿矢りさとか、そんなもんじゃなかったからね。お金とか人間関係とか、さぞかし大変続きだったんだろう。世の中を少しでも救いたい、という気持ちでいることを日記なんかに書いてるよしもとさんだけど、私にしてみたら彼女自身を救ってあげたくなるときがある。例の、チェーン居酒屋とか大型電気店とかのことをねちねちと書いてる文章読むとね・・・。気持ちはわかるけどさ・・・。