『とにかくうちに帰ります』 津村記久子

とにかくうちに帰ります (新潮文庫)

【まともでない親は、子供の自尊心を大幅に損なう】

 『とにかくうちに帰ります』 
数年前に芥川賞をとった津村記久子の作品を初めて読む。びっくりするほどおもしろかった。連作「職場の作法」、会社の中を観察するだけでこんなにおもしろい小説になるなんて! すべての内勤女子に捧げたい。営業職の男性たちに軽んじられている事務の田上さん(小学生の子を持つ母親)がノートに書いている、

・どんな扱いを受けても自尊心は失わないこと。またそれを保っていると自分が納得できるようにふるまうこと。
・不誠実さには適度な不誠実さで応えてもいいけれど、誠実さに対しては全力を尽くすこと。

 にはハッとさせられる。
かなり抑制された、終始淡々とした筆致だけど、なぜか笑えて元気が出てくる。

表題作「とにかくうちに帰ります」、
このタイトルでこの内容を誰が想像するだろうか。豪雨の中、埋立州に立つ会社から脱出を試みる人々。徐々に緊迫していく状況。喜劇かと思いきや悲劇じゃなかろーな、と、読みながらひやひやした。

全国どこででも災害級の豪雨に見舞われる、きわめて現代性の高い小説だった。こちらは随所におかしみを散りばめながら、クライマックスではかなりホロリとくる。
とにかくおそろしい才能を見た。


ところで…。まだ未読なんだけど、この津村さんのエッセイには、子どもの頃に両親が離婚して以来、会ったこともないという父親の訃報について書いた、こんな文章があるという。

(津村さんは職業作家としてデビューしても、しばらくのあいだ会社員を続けていた)

「香典を届けるためと、家裁での手続きのために、二度半休をとった。そのことがいちばん腹立たしかった。よもや父親のために有休が合計一日減るとは。」

 

 「離婚の理由は、端的に父親が働かなかったからだ。そのことを母親が指摘すると、ふて寝するか外出するか暴力をふるった。
 悲しい話だが、よくあることだと思う。しかし当時、わたしはこんなにまともでない父親を持った子供は世界にいないと思い込んでいて、ひどく孤独だった。」

 

「別居のために転校した後も、それは続いた。
 教室にいるどの子の親も、自分の父親のようではないだろうということばかり考えて、恥ずかしく思っていた。
 今考えると、自分と同じような境遇の子供は、表沙汰にしていないだけで確実にいたと思う。仲の良かった友だちの女の子の家も、今思い起こすと母子家庭だった。」

 

「親が働いていないということは、子供の自尊心を大幅に損なう。
 子供が親の一部であるという悪習じみた考え方がまだ残っていたとするならば、親もまた子の一部だったのである。」

 

「子供たちは、意外と自分の親のことをオープンに話さない。子供の目から見てまともではない親は、子供自身からしたら決定的な欠落だからだ。
さかあがりができないとか、泳げないとか、給食を食べるのが遅いとか、漢字が読めないとか、九九が言えないとか、口が臭いとか、授業中に小便を漏らしたとか、うそがばれたなどということ以上の。」

 

・・・・・津村記久子二度寝とは、遠くにありて思うもの』より

何となく、わかるなーと思った。あ、うちは両親そろっていて、本当によく働いて私たちを育ててくれたのだが。

親が夫婦喧嘩をしてそれをひきずってる翌日なんか、学校に行くと、「うちがあんなことになってるのを、友だちも先生もみんな知らない」ことについて、解放感と疎外感の両方があったなーと思う。

それよりももっともっと深刻な、つらい思いをしてる子が、今もたくさんいるのだろうと思うと、とても切ない。

そんな環境にもかかわらず(おそらくそんな環境すら生かして)、こうして才能を開花させる津村さんのような人もたくさんいるとはいえ。