『僕らは奇跡でできている』 第3話まで見ました

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高橋一生が大学の動物学の講師を演じる。主人公一輝の人物造型は、子ども時代の描写も含め、いわゆる発達障害を念頭においているのだと思う。

私がこのドラマでハッとさせられたのは、「一輝は先んじてる人なんだ」と思えたこと。どちらかというと、「(みんなより)ゆっくりだけど、それでいいんだよ」という視点で描かれることが多いと思うので。

周囲は一輝を「あなたはお気楽でいいですね~」という目で見る。マイペースで、つまり非常識で、出世にも恋にも興味がなさそうで、空気も読まず、変わり者と言われてもおかまいなしに見えるからだ。

でも、彼は言う。「僕は人となかなか仲良くなれませんから。僕は昔、仲良くなりたいのに大嫌いな人がいた。大嫌いでしょうがなくて毎日泣いていた。でも、一番仲良くなりたい人と仲良くなれたから、それでいいんです」

大嫌いな人とは、自分自身。小学生の頃の回想シーン。クラスのみんなと同じことや先生に言われたとおりにできず、いつでも浮いてしまう自分がつらくて、泣きじゃくっている。そんな状態から、「今は自分が嫌いじゃない、仲良くなれた」のは、これまでに葛藤や格闘があったことを暗示している。

一輝の話を聞いて、歯科医の育美(榮倉奈々)は、このごろ自分が囚われている自己否定感に思いを馳せる。才色兼備の彼女は、恋人に劣等感を抱かせてしまう。自分は女性として可愛げがない、ダメなのかもしれないと悩んでいる。

いわゆる「健常者」は、一般的に環境に溶け込みやすいし、社会規範の中で評価もされやすい。でも、人生の中で環境に馴染めなかったり、周囲と比較して劣等感を覚えたり、対人関係で困ったりすることは誰にでもある。人はそんなときストレスを感じ、自己否定感に陥る。

発達に凹凸がある一輝はそういうストレスと無縁なのではなく、むしろ人より先に(子ども時代から)そういうストレス、自己否定と向き合わざるを得なくて、それを何とかかんとか乗り越えて、周囲と自分を比較するのをやめ、「自分らしさ」を生きるようになったんだ。一輝の葛藤は、障がいとかを超えて普遍的で、その乗り越え方にもきっと汎用性がある。(過去の格闘の詳細は、今後明らかにされると予想)

もちろん、一輝の周囲には、あたたかい目で見守る恩師やおじいちゃんなどがいるんだけど、一輝はただ庇護される存在ではない。彼は主体的に生きてきたんだと思う。純真無垢なわけでもない。彼を大事に思っている身近な人間も、彼が時間に無頓着なことや興味ナシなら後回しにすることを「悪いクセだ」と普通に文句を言う。

ファンタジーのようにふんわりした雰囲気だけど、意外にリアリスティックな作りだと思うのだ。

一輝と仲良くなる小学生の虹一(やはり凹凸あり)とそのお母さん、勉強に無関心な大学生たちの描かれ方と共に、榮倉奈々が演じる育美の「ハイスペックな女性の抑圧感」も興味深い。

榮倉奈々も、『けもなれ』のガッキー同様、輝くような美しさで見ているだけで惚れ惚れする。出産したのは去年だっけ? 夫の賀来賢人も今、『今日から俺は!』で連ドラ主演してるよね。

脚本は橋部敦子。昔、草彅くんがやってた『僕の生きる道』など僕シリーズ3部作を書いた人で、今作もその系譜に連なるのかな。