葉月の十二 / 西欧音楽史からの「世界を認識する手がかり」

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8月某日:(facebookより)
 
ワークライフバランスプレゼン勉強会、今回のプレゼンターは、ギター・リュート奏者の太田耕平さん。
ヨーロッパの音楽史を中心としたお話はとても新鮮で刺激的で、「世界を認識する手がかり」を示してもらった思いです。
 
【西欧音楽史キーパーソン】というスライドをごらんください。「ん? ピタゴラス? プラトン? えーっと…音楽家でしたっけ?」…と思いますよね。
 
驚くなかれ。西欧音楽史を学ぶ教科書全3巻のうち、最初の2冊は左側半分の音楽家たちで占められるそうです。
クラシック、と聞いて私たちが思い浮かべるバッハやらベートーベンやらの歴史は1冊に収まっちゃってる。
 
さてピタゴラスは、といいますと、彼の名言に
「宇宙のすべては数によって成り立つ・解明できる」
があります。『万物は数なり』ってやつですね。
つまり音楽も数なのです。
 
ピタゴラスさんは「オクターブ」を始め、音律というものを発見しました。数学によって!
当時はまだドレミファソラシドのような名前はないのだけれど、音律はとても美しい数式で表現することができる
(音の周波数の比をとっていくというか…)。
ただし、それは完璧に円環するようで、ほんのちょっとだけズレる。
…というところまでピタ氏は解明していて、そのズレが「ピタゴラスコンマ」と言われるそうです。
 
これ、読むだけでは何がなんやら…でしょうが、太田さんに説明してもらうと「おお~!」でした。
 
このように、ヨーロッパでの「音楽家」は、もともとは
「音楽を奏でる人・作曲する人」
ではなく、
「音楽のしくみ・成り立ちを考える人」
のことを言いました。
大工さんではなく設計する人のほうを「建築家」というのと似てるかも。
 
もちろん、ピタゴラスプラトンも音楽のこと「だけ」を考えていたわけではなく、哲学者であり数学者であり天文学者であり…。
音楽はそのような中に含まれるものだったのです。
 
古代から中世になっても、
「実際に耳に聞こえる音楽自体は取るに足りないもの。
 その背後にある秩序や調和のほうが大切」
という考え方でした。
 
その後、時代が下ると、ルターの宗教改革ルネサンスなど、西欧音楽もさまざまな政治・社会状況からの影響を免れなくなり、やがて古典派、ロマン派、印象派など、現代でも耳にする音楽につながっていくのですが、
それらすべての源には やはり、ピタゴラスからの流れをくむ
「不変の音の原理」
があるのでしょう。
 
「衣食住に劣後するもの」「生活のおまけ」としての音楽ではなく、人間と深いところでつながる、人が人であるために必要なものとしての音楽。
その背後に、数学・哲学・天文学・文学などが相互にかかわりあい混然一体となって構築された膨大な理論があることが(なんとなく 笑)感じられて、圧倒されました。
 
この話を手がかりに、
「良い音楽、悪い音楽とはどういうものか?」
「西洋人の価値観、日本人(東洋人)の価値観」
現代社会の仕組みについて」
「いま、世界を牛耳っているのはだれなのか?」(笑)
などなど、ランチタイムまで含めて、話はどこまでも広がってゆき、そのひとつひとつが本当に刺激的でした。
 
太田さんは学生時代から15年ほどにわたってイタリア・ドイツで音楽の勉強やお仕事をしてきて、結婚や子育ても外国で経験されています(4人のお子さんのパパです)。
 
「日本に帰ってくると、育児にせよ生活にせよ、とにかくいちいちお金がかかると感じる」
というお話も印象的でした。
学校や、習いごと、「共働き」の感覚も、日本とはかなり違うようでしたよ。
 
みなさん、機会があれば、ぜひ太田さんのお話を聞いてみてください!
ご依頼があれば応じてくださるんじゃないかな?
私もまた聞きたいです!
 
 
夕方から、校区の運動会の会議。今年、子ども会で担当になっている。たっぷり2時間半! うう。つらい。帰って連絡事項いろいろ。
 
ごはん食べながら(そんな出ごとから帰ってきてごはんができている喜びよ)『いだてん』。笑った、笑った。「独裁者」というサブタイトルにふさわしい喜劇。時代のきな臭さと裏腹の滑稽さ。現代もそのように捉えられるのだろうね。