天皇陛下即位20年

帰宅すると、ちょうどエグザイルの天覧パフォーマンスが始まろうとするところだった。中継をまわしているTBSは、両陛下のお姿を映したいのかザイルを映したいのかよくわかんない進行っぷり。

マイケル・ジャクソン(と超一流のバックダンサーたち)のダンスを見慣れている私、ダンスのなんたるかなぞ全く知らないくせに見る目だけが異常に肥えていて、妙に真剣な顔つきで踊るザイルさんを見てもネタとしか思えず・・・(Twitterでやりとりしたんだけど、MJファンはみんなそうらしい笑)。しかし、それを包みこむように見守る両陛下の慈顔よ。VTRでは、祝辞を述べる原監督やQちゃんの姿も。森光子が「皇太子さま お生まれになった」の歌を覚えています、と言って口ずさんだのには思わず敬礼しそうになった。

今日という日は、今年に限り全国的に祝日となる可能性もあったんだよね。だから、例年でいうと決算発表のピークとなる日なんだけど、前もって昨日11日に繰り上げて発表する予定でスケジュールを組んだ会社が多かったのです(我が社もそのクチ)。結局、衆議院解散?か、民主党政権成立?か何かのせいで流れたらしいんだけど。

ここで改めて言を割くまでもなく、現在の両陛下は、ご自分の立場、役目について熟慮を重ね、常に「国民のために」という目線で勤めに励まれてきた方であり、その無私の姿は広く知られているところだが、一方で非常にはっきりとものを言う人だという印象がある。

立場上、言いたいことがあるときすぐに言う、ということはできないにしても、折々の機会でのご発言には、お仕着せでないご自分の強い意志が感じられる。即位20年に際して行われた今回の記者会見の内容にもそれがあらわれている。

私は,この20年,長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました。質問にあるような平成の象徴像というものを特に考えたことはありません。

という、記者の質問を軽くいなしながらスタンスを明確にする冒頭に始まり、その後はこの20年の国内外の情勢、天災や人災について簡潔ながらも丁寧に触れ、憂慮や希望を述べる。

その後、「将来についての心配はありますか?」という質問に対しての答えは今回の白眉だろう。

私がむしろ心配なのは,次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。

昭和の時代は,非常に厳しい状況の下で始まりました。昭和3年,1928年昭和天皇即位の礼が行われる前に起こったのが,張作霖爆殺事件でしたし,3年後には満州事変が起こり,先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。第1次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ,戦場の悲惨な光景に接して平和の大切さを肝に銘じられた昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております。

昭和の60有余年は私どもに様々な教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います。

将来についての心配は、という質問に対し、何か具体的な問題を挙げるのではなく、“歴史を知り、歴史に学ぶことの少なくなった”ことを憂慮するという答え。なんてはっきりとした意志だろう! 時代錯誤な語彙を使うが、これぞ日本の天皇の大御心。ご自身がいかに、昭和という時代について考え続け行動し続けてきたかということ、将来もそうやって生きていくということを明らかにしている。

皇后陛下のことばとしては、

高齢化が常に「問題」としてのみ取り扱われることは少し残念に思います。
(中略)90歳,100歳と生きていらした方々を皆して寿(ことほ)ぐ気持ちも失いたくないと思います。

というのが印象的。
このように、おふたりの言葉は、常に自身の考えを明確に述べるものであり、同時に、さりげなく私たちに問題提起を投げかけるものだ。そこには「伝えたい」という強い意志がある。政治性を超えた無私の存在としてこういうことを言える人がいる、というのは日本の強みなんじゃないかと私は思うのだが。

ただ、今朝の日経新聞原武史・保坂正康の対談で出た、女性天皇女系天皇の是非についての原の意見として出た、

原:(結局、どのような意見も)多数派にはならない。実は国民のほとんどは無関心であって、それが大多数だ。
保坂:天皇についての国民の知識レベルはそれほど高くない。男系、女系の議論はどちらにでも動く側面を持っている。主導的な意見があれば、そちらに引っ張られる。天皇についての論争は、歴史的責任をもって行われないと空虚なものになる。
原:今の学生たちはあるていど皇室に関心を持っているどころのレベルではない。

などの言葉が、実際のところだろう。

陛下ご自身は、将来について「次世代の姿勢、考え方に委ねる」という意志を、これまで繰り返し明らかにしている。これもまた大いに賢たる意見だが、、、。

とにもかくにも、両陛下は無私の人であり、意志の人だ。たとえば、被災地にすぐお見舞いに行かれること、その場では膝をつき一人ひとりの声に耳を傾けられること、全国の高齢者や障害者の施設を繰り返し訪問されること、そういった方々のスポーツや活動を支援されること、今では当たりまえのように受け止められているそれらは、すべておふたりが始められ、続けられてきたことだ。

つつしんで今日の日をお祝い申し上げます。